第6話 絶縁世界に祝福を
黒い影が自分たちを助けた理由がわかった。これしか考えられない。
それはただ世界を滅ぼすためだ。
彼女を助けたのは、自分の存在が邪魔だったからだ。黒い影が常世へ侵食するのを塞ぐ存在を排除する必要があっただけのことなのだ。
そのために黒い影も今まで万策尽くしていた。呪われた神をどうにか殺そうと。
だが不死故苦しめることは可能でも、命を奪えない。
そうとわかると次は心を折りにかかった。
黒い影を滲み込ませて、魂を黒く染めようとする。
それでも、自力でこの注連縄を千切るほどの決意をさせるには足りなかった。
注連縄の呪縛から逃れる前に、身体が悲鳴をあげてしまうのだから。
永劫に責め続けても、封印に綻びが生まれない。そんな中、偶然人が通りかかったのだろう。
その人間を辺獄に引き摺り込んだのだ。何か変化を起こそうと。
それはうまくいった。捨てられた神は、捨てられた人を救う為、注連縄の呪縛から一時逃れたのだから。
封印を解く術を見つけた黒い影は、二人を近づけ……そして引き裂くだけでよかった。
向こう側に連れていかれた女の子を救い出すため、自分はあらゆる手を尽くす。
身体が砕け散る痛みに躊躇う理由がない。不可能を覆すことを不可能のまま投げ出す訳がない。
自分を見捨てた世界を切り捨てるのに、憂いなどあるわけがない。
怒りの感情が胸の奥から湧いてくる。
なぜ自分たちを拒絶した世界を切り捨てるだけのことに……これだけ苦しまねばならないのだろう。利用されなければならないのだろう。
自分で望んだわけではないのに、周囲に呪いを振りまく身体に生まれ、辺獄に堕とされ、囚われた。
女の子は理由もなく周囲に拒絶され、愛を求めてたどり着いた先で、地獄の苦しみを味わっている。
結果だけ見れば、黒い影は二人を引き合わせたのかもしれない。
だがなんのことはない。ただ二人の想いを利用しただけだ。
愛されたくて、一人は嫌で、ただ二人で一緒にいたいだけ。
その願いを担保に苦しめて、苦しめて、体良く利用する。
自分はともかく、貴女を受けいれなかった常世も憎い。
だが、貴女をこんなどうしようもない世界を滅ぼすなんて、くだらない理由のために苦しめる黒い影も憎い。
今は選択肢がないから付き合うしかない。しかし機が熟したのなら、世界を滅ぼす黒い影を、自分が滅ぼし返してやろう。
注連縄から逃れる要領は掴んでいる。圧倒的な暴力を、自身の身体に行使すればいい。
それを片腕だけではなく、四肢で同時に行えばいいだけ。
あの時のような真っ直ぐな気持ちはない。
貴女への想いと……苦しみと引き換えにしか幸福を与えない、貴女以外の全てへの恨みだけを胸に、頭を右肩に叩きつける。
何度も何度も叩きつける。自分で自分を壊す骨は既にわかっているから、今回は顎が砕ける前に、右肩と右腕が分かれる。
激しい痛みが走る。それを無視して、左肩を破壊しにかかる。
右半身が自由に動くから、さっきよりもよほど力を入れやすい。
右肩の半分の時間で左肩と左腕を切り離す。だがその間にも右肩の再生が始まっている。
治り方は、注連縄側が指定しているらしく、さっき試しに腕を明後日の方向へ向けていたが、注連縄に取り残された腕と肩が結合してしまった。
時間がない。自分の再生力と泥仕合になるのはごめんだ。手間取れば手間取るだけ、女の子が苦しむ時間が伸びるのだから。
首の骨が外れるのも厭わず頭部を右脚に叩きつける。脚部の耐久力は高く、脚の骨が見える頃には、顔の右半分が半壊する。
頭部の再生も待たず、脚部への攻撃を続ける。
右脚が胴体から切り離された瞬間、宙吊りにされた身体の重心が崩れる。
それを脱走の前兆だと察知した注連縄が、自分の方に向かって伸びてきた。
生贄を搾取するための装置兼、逃さないための拘束具。
防ぐ手立ては自分にはないが、なんとかなる確信がある。
そしてその通りに現実はなった。
注連縄が目前に迫るまでもなく、黒い影が自分の周囲を覆って、それの侵食を阻んだ。
