ショートショート詰め合わせ

烏目

1〜10

第1話 現代/一人称・独白/シリアス/ショタの残像

 今朝の新聞は六時四十八分に届いた。

 朝ではない。夕方の、六時四十八分。

 別に配達員の怠慢でも、時空が歪んだなんて怪談でもなんでもない。同じアパートのガキが人んちのポストから抜き取って、しれっと返してくる。それだけのことだ。

 最初はもう少し慎ましやかだった。大体三時から四時の間に投函される新聞を、頑張って早起きでもしていたのか、くすね取って俺より先に読んでから、それでもおよそ六時前後にはポストに返していた。それが今じゃ夕飯どきだ。随分とふてぶてしくなったものだ。

 始まったのは三年ほど前のことだ。大学進学を機に一人暮らしを始めた俺は、就活を見据えて時事や社会情勢等の情報に親しむ習慣をつけたほうがいいという助言に従い、適当な新聞社と契約をした。ネットニュースもチェックしていたが、興味のないジャンルの情報も視界の隅に映って脳の隅に焼き込まれるのは、物理媒体の強みだと感心した。ただ、半年経って読み終えた新聞の処理が案外面倒なことに気づき、デジタル版に契約変更しようかと思い始めた矢先に、ガキが動き出した。

 俺はいつも七時頃に集合ポストまで行って新聞を回収する。それがある日から、折り目がぐしゃぐしゃになりだした。何が起こっているのかはすぐに察しがついた。学生向けのボロアパートとはいえ、ダイヤルロックは付いている。しかし相手が根気強かったのか俺の運が悪かったのか、錠破りに負けたらしい。だが、犯人は律儀に読み終わった新聞を返してくる。処理の手間に気付き出した頃だったこともあり、読むだけ読んで片付けの手間は押し付けてくる傲岸さに腹が立って、ポストを見張ることにした。相手によっては出るところに出てやろうかとさえ思っていた。だが、午前三時にアパートの影から見張りを始めて三十分、こそこそとポストを漁る人影があまりにも幼くて俺は頭を抱えてしまった。地域コミュニティの情報を信じるなら、当時ガキは小二だった。小二が軽犯罪に手を染めてまで必死に新聞を読んでいるという事実を、どう糾弾すればいい。

 結局俺はその場から飛び出すこともできず、抜き足差し足で自室に戻ってまた七時にヨレた新聞を取りに行くしかできず、ダイヤルロックのナンバーを変えることもせず、新聞社との契約内容も変更しなかった。

 俺がガキの様子を見張っていたことも、こんな葛藤を抱えていたことも、おそらく本人は知らない。だが、一年と少し前、見事に牛乳漬けになった新聞がべしょべしょのまま返却されてもやはり頭を抱えることしかできなかった俺に、ガキは許されている現実を理解してしまったらしい。それからは、七時にポストに行っても新聞がないことが増え、返ってくるのはほとんど夕方以降になった。以来俺は、夕飯を食いながら朝刊を読む羽目になった。

 おそらく、育ち盛りの子供が日の出前に起きるのは相当にキツかったのだろう。それでも必死で新聞を求めた理由を、俺は知らない。

 いかにも学生向けのボロアパートに、これまた地域コミュニティの情報を信じるならば父子二人で住んでいる以上、経済的な余裕がさほどないのは推し量れる。しかし、自転車で十分も走れば図書館に行けるし、閲覧棚の新聞は毎日更新されている。今時、学校にも図書館にも自由に使えるパソコンはあるし、実際俺が利用しているようにネットニュースだっていくらでも無料で見られる。合法的にニュースに触れる方法があるのに、他人のポストから非合法に新聞を抜き取っていく理由が、俺には思いつかない。

 思いつかないが、ガキとその父親の住む部屋の前だけ、妙に空気が濁っているような気はする。その部屋のドアの前を通る時、無意識に距離を取ってしまう自分がいる。あの部屋はいつでも暗い。朝も昼も夜も、四季も天候も関係なく暗い。時々ぼんやり灯っている光は天井照明ではないだろう。それらにも何か理由があるのだろうけど、俺にはわからない。

 俺はただ、就職してこのボロアパートを離れる日まで新聞の契約を続けて、少し汚れた朝刊を夜に読むことしかできない。

 ごく稀にガキとすれ違う時、ふてぶてしさが堂に入ったガキは適切なご近所さんの距離感で軽く頭を下げてくる。実際にはどんな気持ちでいるかなんて想像もつかない。

 ただ、その子供らしく薄い皮膚に変な傷がないか、さっと検分する妙な癖はついてしまった。何もわかってないくせに、変な話だ。

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