踊る
若子
踊る
小説家は月のようだ。静かに穏やかに。冷たく孤高に。そして温かく、私達を照らしている。
そして現代の小説家は、現代の社会を、現代の思想を。現代というもののあらゆるものを映し出す。と、すれば昔の社会や思想を映し出す、今も有名な昔の小説家は星かもしれない。昔の輝きを今の世界に伝え、そして感動を与える存在なのだから。
ならば自分は?と考えれば、私は道端に転がっている石のようなものだろう。誰にも手に取ってもらえないもの。視界に入れられても、すぐに飽きられてしまって、次の瞬間には忘れられてしまうもの。石は石だ。月になろうだなんて考えるだけ無駄なこと。
……孤独で誰からも顧みられることのないただの石であるならば、もっとのびのびと自分らしくいられただろうに。
何を書きたいのか分からなくなってしまった。どういうつもりでこれを書いたのか自分でも分からない。はあーーとため息を吐きながら、私は机に突っ伏した。
半年後には、文芸コンクールが開催される。そこに私が所属している文芸部のメンバーは出るのだけど……どうにも筆がのらない。良いアイデアも浮かばない。
「……もう、書き上げてる人もいるんだけどな」
小説は、いやだ。小説というフィルターを通せば、私の全てを暴かれてしまう。自分を知られることへの恐怖。自分さえ知らない自分を見つけてしまうことへの不安。それらがないまぜになって、私の手を止めてしまう。
いっそ、私が知っている人に読まれなければと思うんだけれど、「読ませて」と言われれば断ることなど出来るはずもない。名も知らない他人に見られることについては何も感じないのに、身近な人となると何故こんなにも恐怖が襲いかかってくるのだろう。
……高校で文芸部に入ったのは、失敗だったな。
ゆっくりと息を吐いて、目を閉じた。彼らはポジティブなことしか話さない。内心どう思っていようと、上辺だけの言葉を飾りこう言うのだ。「わあー、すごいね!」と。……反吐が出る。
「……まあ、私も人のことは言えない、か。」
人間と人間が円滑に関わっていくためにはそういう社交術は必要なのだから仕方ないと思う。思うのだけれど、やりきれない。
もう一つ息を吐いて、ちらりと時計を見た。七時三十分。シャーペンを筆箱の中におさめて、ノートと筆箱を鞄の中に入れる。寝間着から制服へと着替えて、鏡の前へ。
髪を整えながらにこりと笑顔を形作った。どんなに気持ちが鬱々としていても、笑顔を作れば「さあ、学校頑張るぞ」という気持ちがわいてくるのだから、自分というものはかなり単純なものだと思う。
マフラーをつけて、手袋と自転車の鍵を持つ。今日の授業はなんだっただろうか。ほぼ置き勉をしているので全く分からない。まあ行けば分かるだろう。知って行く気を無くすのも嫌だ。
ドアを開けると、はらはらと雪が舞っているのが目に入った。それは白い衣装をまとった小さな妖精が華麗に踊っているようで、まるで舞踏会のようだ。自転車の鍵を開けて、ペダルの上に薄く積もった雪をはらって、手袋をつけた。
自転車で進めば今まで優雅に踊っていた雪達は私の後ろ側に吸引器でもあるかのように後ろへ後ろへと吸い込まれていく。顔にいくらか当たる雪に目を細めながら、何度も通った通学路を進む。
……そういえば、今でこそ何も感じないが中学の頃は自転車通学に憧れていたな。今は電車通学に憧れているけれど、いざ電車通学をしてみれば何も思わないものだろうか。そう考えて、ふふと笑ってしまった。
隣の芝生はいつだって青い。青いと思ってるうちが1番楽しくて、世界が美しく愛おしく思える。隣の芝生が青いからとその場に足を踏み入れるのは、不粋な行為だ。
信じる者は救われる。……少なくとも、信じているうちは。希望を持つという行為そのものが自分を救ってくれるのだ。失望してしまっては、駄目だ。隣の芝生は青いままで良い。青いままにしておかなければならない。青い芝生があると信じることが出来るからこそ、私は希望を持つことが出来るのだから。
