裏「ある日の聖」
今日の朝は、明希の姉の未来が来たりと不思議な事もあったが、俺の日常は変わらない。
朝起きて、机に置いた資料を見ながらデザインを書いていく。今朝は昨日の続きではなく、前から入っていた舞台設計の仕事。
しばらく出来たものに書き足しをしていると
プルルルルル
と、電話がかかってきた。電話番号を見てまずため息。
「もしもし…?」
『おい鈴村!舞台は出来上がったのか?』
締め切りが今日までだったからか、契約先の人からの電話だ。
「はい…今出来ました」
『今だと!?こっちは金払ってるんだぞ!明日にはライブなんだ。なんで今なんだ!』
「えっと…今日までと言っていましたし」
『はぁ!?締め切りより前に出すのは普通だろ!』
この人の相手をするのは骨が折れる。いつも怒っていて、こんな人がライブをしてファンが居るのだと思うと、反吐が出る。
落ち着け俺。物凄く怒鳴りたいのは分かるが、母に気付かれない為にも、冷静に答えろ。
「すみませんが、おたくよりもお金を払ってくれる人はたくさんいます。俺のデザインのお陰でライブができる事をお忘れなく」
とにかく丁寧な口調で言った。まぁ…嫌味剥き出しにはなってしまったが。
『はぁ!?俺のライブが成功するからお前は仕事がもらえるんだろ!』
「デザインは設計士さんに送ったので、以後こちらに電話を掛けないでください。」
最後にそれだけ言って、電話を切った。
向こうで怒鳴っていたのは無視しながら
「はぁぁぁぁ…」
長いため息を吐く。
よし…落ち着こう。
ドタドタドタッ!
俺はノートと鉛筆を持ち、急いで階段を駆け降りる。
「いって!」
駆け降りた矢先、角に足をぶつけたのは忘れる事にして、俺は急いで家を出た。
普段家から出ない俺がどこに行くのか…もちろん家の敷地から出る訳じゃない。
俺の家には道場が入っていて、何かと敷地が広い。
庭に出て、俺はまた走り、突き当たりの建物まで来て、扉を勢い奥開ける。
ガラッ
スライド式の扉の向こうには、和室の襖のような扉がもう一つ。
ピシャッ
またもや勢い良く開けると、中に居た全員が俺を見た。
「…ふう。スケッチをさせて下さい!」
大きな声で言うと、奥にいた師範がみんなの顔を伺ってから
「端にいるなら構わない」
と言ってくれた。
「ありがとうございます!」
俺は再び大きな声でお礼を言うと、部屋の端に座り、ノートを開く。
ここへは落ち着く為に絵を書きに来た。
絵描きは休憩に絵を描くと言う。デザインの休憩をしに来たわけではないが、武道というのは、なんだか落ち着く所なのだ。
剣道、空手と順に周りスケッチをして、最後に来たのは弓道場。
俺は誰も居ない弓道場に入り、道着に着替える。
家の中に弓道場があるなんて、あり得ない話だ。だけどここは、あの佐倉明希も使っていたからか、援助が沢山あり、今でもここに存在し続けられている。
道着に着替えた俺は、自分の弓と矢を持つと、ふと…智の使っているロッカーを見た。
「もう…来ないかな?」
智はここで、朝稽古をしてから学校に行っていた。俺も土日は頑張って早起きをし、智と同じ時間にここで弓を引いていたものだ。
だけど今日。智が初めて朝稽古をサボった。今日がたまたまなのか、もう来ないのかは分からない。それでもこんな事は初めてなのだ。
昨日の夜、あんな事を聞いたらかもしれないと、自分を責めたりもした。
こうしていると、俺は智が好きなんだと、改めて気づく。
これは恋人としてじゃない。家族として、生まれた時から一緒で、ずっと二人で過ごしてきた双子だからこその好きだ。
智が居なければ、この家で楽しい事なんてない。智が学校に行っている間、俺がどれだけ暇にしているかなんて、お前には分からないだろうな…
それから俺は、心を落ち着かせ、的前に立った。
「ふぅ…始め!」
俺は一人で号令をし、一人で的前に立ち、一人で矢捌き《やさばき》をする。
明希がここを辞めてから数年。智と俺の二人だけの稽古が始まったが、時間が合わなかったりして、稽古はバラバラにやっていた。でも本当に一人の気持ちでやるのはこれが初めてだ。
朝の電話でのイライラは、スケッチをしているうちに吹き飛んだ。今は落ち着いて引ける。
そう思ったのに…
「なんで…」
取掛け《とりかけ》をして、打起こしをした途端。急に寂しさが込み上げて来た。
一人でやっているからだろうか…確かに、高校でやっていた時は仲間が居た。高校を辞めてからも智が居た。
