第十三話(3)

 俺がしばらく客と話していると、優が来た。

「あ、もう明希居たんだ!」

 ファンのみんなも、優の登場に喝采が湧いた。特に男性陣…いつもとあまり変わらない優なのに、俺の後だからか、低い声で

「優凪ちゃーん」と、叫んでいる。

 当の本人である優は

「あははっ、何あれ」

 と笑っているが、少し迷惑そうだ。

 元々優は、告白を避ける為に俺を彼氏にしていたからな…注目されるのは良いが、それ以上構われるのは好きではないみたい。


「明希、そろそろ始められるって!」

「ドラムだけ出しておくか」

「そうね」

 俺と優で、智と尋が来る間に、ドラムだけセットした。他の楽器は日光に長時間当てるのは危険だからだ。かと言ってドラムだって本当は良くない…けどこれは直前に運んでいたのでは時間がかかってしまうから仕方がないのだ。

「明希ー!戻って来たよぉー」

 智が尋と一緒に舞台に上がる。

 さっきまでの女装姿とは紅一点。俺達と同じ衣装を着ているし、その髪は半分耳にかけられ、耳にはピアスをしている。いかにもドラムを叩いていそうな感じだ。

 尋はいつも掛けている眼鏡を外し、コンタクトになっている。それもまた、女性達を惹きつけた。

 分かってはいた事だが、この4人で揃うと、俺の存在感なんて等しくなるわけだ。

 現に、それまで俺を見ていた女性達は、もう既に、智や尋の虜。誰も俺を見てはいない。

 何となく、俺が最下位の理由がわかった。オーラが違う。2人は見せようとしているのに対し、俺は見られようとしているのかも知れない。俺って、本当にクズだなぁ…と思いながら、空を見上げる。

 なら、この青い空の様に、澄んだ音を聞かせてやろう。顔やオーラに負けない綺麗な音を。そして俺のファンにしてやる!

 そんな事を企みながら、1人こっそりとニヤけていた。


「さぁて、そろそろ始めようか!」

 智が合図をする。

 俺と尋はそれぞれ楽器を持って来て、優はマイクを立てる。智はドラムの前に座り、スタンバイ完了。

 一曲目が始まった。



 ここまで全19曲、新曲とカバー曲を混ぜながら歌って弾いてきた。

 さて、ラストだ。人数が足りなくて苦戦していた『硝子のドール』を、今聞かせてやる。

「さぁ、あと一曲で今日のライブが終わってしまいます。」

 優は間を繋ぐ為に話始める。

 その隙に俺達は舞台裏に降り、しばし休憩。

「最高の演奏を最後にお届けするので、10分ほど、休憩時間を頂きます。あ、皆さんちゃんと水分取ってくださいねー!」

 優はそう言うと、マイクの電源を切り、舞台裏に来た。


「ふぅ…」

 俺達は4人揃って座り込み、息を吐く。

「最後ね…」

「最後だな…」

 優と尋はまだ喋れるほどの余力がある様だ。

 俺は水を飲めば復活できそう…

 横目で智を見ると、既に目が死んでいた…疲れ切っているご様子。こんなんで最後の曲は成功するのだろうか?でも確かに智が1番動いているし、この暑さの中ずっとドラムを叩いていたら、そうなるよな…