電車通学というちっぽけなことで何故こんなにも無意味なことを考えるのだろうかと、そんな考えが頭をよぎった。希望?こんなものが希望だなんて。希望っていうものは、もっと強い輝きではなかったか。思考を回せば回すほど、その輝きが失われていることに私は気がついていて。……どんなに青い芝生でも、そこに立てば青い芝生は青くは思えないのだと、知っていた。
そういえば私が考えたことは大抵どこかしらの偉い人が既に考えているもののことが多いんだけれど、そういう偉い人は私なんかよりもっともっとリアルというものを分析しているはずなのに、どうして気を病んでいないんだろうか。私が知らないだけで、皆現実に絶望して気を病んでいるのかもしれない。……それこそ、小説家。ああいや、どうだろうなあ。人によるか。
カンカンカン、と少し遠くで電車が来ることを知らせる音が聞こえた。顔を上げれば、踏切の端にある2つの赤いランプが交互に点滅し、遮断機がゆっくりと下りていくのが見える。
今日はついてない。この時間、ここの踏切は下りてしまえば10分は開かないのだ。
キッと自転車を止めて、空を仰ぐ。相も変わらずその白い麗人は優雅に舞っていて。
何故こんなにも、思考などない、余分なものをそぎ落としたものは、美しいのだろう。人間は、思考するからこそ汚れていくのではなかろうか。
ゴトゴトと右側から音が聞こえてくる。そちらに顔を向ければ見事なカーブを描きながら、こちらへ向かってくる直方体の電車が見えた。
………ああいや、その思考の末に出来た人工物は、美しい、か。
……私は人間というものが、かなり苦手だ。かなり苦手だが、それと同時に美しいと思う。苦悩、希望、焦燥、怒り、悲しみ、喜び。感情が大きく表面に出るときの、美しさ。その美しさに私が触れてしまえば、壊れてしまいそうで。
意図しても壊れない自然物や、意図しなければ壊れない人工物。そこにはある種の安心感があると思う。
もう一つ、電車が前を通り過ぎていった。手に力を入れて、いつのまにか下を向いていた顔を前へ向ける。遮断機がゆっくりと上がっていくのを見てから、私は地面を蹴った。
学校まであと少しだ。自転車を漕ぎながら、マフラーの下で笑顔を作る。自分を鼓舞するためか、仮面を被るためか、それは私にも分からない。分からないけれど、笑顔でいれば多くのことが上手くいく。そんな気がした。
どうせ皆、仮面を被っているのだ。私が例外という訳でもない。皆自分の本性を隠して、自分の本心というものを見せようとしない。
ただ見せていないだけ。嘘をついているわけではないんだ、だなんて、なんと意地汚い言い訳だろうか。……きっと皆恐いのだ。自分というものを他人に知られるのが。自分というものを拒絶されるかもしれない。自分というものを受け入れてもらえないかもしれない。その恐怖に、耐えきれないのだ。多分、きっと。
門をくぐり、駐輪場へ自転車を置く。鍵を抜いて、ポケットの中に入れた。さあ学校だと自分を奮い立たせるためにぐっと手に力を入れる。三日月が青い空に隠れるように、淡い灰色で佇んでいるのが目に入った。
月は、一面だけしか地球に見せないらしい。断固としてもう片方の面を見せようとしない月は、何を考えているのだろうか。恐いのだろうか。嘘はつかれていない。しかし、ある一面を見せてはいない。
……人間というものは何故こんなにも、怖がりなのか。月だって、本当は太陽に照らされたくないのではないか。
太陽がなければ月は輝かない。そして、そこに月という物体が浮かんでいなければ、太陽は何も照らすことが出来ない。照らされるということは、それだけ自分が認識されるということ。こちらに一面だけしか向けたくないという気持ちも分かる。全てをさらけ出して、多くの人に認識されて。そして批判されたら、と思うと恐怖で頭がおかしくなりそうだ。
人間であるが故に、自分というものを隠そうとする。仮面を被って自分を隠しながら、くるくると社会を生きていく。人間の世は、仮面舞踏会。さあ踊れ、踊れ。その本心を他人に知られるな。
周りと協調して、場の空気を乱さぬように。優雅に、美しく、踊れ。
踊る 若子 @wakashinyago
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