第5話 異世界転移/一人称/コメディ

 山路を登りながら、こう考えた。

 いや、山路きっつ。

 夏目漱石が登ったのは天保山か? 高尾山の表参道コースか? お前が登ったのが冬の八甲田山だったら釈迦の説法みたいな即物性のないことをつらつら考えていられたわけがない。因みにわたしは今、異世界の雪山を登っている。人間、極限まで追い詰められると逆にくだらないことを考える余裕を生み出してしまうらしい。完全に現実逃避。

「勇者様ー! 足を踏み出す前にしっかり聖剣を突き刺して! 雪が崩れないかどうか確認するのですぞ!」

 するのですぞ、じゃない。

 本来ならば道の安全はお前たちが確認すべきだというのに勇者様をアゴで使うとは許し難い。

 そもそもの発端はなんか最近よく聞く勇者召喚というやつで、剣と魔法の世界に呼ばれたわたしは魔王を滅ぼす聖剣に選ばれし勇者となった。

 まあ、それはね、まあ受け入れた。承認欲求の塊のような年頃の女子高生だぞ? チヤホヤされたら嬉しいに決まってる。

 ただ、魔王を倒すための旅、というのが想像と少し違っていて、剣士、魔法使い、僧侶といった旅のパーティーメンバーはいなかった。魔王と戦うのは、勇者ただ一人だった。それを知ったわたしは、えっヤダ責任が重すぎる高校生に押し付けていい重荷じゃない、とビビったのだが、ええええワタクシが勇者ですどうぞ見てくださいこれが勇者アーム、勇者フット、勇者ボディ、そして麗しい勇者フェイスです目に焼き付けて一億倍美化して黄金の像を建立なさい、などと放言し歓待の夜会に顔を出しまくって美食を存分に食い散らかした身としては、もはや後にはひけなかった。

 とはいっても、本当にまったく一人で放り出されるわけでもなく、勇者様の旅のお世話をするために騎士団の小隊がつけられた。勇者様とは聖剣に込められた光の力を扱えるもののことであり、天下無双の大剣士ではないのだ。その辺、向こうも承知しているから、旅程は基本的に馬車、道中の危険(主に野盗と野生生物)の対処や野営の準備などは彼らが引き受けてくれる。

 な〜んだパーティーメンバーなしっていうから不安になったけど案外普通に上げ膳据え膳じゃん勇者っていうか実質貴族の御令嬢じゃん、とわたしは油断していた。具体的に油断の内容を説明すると、行き先をよく確認していなかった。

 魔王の城は、大体地底とか、暗黒の島とか、荒廃した土地とか、そういう不毛っぽいところにある。

 この世界の魔王城もセオリー通りに不毛の地、一面雪と氷に覆われた急峻な山の頂に建っていた。

 そんなところに城を立てるな。どう考えてもなんの役にも立たないだろ。

 魔王は人間の夢や希望といった正の感情エネルギーを奪って魂を壊してしまうらしい。いや、そんなん雪山の頂上ですることかよ。なんでそんなロケーション選んだの。建てさせられた大工さんもたまったもんじゃないよ。そんな陰気なところで陰湿なことをしているから魔王になどなるのだ。どうせどこでもできそうだし、静かな湖畔の森の影にリゾート風のコテージでも建てればよかったんだ。貴様にはそういう陽の心が足りない。お陰でこちらは雪山登山だ。やってられない。絶対魔王と一緒に城も破壊してやる。

 だがしかし、雪山登山は一筋縄ではいかない。勇者様お世話部隊によって羊毛インナー、羊毛スパッツ、羊毛靴下、ジャケット、防水パーカー、ハーネス、防水パンツ、防水ブーツ、アイゼン、インナーグローブとグローブ、ニットキャップ、ゴーグル、バックパックを装備させられ、最後にピッケルと聖剣を渡された。完全に雪山登頂に行く格好である。

「ここまでくればあと一息、さあ、いざ魔王の息の根を止めてやりましょうぞ!」

 止めてやりましょうぞ、ではない。正直わたしの息が止まりそうであった。あと一息がとんでもねえ。こちとら今まで一日中馬車に乗って優雅にうたた寝をし、食事時に扉を叩かれた時だけ機敏に起きて、食っちゃ寝をしていた身であった。素人に雪山が登れると思うな。

 こうして快適な上げ膳据え膳は終わりを告げ、凍える山をえっちらおっちら登ることになったのだが、お世話係小隊の二七名のうち、既に六人が命を落としていた。滑落で。

 今まで特に魔王の脅威や妨害を感じたことがなかったが、これが雪山魔王城の理由だったらしい。とんでもないトラップだった。魔王の名に恥じぬ姑息さ陰湿さであった。

 そして雪庇を踏み抜くことを警戒したお世話係たちは考えた。最も体重の軽いものに、長い棒で確かめさせながら歩くのがよいと。つまるところ、勇者様と聖剣であった。

「勇者様ー! あと二百メートル進んだら小休止しますから! あと少し頑張ってください!」

「マシュマロ焼きますよ!」

「美味しいアイスもありますから!」

 声援がアツい。彼らの命は今やわたしと聖剣にかかっているので当然だ。

 しかし、人が甘いもので釣れると思い込んでいるのが腹立たしい。あとアイスは勝手に凍った牛乳とかだろ。堂々と詐称をするな。

「あっほら! 勇者様! あそこに窪地が! あそこで休みましょう!」

「肩を揉みますよ!」

「足も揉みますよ!」

「うるせえバカ大声出すな雪崩が起きたらどうすんだ」

 雪山を登り始めてから、すでに十日が経っていた。魔王を倒したところで帰りの食料がもつかわからん。おのれ魔王。絶対許さねえ。簡単には殺さん。手足を縛って馬に繋いで市中を引き回すし十字架に磔にするし生きたまま火炙りにした後で聖剣で楽にすると見せかけて皮一枚で命を繋がせてやる。楽には死なせないから覚悟しろ。

 こうして我々は、意気軒昂として魔王城を目指し登山を続けた。

 一ヶ月後、初のホニャララ山登頂隊として、また苛烈なる粛清騎士団として、我々は名を馳せた。雪山登頂の方がウケがいいのでそちらを新聞の一面にすると言われなんでやねんと突っ込んだが、黄金の像の建立が始まっていたので仕方ない。イメージ戦略は大事だ。

 出来上がった像は、亡くなった八名を含むお世話部隊を率い山を登る自由の女神像であった。我々が魔王を倒し、世界を救ったことは世にほとんど知られていない。なんでやねん。

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