「もうやめよう…」
今日は智もサボってる。今日くらいはと、俺は弓道場をあとにした。
「聖…もう終わったのか?」
弓道場を出て、家に入ろうとした時、一番上の兄薫と遭遇した。
「今日は…もう終わりにした」
「そうか…」
俺が稽古を終わりにするなんて、珍しい。と思っても、薫は理由を聞かない。
でも突然。こんな話をし始めた。
「あの弓道場。佐倉さん明希くんが辞めてもずっと援助してくれてるんだってな。
だからずっとあのまま…誰も手を付けずに放置しているわけなんだが…」
今は俺と智しか使っていない弓道場。しかし何故か矢道に草は無く、明らかに手入れがしてあるのだ。
「そういえば…今日も智が掃除をしてから出かけたぞ?」
「…っ!?」
サボったと思っていた智は、時間がなかったからか、掃除だけして出かけたらしい。
俺は…サボる理由を智のせいにした挙句。掃除をしてくれていた事にも気づかないなんて…と、自分が恥ずかしくなり、顔を赤く染めた。
「ん?どうした?」
「いや、何でもないっ!俺、もう一回弓引いてくる!」
「いってらっしゃい…」
薫は何が起こったのか分からず、曖昧な返事をしていた。
今なら弓を引ける!掃除をしてくれた智が居るんだ。俺は一人じゃない。
弓道場にもう一度来て、また道着に着替える。今度は智のロッカーを眺めたりしない。俺はすぐ的前に立った。
「よし…始め!」
また一人で号令をし、一人で引くが、今度は寂しくない。
トントン
しばらく弓を引いていたら、突然扉を叩く音がした。
すぐに音のした方を見ると、そこには薫が立っていた。
「聖、昼ごはん」
「分かった。今行く!」
薫に呼ばれ、俺は急いで弓を置き、矢を片付け、安土を整える。
そして、道着のまま家に走った。
俺がリビングに着くと、母と薫が既に座っていた。
「聖、道着できたの?」
「あ、うん…だって着替えてたら母さん、遅いって怒るでしょ?」
「そうね…でも食事なんだから着替えて来なさい。」
俺は仕方なく自分の部屋で着替えて来ようと、席を立とうとしたその時だ。
「俺がいいって言ったんだ。」
普段喋らず食べる薫が口を開いた。
しかしすぐに母の反論が入る。
「あなたは黙ってなさい。これは私達二人の問題よ」
「そうだね。君たち親子の問題だ」
薫は母に押されてなのか、すぐに身を引いた。だけど俺は、薫の言葉に少々疑問を抱く。
なぜ薫は、わざわざ“親子”という言葉を使ったのかと。
午後、俺は薫の言葉が気になって、稽古にも、仕事にも集中できず、とうとう薫の部屋まで来てしまった。
薫の部屋は、俺と智が共同で使っている部屋より広い。この家族で大事にされているのが誰なのか、それぞれの部屋の大きさを見ると、すぐに分かる。
「薫…」
俺は何故か、恐る恐る扉を開けて薫を呼んだ。
「どうした?」
薫は意外にも早く返事をした。何かをやっていたのか、パソコンが開いている。
俺は部屋の中に入り、その場に正座した。
「薫はこの家から出たいと思わないの?」
俺はいつも思っている事を率直に投げかける。
「聖は出たいのか?」
でも薫には逆に聞き返されてしまった。
「俺は…智が出て行く時にまた考える」
「聖は本当に智が好きだな」
「う、うるさい!別に双子としてだから!」
「わかってるよ」
薫は優しく微笑む。普段無表情で居るからなのか、不思議とその笑顔が目に焼きついた。
「それで?この家から出たくないのか?だっけ?」
「そう…」
俺が薫の顔に魅入っていると、彼が聞いて来た。
「俺は、この家の長男だ。」
「そういう話じゃ無くて…」
薫は…長男だから、家を継がなきゃいけなくて、出られないとでも言いたいのだろう。だけど俺は、薫の本当の気持ちを知りたいのだ。
「あぁ…俺は長男だが、この家では軽視されていたんだ。だからこそ望んで手に入れた地位さ。俺はこの家からは出ない。」
薫はどこか遠くを見ながら言った。
「なんで軽視されてたの?長男でしょ?俺や智はまだ分かるけど…」
確かに母は昴の事を甘やかすばかりで、薫の事を気にかけている姿は見た事がない。さっきだって…
「俺は…お前達とは母親が違う」
薫が言った言葉は、俺を衝撃的に貫いた。母親が違う…つまりは父は再婚をしたという事だ。
「えっと…なんで?」
あまりの事にうまく言葉が出てこなかった。薫はそんな俺の事は気にせず話を進める。
