第十四話(3)

「智、病院いこ。なつ兄のとこ」

「…」

 智は何も答えない。すごく辛そうで、今にも泣きそうな顔をしながら、必死に何かに耐えていた。

 俺はそんな智を抱き上げ、車の後部座席に座らせる。

「明希、私が運転するわ」

 俺が運転席に座ろうとして、未来が言ってくる。

「いや、でも…」

「何!?私の運転がそんなに怖いわけ?」

「そうじゃなくて!俺が運転した方が早いから」

 未来は諦め、後部座席の智の隣に座った。

 俺も運転席に座り、出発しようとしたが…

「明希…やっぱりあんたが智くんの隣に来て」

 後ろから未来の声がした。

「ん?どうした?」

 未来は後部座席に座り、智が寄りかかっているが、彼女はなんだか我慢している様子。額に手を当て、眉間にしわを寄せていた。

「これ…耐えられそうにない。智くん可愛すぎて、襲いたくなる…」

「はぁ…分かったよ」

 そんな事か、と正直そう思ったが、未来に智が襲われては困る。仕方なく変わる事にした。



 病院、とは言ってもクリニックだが、ここには俺の兄、棗が医者として働いている。

 俺達は診察室に入ると早速、未来が下らない話をし始める。

「なっちゃん彼女出来た?」

 未来は棗の事をなっちゃんと呼ぶ。

「…そんなの作ってる暇ないって。そう言う未来は?」

 棗は本当に時間がないらしく、長くなった髪を後ろで1つに束ねていた。

 まぁ分かりやすく、それでもイケメンなわけだ。

「別れようと思ってて」

「…っえ?」

 棗は一瞬驚いたが、すぐに持ち直して…

「まぁ好きにしな。明希は…いないか」

 棗も、俺が女嫌いな事は知っているし、それがただの嫌いでない事も分かっている。

 だからこそ、普通の恋愛は出来ないと思っているのだ。

「ちょっと!勝手に決めつけないでよ!明希にはちゃんと居るんだから!」

「ちょっ!未来!?」

 口走る未来を止めに入るが、それも意味は無く…

「へー誰?」

「智くんよ!」

「へー、は?…やっとか。そうか」

 棗は驚き固まるが、流石の対応力で瞬時に判断する。


 そんな無駄話はどうでも良く、棗は智の診察を始めた。

 普段の兄としての棗に見慣れているからか、医者として振る舞う彼には少しの違和感がある。

 ただ、腕前は良く、27歳にして、このクリニックの院長先生なのだ。

「智くん。辛い?」

「…少し」

「何日目?」

「三日」

 智の熱は、雨に当たって出た物ではなかった。

 3日前…恐らく母と言い合いになった時だろう。癇癪かんしゃくを起こしてヒートアップし、熱が出てしまったのだ。

 だから智は大きな感情を表に出す事はあまり無い。こうなる事が分かっているから、自分で制御しているのだ。

 それでも流石に、母との言い合いでは、我慢ならなかったらしい。

「あー、そっか。それは辛いね」

「この子雨の日に家追い出されて、私達の家の前で座ってたの」

 未来は説明を付け加える。

「マジか!まぁ精神メンタルケアは明希がやるとして」

「何でそうなる!」

「だって彼氏なんだろ?それくらい出来ないとな」

「…わかったよ」

 棗は俺を弄るのが好きだ。表では俺を心配しておきながら、内側では笑っている。そんな事が良くあった。

 だが今日は、分かりやすく俺を弄って楽しんでいる。もう顔に出てるしな…


 俺は智の診察の為と、棗に大事な話をする為にここに来た。

 棗は智を隣のベットに寝かせ、俺の話を聞く。

 俺は持って来た資料を棗の前に出した。

「これは?」

 棗は資料を見ながら言う。

「容認警護の件だ」

 俺は資料を指差しながらそう告げた。

「…またか。もうこの依頼は受けないって言ったのに…」

 棗は俺の指差した場所を見てそう言った。

 前に受けた仕事で解決したはずなのに定期的にくる依頼。一度は行ったが仕事は警護ではなく話し相手。それから棗は断る様になった。

「他は?」

「これとこれは受けるよ。あとは明希に任せる。」

「ま、他は調査だけだしな」

 俺と棗が話をしている間。智は何が起きているのか分からず、俺と棗を交互に見ていた。

 未来は俺達の話を聞いて

「私の出番は無いのね?」

 そう聞いた。

「今のところは…」


 棗は…というか佐倉家は、全員が警護の仕事をする家だ。それを隠す為に他の仕事をしているにすぎない。

 父や母だって世界中を周り、依頼のあった人の警護を務めるが、そのカモフラージュの為に音楽家になった。もちろんその技術を使って人を助けた事は何度となくある。

 ただまぁそんなのはどうでも良くて、言いたいのは、あの日の夜の話し相手の男は、棗だったってわけだ。

「それじゃ!智くんに薬出しておくから、ちゃんと飲むんだよ?」

 棗は今まで怖い顔で資料を見ていたのに、突然笑顔になり、智にそう言った。

 俺はこの人がたまらなく恐ろしい。俺には気持ちの切り替えがそう簡単に出来ないからだ。

 だから智を使うって話が出た時も、俺の情を優先した。

 でも棗は俺の考えに対し、智を使う事を選んだ。こっちに引き入れて…



 その後、智の風邪はそこそこ長引いたが、5日で治った。

「智くん。帰らないならうちに居なよ」

 未来が智に提案する。

「え、良いんですか?」

「うん。私も可愛い弟欲しかったし。明希も智くんの事が心配だろうし。何より今2人暮らしだから、智くん増えた所で何も変わらない!」

「最後のは余計だ」

 俺は智を見ながら、未来の後ろから突っ込みを入れる。

 そんな俺達に智は、

「明希…僕役に立たないよ?家事とか全く出来ないよ?」

 椅子に座りながら俯きそう言う。

「別に良いよ。未来姉も出来ねーし。俺がやるだけだから」

 俺は本当の事を言ったまで。未来が何も出来ないのは今に知った事ではない。それは智も分かっているはずだ。

「…じゃあ、不束者ですが宜しくお願いします」

 智は椅子に座りながら、深く礼をした。

 そんな智を見て、未来は智の手を取りこう言った。

「ようこそ。智くん。私に対して敬語は要らないからね!」

「あ、は…えっと、うん!」

 俺達は新たな家族を手に入れた。

 棗も家にはそうそう帰らない。智を入れて3人での生活が、新たに始まろうとしていた。

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