世界を滅ぼすためならなんでもする、黒い影。
世界を滅ぼさないためならなんでもする、注連縄。
常世にも、向こう側の世界にも、自分たちの味方はいない。
そう実感するたびに。貴女への執着が強くなる。
世界の命運などどうでもいい。ただ貴女の幸せのために、最後の四肢を……左脚を砕く。
何千か、何万年か……数えきれないほどの時間続いた呪縛から自分の身体が解き放たれた。
魂に植え付けられた、注連縄との繋がりが断たれた実感がある。
それは黒い影による常世への侵攻が始まったということ。
あたりに広がる地面から、おびただしい量の黒い影が溢れ出してくる。
四肢のない身体が治癒するのを待ちながら、覚悟を固める。
ここからは二人でこなさないといけない。誰も助けてなどくれない。
もう二度と奇跡を乞いはしない。
貴女が伸ばした手を、自分が掴む。
きっと一度しか訪れない、自力で得た奇跡の瞬間を逃さない。
※※※
身体がフワリと浮かぶ感触がした。
いや、周りの空間すべてが上へと向かっている。
少女がやってくれたんだ! 私を助けるために。
そのことが嬉しい。たとえうまくいかなかったとしても、思ってくれる人がいるだけで幸せだ。
でも私はわがままだから、ちゃんとハッピーエンドを掴みたい。
周囲が浮遊するのに合わせて、空に向かって身体を伸ばす。
自由に動く身体で、黒い影の濁流に身を投げる。
辺獄と向こう側の壁が、そこなら通りやすくなっているだろうと考えて。
こうして黒い影が溢れるだろうと推測していたし、一気に溢れたら流石に穴が空くとかして通りやすくなるはずだ。
ただ、ここまで黒い影の勢いが凄まじいとは思っていなかった。
潜れない。
神としての全力を発揮出来る今なら、黒い影の侵食は大したことない。
だからといって、黒い影の物理的な勢いに抗いながら、辺獄と向こう側の間にある理の壁を超えるのは簡単じゃない。
物理的に黒い影の中を潜るだけでは到底辿り着けない。
自分の血液で黒い影の攻勢を抑えながら、次元を隔てる壁を、周囲の理を歪めてしまう、忌むべき自身の力で突破するしかない。
触れた……通常超えられない理の壁に。
力を削がれているときにはわからなかったけど、確かにこの向こう側に貴女の存在を感じられる。
自分に近い存在へと歪んでいるから。
突破すべき壁もどこかわかる。
次元の超え方をしらなかったけど、理解すれば単純だった。
強い想いを込めて、理を歪めればいい。
自分と貴女を隔てるものをこじ開けて、手を伸ばす。
※※※
懐かしい温もりを感じた。実際に離れていたのは、一日にも満たないのだろうけど。
ずっとずっと離れ離れだったような気がする。
誰でもない、少女がここから引き上げてくれる。
ここに引き込まれた時の窒息感とは真逆の、水面に上がった時のような開放感が全身を包む。
今いる場所と辺獄を隔てる境界を超えた瞬間、少女の喜びに満ち溢れた笑顔が飛び込んできた。
「あんまり心配かけないで。毎回うまくいくとは限らないんだから」
半分泣き声の少女が、私を抱きしめてくれる。
誰かにこんな風に、優しく抱いてもらったのは初めてで、どんな感情でいればいいのかわからない。
「……ありがとう。助けてくれて」
「何があっても、何度だって助けるよ。だけど貴女を失う可能性なんて考えたくないの……もう離さないから」
大事に思われてることを、素直に喜べばいいんだと思う。
それがあまりに貴重な体験だから、今でも戸惑ってしまって、うまくいかない。
「……うん……私も離れたくない」」
私だって少女と離れ離れになる可能性なんて考えたくない。
もっと強く少女に抱きつく。
それに合わせて、抱きしめてくれる力が強くなる。
少女が私を抱きしめてくれることが嬉しい。
自由に少女が動けるようになったことが、自分のことよりも嬉しい。
世界を滅ぼさないために、苦しみ続けるなんて馬鹿げた呪縛から解放されたってことだから。
あの縄が少女を痛めつけるのを見ていると、二人っきりのはずなのに、二人っきりだと思えなかった。
