第10話 現代/一人称/ほのぼの/猫

 猫を拾った。

 鼻面と右の前足だけが白い鍵尻尾の黒猫だ。

 便宜上「わたしが拾った」ということになっているが、実態はいささか異なる。猫の方が勝手に着いてきて居座っているのだ。

 その日わたしは、猫に付き纏われていた。何度も追い払おうとしたが、猫は全く動じなかった。蹴飛ばす真似をしたり、足元めがけて木の枝や砂利を投げつけみせてさえ、怯む素振りはなかった。

 というか、避ける様子すら見せないのは何かがおかしいんじゃないか? 第六感が得体の知れない恐怖を感じ取って、わたしは闇雲に住宅地を走り回り、時には塀の低い家の庭を突っ切ったりなどして、猫から逃げた。途中、振り返って様子を伺うと、二、三分は執念深くついてきた猫も、五分十分と経つうちに姿が見えなくなった。

 恐ろしい出来事だった。おそらく会談と呼べる類の体験だ。まさか自分が洒落怖に書き込む日がくるとは思わなかった。何か祟られるようなことをしたか? そんな覚えは全くないが、無自覚にやらかしていたならなお悪い、動物霊はしつこいというし、とりあえずすぐにお寺に行こう。

 などと考えながら、肩で息をして家に帰ると、いた。

「な、なぜ……」

 呆然と呟くと、はあ、とため息を吐かれた。猫に。

「なぜってお前、突然発狂した人間に付き合って無駄な体力を使うなんてばかの極みじゃねえか。ほら、いいからさっさと鍵を開けな」

 喋った。猫が。猫が喋ることなんてあるか? ない。ということはこれはやはり猫ではないのだと理解し、わたしは一瞬で号泣した。

「お、怨霊だあ……なぜですか……許してください……わたしが何をしたっていうんですか……何かしたならすぐに正すから教えてください……悪気はないんです……許してください……」

 門柱に縋りつき、がくがく震えながら謝ると、猫は突然「エッ、ゲッ、ケッ」みたいな奇声を発し、恐怖のあまり地面にくずおれたわたしの前で、毛玉を吐いた。

「オェエ、あまりの愚図さに吐き気を催してマジで毛玉を吐いちまった。お前のせいだからきちんと片付けろよ」

 毛玉を吐いた。猫が。猫が毛玉を吐くのは普通だ。ではこれは、思ったよりは猫なのかもしれない。

 そう思い込もうとしたが、流石に無理であった。猫は喋らない。吐瀉物の掃除をしろと命令もしない。どう贔屓目に見ようとしても、残念ながら普通の猫ではありえなかった。

「わ、わかった、猫又だ……そうでしょう? 人を食べるんだ……わ、わたしじゃなくてもよくないですか? もっといい肉紹介しますよ」

 へたり込んだまま訊くと、猫はまた大袈裟にオエーッと言った。

「よくそんなノータリンな思考回路で今日まで生きてこられたよな。マルチや宗教勧誘に捕まらなかったのは奇跡だな」

「あっやめてください差別用語は検閲に引っかかるから……」

「お前が先に反応すべき場所はそこじゃねえんだよなあ。本っ当に鈍臭えったらねえ」

 猫はそのあともよくわからない理由で散々わたしを貶してから、自分は十六年前に死んだ弟の生まれ変わりであると宣った。

 十六年前とは、わたしが生まれた年である。弟ができるにも、弟が死ぬにも早すぎるのではないだろうか。

 そう尋ねてみると、猫(弟?)は歯を剥き出してペッと唾を吐いた。

「普通わかるだろ。なんで双子という可能性を考えもしないんだ。俺はお前の双子の弟というやつで、お前の臍の緒が首に巻きついて死んだ」

 つまり、怨霊であった。

 わたしはまた、恥も外聞もなく鼻水を垂らして泣いた。臍の緒はわたしにはどうにもできない。不可抗力だ。しかし殺された相手にはそんなこと関係ないのだ。弟は殺されたことを恨みに思い、わたしに復讐しに戻ってきたのだ。猫の姿となって。

 びゃあびゃあ泣いて必死に許しを乞うわたしに、猫の弟は白けた目を向けていた。

「いや恨んでたら姿なんか見せずにさくっと祟り殺してるだろ」

 泣き喚くわたしに根気強く説明してくれた猫の弟によると、死んだ直後、輪廻転生の輪に戻る道があったらしい。だが「生」の意味すらわからないまま死んだ猫の弟には転生すべきかどうかもわからず、血の繋がりの深いわたしを何年も観察していのだそうだ。ところがわたしが人間としてあまりに落ちこぼれで昨年田んぼに落ちて肩が外れたのを見てとうとう我慢ができなくなり、転生してわたしを助けにきてくれたらしい。

 めちゃくちゃ姉思いの弟だった。

 わたしは年甲斐もなくべちょべちょに泣いたことを猛烈に反省した。

 しかし、猫を受け入れるかどうかとは話が別であった。

「生き物を飼うにはね、お金がかかるんだよ……」

「んなこた知ってるよ! 知ってるけど、この流れでそういうこと言うか!?」

「悪いけど、わたしは弟の餌代も満足に出せない……」

「バイトしろ!」

 結局、猫は猫らしいあざとさで両親に取り入り、うちの飼い猫となった。とはいえ、わたしが拾ってきたと思われているため世話の大半はわたしの義務だ。猫の弟はしょっちゅう悪態をついて、本人いわく「わたしを守って」くれているそうなのだが、実感はまるでないのでわたしは骨折り損である。

 ただ、まあ、喋らなければただの可愛い猫に見えなくもないのは確かなので、スマホの画像フォルダには猫の寝顔が着実に増えてきている。

 明日は、お年玉貯金を崩してちょっといい首輪を買いに行く予定だ。

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