 俺は智に冷えた飲み物を渡した。

「ひゃっ!」

「あ、ごめん」

 少し驚かそうと思って首に当てたら、思いのほか冷たかったらしく、智はびっくりして変な声を出していた。慌てて口元を塞いでいる。

「もー!びっくりしたじゃん」

「ごめんて。ほれ、飲めよ」

「ん、ありがとう」

 智に渡すと、優と尋にも渡した。

 それから5分ほど、誰も何も話さず、皆んな死んだ様に静かだった。


「さて、そろそろ準備を始めるか…」

 俺は立ち上がって、楽器の方に行く。

 最後の曲の為に、鉄琴とヴィブラフォン、ヴァイオリンに、ギター2本とベースを出さなきゃいけない。

 2人ずつ両端を持って、鉄琴とヴィブラフォンを舞台に出す。

 ファンはもう始まるのかとそわそわしていたが、まだ始められない。

 2台の鍵盤を出し終わると、俺は布を被せたギターと、スタンドを持って舞台に置く。

 優と尋はギターとベースをチューニング。

 智は鍵盤とドラムの位置を確認。

 俺はギターのチューニングを早々に終わらせ、アンプを弄ると、小さな箱を持ってくる。

 ファンはそれに興味津々。

 俺は箱を開けると楽器を出した。ヴァイオリンだ。

 弓を張って、チューニングをする。

 チューニングをしている音すらも、澄み渡る様に…

 ファンはとうとう俺に釘付けだ。

 そりゃ不思議に思うだろう。今までバンドとして、ギターやベース、ドラムだけやっていたのに、突然鍵盤とヴァイオリンが出て来たのだ。

 当然、弾けるのか?と思うに違いない。

 でもチューニングの時点で綺麗な音色を奏でていたら、今度はどんな曲を演奏するのかが気になるものだ。

 曲名も言っていない。ファンは隣同士で話していた。何の曲をやるのかと…

 だがもちろんのこと、この曲はロックだ。メインは歌。ギターやベースなんて物はお飾りなのだ。

 それでも曲を完成させる為に、必要な物。


 本番前にほとんど合わせられていないこの曲が、本番で最高の演奏が出来る確率は低い。

 だから自信がないんだが…

「これ本当にミスったらごめん」

 俺は一応皆んなに謝っておく。

「明希が1番難しいんだから大丈夫よ!」

 3人は俺を見て優の言った言葉に頷いた。

「僕もマレット落としたらごめん」

「そんな事あったか?」

 さっきまで死んでいた智もまた、自信なさげだ。尋がつっこんでいる。

「いや…汗が酷くて吹っ飛ばしそう」

「確かに、熱いもんな…」

 俺は思った。誰かが失敗しても支え合えると。それに、失敗しても誤魔化す技術は俺にはある。問題があるとすれば、しばらく変えていない弦が、切れないか心配な事だ。


 さて…俺達の本気を始めよう。


 俺はヴァイオリンを構え、智はマレットを持ち、鍵盤の前で、構える。

 最初は2人からスタート。


 奏でる、旋律を。響かせて、聞かせる!


 音が鳴った途端。ファンは目を見開いた。

 あまりにも幻想的な世界に連れ込まれた気がしたからだろう…


 俺と智はこの時、普段以上の綺麗な音を出していた。

 最初は静かに、小鳥のさえずりの様なヴァイオリンを奏で、途中で智がマレットからばちに持ち替え、力強くドラムを叩くと、一気に世界が変わった。

 その間たったの1小節。

 小鳥の囀る声が聞こえる静かな森から、悪魔の居そうな怖い森へと…

 だがそれも一瞬のこと。

 歌が入れば全てが変わる。


 優の歌が入った途端。

 ロックな音楽になる。

 少女は1人、森に囚われ、助けを求めるが、生き様だけは本当の自分を見ている。

 優にピッタリな曲。


 尋のギターも、洗練されていて、俺と比べても大差が無いほど、上手くなっている。

 だが、追い抜かれることは無いさ。先に行くのは俺だ!

 尋にはギターで勝負しようと、今はヴァイオリンで綺麗に奏でる事を優先させた。



 長い長い間奏に入る。

 優は休み。

 ギターソロで尋の出番だ。

 あの順位戦の時と同様に、ファンのみんなもこれには釘付けになる。

 だがお前一人に持って行かせやしない。

 俺はヴァイオリンを一度ケースにしまい、置いてあったギターを手に取る。

 アンプで高めの音が、響く様に設定したギターを、尋のソロの後に繋げて弾く。

 俺と尋のソロでの掛け合い。

 こんなに楽しい掛け合いは久しぶりだ。

 ついつい手に力が入ってしまう。


 バチンッ!

「なっ!」


 俺のギターの弦が切れた。


 まだソロの途中。

 俺も…前で弾いていた尋や、隣にいる智、休憩中の優まで驚いて俺を見る。

 だけど曲の途中…止めるわけには行かなかった。

 尋は俺の代わりに弾こうとしたが、俺が先に音を出して止めた。

 1番細い弦が切れた…高い音の幅が狭くなる。だけどもう、止まれやしない!

