第8話 現代/一人称/すこしふしぎ/ほのぼの

 僕の心臓には蛇がいる。

 蛇の動く音を『ニョロニョロ』なんて擬音で表すのをよく見るが、奴の立てる音はそんなものじゃない。

 ずぞ……ずぞ……と硬い布地に金属を擦り合わせるような不快な音を立てて、僕の心臓の中を回り続ける。

 心臓の中はふつう、回り続けることができない。心臓には四つの部屋があると言われているけれど、弁で区切られているだけで簡単に(本当はそれだって簡単でも普通でもないのだけれど)行き来できるのは二つずつで、残りの二つの部屋に行くには身体中の血管を回ってこなくてはならない。けれど蛇にはそれができるから、本来抜けられないはずの壁を通り抜ける時に、ずぞ……と音が鳴る。蛇の体は長くて、僕の心臓の中で何周もとぐろを巻いているから、ずぞ……という音は鼓動のように永遠に止まない。もしかして、これが僕の心臓の音かもしれないと錯覚してしまうくらいに。

 だけど蛇は、僕自身でないことの証拠として、僕の呼びかけに返事をする。

「ねえ、そろそろ出ていってよ」

 そう頼めば、

「俺だってこんな狭くて暗くて血生臭いとこ、さっさとおさらばしたいね。だけど出口がどこにもねえんだ。お前、さっさと出口を作れよ」

 なんて憎まれ口を返してくる。

 出口なら、血管があるだろうと教えるのだけど、狭すぎて入れるもんか、お前、死んでもいいってのか、なんて僕を気遣うようなことを言う。ひとの心臓の壁をまるでないもののように突き抜けてるっていうのに、血管のことは突き破ってしまうらしい。まったく理解不能だ。

 蛇の言っていることが本当かどうかはわからないけれど、蛇は僕の心臓の中でぐるぐると回り続けて、僕はあっという間に成人式を迎えてしまった。

「君さあ、ちょっとくらいじっとしていられない? せめて成人式の間くらいさあ。一生に一度なんだよ」

 ほかの人に、蛇の這う音が聞こえている様子はこれまでもなかった。だけど、僕にはうるさいほどに聞こえるから、いつか誰かに聴こえるんじゃないかと気になって仕方なかった。入学式や卒業式、誕生日、大学受験の時だって我慢したんだ。(もちろん、その時だって頼み込んだけれど蛇は無理だなとばっさり切り捨てた)一生に一度の晴れの日くらい、静かにしていてくれないだろうか。

 蛇はすぐには答えを返さなかった。それはとても珍しいことだった。

 様子がおかしいと思って蛇にどうかしたかと尋ねようとしたが、その前に蛇がず……と動きを止めた。

 途端に僕は、心臓に痛みを感じて蹲ってしまった。

「なあ……ずっと黙っていたけどさ、俺、お前の心臓なんだ。心臓の代わりをしてる。お前の心臓はひ弱だから、俺が回っていないとだめなんだ」

 そう言って蛇がまた回り始めると、少しずつ痛みが和らいでいく。なんてこったと、僕は頭を抱えた。まさか本当に、蛇の足音が自分の鼓動だなんて考えたことがなかった。勝手に人の心臓に巣食った図々しい奴だと思っていた。

「どうしてそんなことしてくれたのさ」

 まだばくばくしている心臓を押さえて(そのばくばくも、蛇が回ってくれているおかげだとわかって、なんだか自分が不甲斐なくなる)問いかけると、蛇はずぞ……ずぞ……と回りながら答えた。

「生まれたばっかで死にそうになってるお前がかわいそうだったのさ。俺も生まれたばっかりで、お前の中に簡単に入れたからな。まさか出られなくなっちまうとは思わなかったが、俺がお前を生かしてると思えば、案外悪くない。なかなか甲斐のある生き様さ」

 なんてこったと、僕は再び頭を抱えた。図々しい奴と思っていた蛇は、そんなふうにしてずっと僕を支えていたわけだ。ちっぽけな心臓に閉じ込められて、感謝も望まずに、健気にぐるぐると回り続けていた。

 僕は言葉を探しあぐねてしまった。だって、何を言えばいいんだ? 蛇は僕のために自分の自由を犠牲にしている。けれどそれで僕を生かせるなら構わないと、生き様を誇っている。

 しばらく何も言えずにいると、蛇は呆れたように尻尾の先で心臓をつついた。

「痛い! やめろよ」

 蛇に大恩があることはわかったけれど、だとしたって内臓を中からつつかれるのは痛い。咄嗟に抗議した僕に、蛇はいつも通りの調子で笑った。

「まあ、お前もさ、諦めて俺と一緒に成人式に行こうぜ。紅白まんじゅうを二人分もらおう」

 あんまり平然としているので、僕も力が抜けてしまった。確かに、僕が理解していたかしてなかったかというだけで、僕らの関係は何も変わっていないのだ。

「お前の分なんか出るもんか。だけど、蛇の二十歳もきっとめでたいから、成人祝いは半分ずつにしよう」

 今までと同じってだけ。心臓に蛇がいても、人生は案外楽しいもんだ。

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