「俺の母は、俺が二歳の時に亡くなった。父さんは浮気はしてないよ?ただまぁ…母が死んでからすぐだったけど…」
父は両親に催促され、薫の母が死んですぐ、政略結婚の様な形で、今の母と結婚をしたらしい…薫曰く、母は父の事が好きだが、父は薫の母を今でも思っているのだと…
「だから、母さんにとっては昴が長男なんだ。だから、前の女の息子である俺は、この家では邪魔者なんだよ」
そんな事があったとは…
「それって…智は知ってる?」
「ん?そうだね」
「なんで教えてくれなかったんだ!あいつ…」
「ははっ。聖を不安にさせたく無いって言ってたぞ?」
「そ、そうか…」
俺はその言葉を聞いて安心したのか、問い詰める事なく引き下がってしまった。
「まぁとにかく。これはあまり大きな声で言えないが、俺はあの女と昴が嫌いだ。だからこの家を任せられないと思った。父さんからは、お前が長男だって言われているけど、それだけでは、きっとあの女は納得しないだろ?」
「た、確かに…」
「だから努力して、剣道の師範にまで上り詰めて、今この家で長男として、君臨しているわけなんだ。こんな理由では納得しないか?」
「する!そんな話されて納得しない方がおかしい!」
「そうだよな…」
「俺は薫の事好きだよ?俺も昴と母さんが嫌いだもん」
「そうか…ありがとうな。でもあまり言ってはいけないぞ?」
「分かってるよ!」
その夜
「おい聖!父さんが呼んでるぞ?」
俺はデートから帰って来て、ご機嫌な昴に呼ばれた。
「え?なんで?」
「さぁな…怒られるんじゃね?そろそろ仕事しろって」
うちでは、母さんが甘やかす役。父さんが叱る役を担っているが、それは昴が思っている役目であって、実際は違う。
俺が父の部屋に入ると、父は正座をして待っていた。
「話って?」
「…お前はいつになったら仕事をするんだ?」
「…だからしてるって言ってるじゃん!」
父とちょっとした小芝居をすると、部屋の外で遠ざかる足音がした。
父と顔を合わせ、ニヤリと笑う。
「さて、邪魔者は消えた。単刀直入に言おう。」
「はい…」
「お前今、いくら稼いでいるんだ?」
「え…?」
単刀直入過ぎるというか、突然の事過ぎてびっくりしたが、ここは正直に言っておこう。
「えっと…この前まで取引先だった人からは舞台デザインに五万。で、昨日知り合いから衣装デザインの仕事が入って…それが二十万だったかな?あとは貯金が少し」
すると父は
「それだけあるならこの家を出ていったらどうだ?息が詰まるだろ」
「そうだね…でも智が出て行くまでは俺もここにいる」
「だ、そうだ」
父がそう言うと、扉が開き、ある人物が姿を表した。
「へぇー、出て行かないのを僕のせいにするの?外に出たく無いだけなのに」
智だ。誰も居ないと思っていた扉の向こうには彼が居て、聞いていたのだ。
「父さん!それは卑怯だ!」
「すまないな…」
父は少し顔を緩ませ、俺に謝った。
「で、どうなの?」
「それは、その…」
俺は訳も分からず曖昧な返事をする。
「…恋人でも作れば?」
突然こんな事を言い出すのだ。そりゃ驚くだろう
「はぁ…?家に閉じこもってる俺に恋人が出来ると思うか?」
「気になる子くらい居るんでしょ?」
智は俺の事など全て知っているかの様な口振りで、俺に話を振る。
「…いる」
そう答えたが、その子と付き合うなんて無理な事だと分かっている。だって…
「でも彼氏がいる…」
「別れさせれば?」
「そんな事できっ…るのか?」
「さぁ?でも本気なら手伝うよ?」
「本当に…?」
「僕が嘘ついた事ある?」
「…ない」
ぽすっ
俺は、どこにも居場所の無くなった、よく分からない感情からか、智の胸元に頭を置いた。
「ありがとう…でもそれまでは一緒に居てよ?」
「…分かってる」
智は少し間を置いてから答えた。本当は俺の事など置いて出て行くつもりだったのかもしれない…
「俺も、智の事手伝うから」
出来る事なら俺は長く智といたい。その為ならどんな事でもする。例え智に嫌われたとしても…
「それは要らない」
そんな覚悟をしたはずなのに、俺の気持ちはすんなりと振り払われる。
「え?なんで?」
俺は思わず顔を上げて、智を見た。
「ふふっ…自分で奪うよ」
智は口角を上げ歯を見せ、勝ち誇ったかの様な笑みを見せる。
自信に満ちた顔だ。
俺はやはり智を信じる事しか出来なかった。
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