第2話 ファンタジー/一人称/シリアス/無神論/BL

 イリュニカは悪い奴じゃない。頭だって、悪くない。けど、ただの言葉でしかなく、なんの価値もない神様なんかを信じているのは、ばかだなって思う。

 敬虔な信者、という奴らは皆、定められた戒律を守って折々神に祈りを捧げていいことがあればなんでも神に感謝をして苦しみを感じれば神に救いを求める。

 ばかだ。

 神様は何もしない。そこにあるだけだ。そこにあると、みんなで信じようとしているだけだ。

 みんなただ「ルール」がほしいだけなのだ。秩序を欠いた世界は恐ろしいから。同じルールを共有し、自由の範囲を規定しタブーの存在を了解し互いにそれらを侵犯しないで生きていると信じることで安全を確保したいのだ。だからルールを共有しない奴は簡単に糾弾されされ、排斥される。

 神様はルールの正しさと堅固さを担保する架空の絶対者にすぎない。ただそれだけだ。

 だから神への祈りには意味がない。それはただの宣言でしかないから。正しく生きます、正しく生きています、定められた秩序を守っています、秩序を乱してしまいましたがいっときの気の緩みと気の迷いです決して決して繰り返さないから今回だけは許してください。

 そんなこと、神に頼らなきゃ守れもしない、守れる自分を信じられないなんて、ばかでしかない。敬虔であればあるほど愚かだ。神への奉仕は己の精神を中立に保つための儀式だ。全部全部自分のためだ。神のためという言い訳をつけなきゃ正しくいられない人間なんてみんなばかだ。

 イリュニカは悪い奴じゃない。だけどばかだ。だからこんな時に震えながら必死で神への懺悔を繰り返してる。

「神よ、お許しください……神よ、どうか……」

 血塗れの床石。血溜まりに横たわり、どんどん熱を失っていくクソジジイ。教会の床石にはところどころ墓石が使われてる。現世に生きるおれたちに踏まれることで、現世との繋がりを保っているんだそうだ。ただの石材不足と墓地不足の結果に、滑稽なこじつけだ。それでもそんなくだらない建前を信じてやるなら、こうしてクソジジイの生き血を啜っている墓石は随分と視界が良くなって現世の人気スイーツでも食いに行けることだろう。我欲に塗れて汚い金で汚い遊びを繰り返すジジイが生き永らえるよりよほど可愛げがある。

 だけどイリュニカは「敬虔な信徒」なので秩序からはみ出した自分にうろたえ続けている。まるでもう、神の箱庭には戻れないかのように。

「お許しください……ああ、わたしは何ということを……わたしはどうすれば……警察へ連絡をしてそれから……それから、どうやって罪を償えば」

 あんまりにもガタガタ震えているから、おれはつい嘆息してしまった。それにさえ、イリュニカはびくつく。世界の全てが自分を罰するのだと信じているように。ああ、ばかめ。

「気にするなよ。先に秩序を乱したのはそっちのジジイだ。お前はそれに巻き込まれただけ。クソジジイは秩序を乱した罰を下されて勝手に死んだ。お前が償う罪なんて何もない」

「けれど……それでもわたしは、わたしの意思で彼を拒み、腕を払い除け、突き飛ばした……神の罰ではあり得ない。わたしが……殺したんだ。なんという……おぞましいことを」

 先におぞましいことをしたのはクソジジイの方だ。

 イリュニカのしたことは正当防衛だ。それでも「神様の戒律」は殺人を認めない。最悪の罪だと唱える。じゃあ、相手が戒律を共有しない野蛮人だったら? それでも殺せば罪なのか? あのクソジジイは戒律に従うふりをしたけだものだった。それでもイリュニカは真っ白な顔で震え続けなきゃいけないのか? それじゃ、盲目的に敬虔なやつほど損をする。神なんて不在なんだから当たり前だ。

「安心しろ。お前が思うほど、神様はお前のことを気にしてねえよ」

 慰めてやろうとすれば、イリュニカは白い顔を引き攣らせてますます悲壮な面持ちになった。

「やめてください! 神はおられます! わたしたちの善行も悪行も全て見ておられる! わたしは善行によって神に守られてきました! けれどこんな……こんな恐ろしい罪を犯したわたしを神はお許しにならない……わたしはどうすれば……そうだ裁きを、裁きを受けなければ」

 うわごとはひどくなる一方だ。神がイリュニカを守っていたなら、こんなクソジジイに腰を抱かれ唇を撫でられることもなかったはずだ。神なんていない。祈ったって懺悔したって、それらはどこにも届かない。

 イリュニカを守ってきたのもこれから守っていくのも人間だ。このおれだ。

 次第に窓から差す光が橙を帯びてくる。

 いつまでもこんなところにはいられない。

 それでもばかなイリュニカの抱いた幻想を一撃で打ち壊すのが可哀想で、おれは静かに彼の隣に寄り添う。

 まだ二時間は誰もここに来ない。大丈夫だ。おれは神様よりも上手にイリュニカを守れる。幻覚は幻覚らしく指を咥えて消えていけばいい。ざまあみろ。いずれイリュニカはおれの信徒になるだろう。

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