私たちのことなんてどうでもいいと思っている存在に、邪魔されるのは嫌だった。
だから、間違いなく二人の望む幸せな結末に近付いた。
私が黒い影に侵されることや、少女の呪いに影響されるのは、解決していない問題だと思う。
それは私が向こう側に連れていかれる可能性が依然残っていることを意味している。
不安でないといえば嘘に……
「貴女をちゃんと護る方法を思いついたの」
私の抱えた不安を察して、少女があの忌まわしい注連縄へ目配せしながら、そう言った。
「あれで今度は貴女を……貴女だけを護るよ」
「っ……それって!」
頭に浮かぶのは、もう一度あれに縛り付けられる少女の姿。
やっと解放されたのに! 私のために犠牲になるなんて耐えられない。
「大丈夫、二人とも犠牲にならないよ。今の私だったら、あんな拘束具自在に扱えるから」
自信満々でそう言い放った少女は、これ以上ないハッピーエンドを用意してくれた。
※※※
女の子を連れ戻してから三ヶ月が過ぎた。
講じた防衛策のおかげで、黒い影の侵食を二人とも受けていない。
自分の身体を締め付け、搾り取る注連縄はもうない。
お互いがお互いのことだけを感じあえる世界が、初めて手に入った。
自分の呪いのせいで女の子が異形化するのも、最近はある程度落ち着いている。
少なくとも、命に関わったり、苦痛が伴うこともなく、容姿に惹かれあった訳じゃないから、実質無関係だった。
最近は辺り一面に広がった女の子を、衣服のように纏うことで、文字通り一日中べったりだ。
余すところなくお互いを感じあえるから、異形化してよかったね、と言い合う始末。
「これがこんな風に使えるって、皮肉な感じがするね」
女の子が自分たちを取り囲む注連縄を指しながらそう言う。
この縄には、自分の血がなくとも、ある程度黒い影を退ける力を元から備えていた。世界を繋ぐには不十分過ぎただけで。
それはこうして二人を黒い影から護る結界を構築するには充分だった。
多少は自分の神通力とでも呼ぶべき力で補助する必要はあるが、慣れれば呼吸するのと大差ない。
この生活は幸せすぎる。必要とし合っていて、愛し合っていて、深く深く依存しあっている。
貴女さえいればいい。そんな二人が幸せだけの生活に飽きるはずがなくて、ずっとずっとここで幸せに暮らす。
自分たちを捨てた滅びゆく世界への恨みとか、散々貴女を利用した黒い影への憎しみは確かにある。
だけどそんな無駄なことに使う時間なんてあるはずがない。
なにせ、お互いが相手を想うのに大忙しで、負の感情が入り込む余地がないから。
「いつまでこうしてられるのかな」
「いつまでも。私が誰にも邪魔させないから」
女の子が不安そうに呟く。
それは自分も抱えている不安だから、その分迷いなく大丈夫だと言い切る。
生まれてから一度も幸せとか安心を手にしたことがなかった。どれだけ相手に溺れていても拭えない傷痕がある。
お互いの同じ所についた傷口を舐め合う。
二人で同じ痛みを共有して、二人で同じように相手を想う。
心に刻みつけられた痛みは、もう二度と消えない呪い。
だけど、ずっとこうしていれば、いつかきっと貴女が塗り潰してくれる。
その日が今から待ち遠しい。
余計なものを全て捨てて、大事な貴女だけをいっぱいに詰め込めるその日が。
※※※
終わりの見えない幸せの袋小路に迷い込んだ私たち。
入り口は閉じてて、出口は閉ざした。
爪弾きにされて排除された二人が閉じこもった、二人だけの閉じた世界。
お伽話では神様と人間は悲恋に終わることも多い。
だけど私たちは、辛いことばっかりだったから、力技でハッピーエンドにした。
世界の命運なんてどうでもいい二人は、世界が滅びた後も幸せに暮らす。
いつまでも、いつまでも。
少女は辺獄を竈食ふ 神薙 羅滅 @kannagirametsu
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