 俺は急遽、音を変えて弾いた。尋は焦っていたが、交代のソロではいつも通りの音程で弾いていた。


 俺は尋がソロを弾いている間、驚いて跳ね上がった心音を、落ち着かせる。

 指から血も出てる…これでヴァイオリンを弾くのはやだなぁ…と、そんな事を考えた。

 同時にそんな事を考えられるなら大丈夫か、とも思う。

 正直言って、ヴァイオリンで弦が切れた時の方が痛いのだ。顔に近いから…だからギターで良かったとも思う。幸い最後の曲だし、ギターソロ以外での、俺のギターの出番は無い。それにあと1フレーズで、それも終わる。

 若干熱中症気味で痛くなって来た頭を動かしながら、最後の1フレーズを弾き切る。


 ギターソロが終わった後、優の歌がすぐに入ったが、ファンは感極まり、拍手を送ってくれた。それにより優の声はかき消される。

 俺らはそれに答える暇もなく、曲を続ける。

 俺は再びヴァイオリンに持ち替えて、構えた。

 血の出る指で弦を押さえるのは、本当ならやめたほうが良い。痛いからじゃ無い。弦が切れやすくなるからだ。

 練習ならそこで一度曲を止めて、止血をする。だけど今は本番。しかも弦が切れた時点で、俺は失敗している。もうこれ以上の失態は明かせない。


 はぁ痛い…こりゃ帰ったら未来姉に怒られるな…いやその前に智に怒られそうだなぁ


 俺はそんな事を思いながら、弦に指を当てた。

 当然痛みは走る。俺は眉間に皺を寄せ、歯を食いしばる。

 ファンはそんな俺の顔に歓声を上げた。こんな顔で良ければ、このままやってやるよ!

 俺はもうムキになった。

 血の付いた弦は綺麗とは言えない音を発する。

 ならもう良い…最低限の綺麗な音で弾き切れば、取り敢えずは問題ないはずだ!



 俺達は最後の力を振り絞って、ライブをやり切った。

 曲の最後、俺はかろうじて無事だった人差し指と小指だけで音を奏でていた。

 そのおかげで左手は、指は吊るし、血は出るしで大変な事になっていた。


 俺達が曲を弾き終えると、ファンは今までで1番大きい喝采を送ってくれる。

 最後はそれに答えられた。もちろん俺は左手でヴァイオリンを持ち、右手で手を振って答えた。

 ライブの後には握手会もある。それまでに何とかしなければ…俺は我先にと、舞台を降りた。



「ってぇ…!」

 俺が1人舞台裏で手当てをしていると、智が来た。

「本当…馬鹿だよ」

「お前にだけは言われたくない…」

 実は智も、曲の最初に負傷していたのだ。

 元々暑さに弱い智の事だ。すっかり身体がほてって、感覚が鈍ったのかもしれない。マレットからばちに持ち替え、ドラムの方を向いた時に、鍵盤に手をぶつけていた。

 それでもお構いなしに叩くもんだから、俺が失敗して曲が止まるのは、意地でも避けたかった。

「ほら、貸して」

 智は俺の手を取り、止血をする。それから絆創膏を貼り、上にテーピングを巻く。

「これなら握手会も出来るでしょ?」

「ありがと…お前もほら、手出せよ」

 反対に、俺は智の手を取り、打った場所を氷で冷やす。

「はぁ…普段ならこんなヘマしないのに」

「今日は暑かったからな…」

 2人で手当てをしている間。優と尋はせっせと舞台の片付けをしてくれていた。

「あ、手伝うよ」

 俺は2人の方へ行こうとする智を止めた。

「お前はダメ」

「何でよ!」

「その手で重い物は運ばせられないから!」

「そんなの明希だって同じじゃん!」

「誰が、俺の血のついたギター運びたいよ!」

 俺が智とちょっとした言い合いをしていると、後ろから声がした。

「え?もう運んじゃったよ?」

 尋だ。手にギターを持っている。

 優も、俺のヴァイオリンとケースを持っていた。

「え…ありがとう」

「別に明希の血の付いたギターなんて、そんなの見慣れてるしね。」

 優は尋の後ろから顔だけ覗かせて、そう言った。

 確かに何度も指が切れた事はある。俺はムキになりすぎるというか…練習し過ぎるのだ。小・中学の時も、練習のし過ぎで毎日の様にテーピングをしてたっけ…

「さ、さっさと握手会も終わらせちゃいましょー!」

 優が楽器を置くとそう言った。

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