8 精神と欲求、在るべき姿の崩壊

 ヴァミリアに連れられて着いた場所は、貧民の町だ。

 ヴィクティリア領の片隅にある、お金のない人々が暮らす町。

「この奥よ。」

 ヴァミリアの指示のもと、洞窟の中に入る。

 洞窟の中には、鉄格子で囲まれた牢屋のようなものが幾つもあった。

 大半の牢屋には何もないか、骨がある。

 ここで死に絶えてしまった人のものだろう。

 随分奥まで進んだ時、牢屋に少女が入っていた。

 よく目立つ金髪。

 洞窟の中を照らすかのごとく光る翠の眼。

「君は‥」

「また来たのかよ、赤髪のねぇちゃん!」

 いきなり少女が吠えたのだ。

「にぃちゃんでもいい、早くここから出せよ…」

 力ない少女の訴えが、洞窟中に反響する。

「もう‥嫌なんだよ。こんなとこ。」

 彼女の言葉、一つ一つが、ヘクセレイの心に突き刺さる。

「ある日な、黒と赤の服着た連中にここに入れられてよ…そっから3年…変わらねぇんだ。」

 少女が小声で自分の人生を振り返る。

 ヘクセレイはそれを心して聞くことしかできない。

「元々よ、学校が火事になって誘拐されてここにきて、赤髪のねぇちゃんが毎日飯をくれるんだけど…楽しみはそれしかない。」

 景色が変わるわけでもないこの洞窟で暮らすのがどれほど辛いのかが伝わってくる。

「私のいる前の牢屋にも、お爺さんが居たんだ…」

 少女は自分のいる前の牢屋を指さして言う。

「前までは、その爺さんと話してたんだけど、3カ月前に逝っちまった…」

 少女の美しい眼から大粒の涙が零れ落ちる。

「私が何をした?こんなとこ閉じ込めるならさっさと殺してくれよ…にいちゃんがその剣でぶった斬ってくれても構わない‥だからー。」

 ここにいることが、生きていることが苦痛だと訴えている。

 ヘクセレイは自分の剣に目を落とす。

(殺れるわけ…ねぇだろ…)

 自分にそんなことはできないし、するつもりもない。

 無理だろう。

 不可能だろう。

 思考回路が支配されていく。

 ——。

「こんなのこの鉄格子ごと!」

 ヘクセレイは鉄格子を思いっきり掴むが―。

「おい兄ちゃん!」

 もう遅かった。

 鉄格子に触った途端、体内に電撃が走った。

「イッ!」

 これは牢屋ではない。

「これは…『檻』!」

 聖結界の亜種の術式。

 

 背後で、何かが弾ける音がした。

 生温い液体が飛び散る。

「ヴァミリア!」

「赤髪の姉ちゃん!」

 ヘクセレイと少女の声が重なった。

 背後から、風を切るかのような一撃で、背を切り裂かれた。

 ヘクセレイもヨルムンガンドの一撃が残っている。

「誰だ!」

 背後に誰かの影がある。

「誰って…名前を言わなきゃ分からないってか?」

 なんだろう、話すだけでムカつくこの人。

 赤と黒の忌々しさ漂う服を着る男。

「じゃぁ、まずはあんたが名乗りなよ。」

 随分上から目線な態度の男だ。

「初対面で上から目線過ぎないか?」

 ヘクセレイの剣がカチッと抜ける音がした。

 相手から殺意が漂っている。

「今どきの若者は情けねぇなぁ・・」

 男は呆れ顔でこちらを睨む。

「しょうがない…俺はアニマス総指揮官、ヴィクト・マリシャス!『悪意』を冠する者!」

 名乗りと同時に、風を切る真空の波動がこちらへ向かってくる。

 バク宙でどうにかかわし、洞窟の壁に穴をあける。

「お前…『悪意』っってことは、精霊か⁉」

 ヘクセレイが思う精霊とは感じが違う。

「そうだとも。僕は精霊『ジャネリア』本名は違うけどね。」

 ややこしいし、イラつく。

 そして、こいつこそが、アニマスの総指揮官。

「さて、その少女の身柄をこちらに。」

 ヴィクトが、手を差し出す。

「渡さないというのなら、武力行使するけどいいのかな?」

 ヴィクトの手に魔力が込められる。

「悪に酔ったけだものめ…」

 ヴィクトの目に浮かぶ殺意が増幅する。

「そんな剣で、勝てるとでも⁉」

 真空波で、剣が簡単に吹き飛んだ。

「な…⁉」

「終わりかい?それだけか!」

 真空波とは違った技を繰り出す。

 奴の手には心臓が握られている。

 そして、その心臓を潰したのだ。

「あがっ!」

 少女がもがき苦しむ。

「お前…」

 あり得ない行動に出た。

 さすがのヘクセレイもお冠だ。

「今のお前が、俺に打ち勝てるとでも思ったか!ーッ!」

 ヴィクトがいきなり跪く。

 背後からの魔弾。

 ヴァミリアはまだ生きている。

「おのれ…貴様ら…」

 立ち上がろうと、檻の鉄格子を触る。

『あっ』

 三人の声が重なる。

 ヴィクトの顔が見る見るうちに青ざめて行く。

「これは…干渉されて…ウガァァァァァァ!」

 腕に焼かれるような衝撃が走ったのだろう。

 それはそれは、しっかり力を込めて握りましたから。

「一時退却としよう。」

 ヴィクトは手を抑えながら黒い煙に包まれて消えた。

「あれ…檻が?」

 少女が檻に触っても何も起こらない。

 ヘクセレイは、ヴァミリアの傷の応急処置を終える。

「あいつが干渉し合ったおかげで檻の効果が無くなった?」

 ヘクセレイは強引に鉄格子を捻じ曲げて、少女を出す。

「やっと…解放された…」

 少女は自由を得て飛び回る。

 その直後だった。

 世界が、大地が、大気が、割れた。

 地盤に亀裂が入り、急激な隆起と沈降が始まる。

「何が起きて…」

 思考が停止する。

 少女がヘクセレイのコートの裾を掴む。

「どうなってやがる…」

 蒼かった空は、紫紺に染まって行く。

「セカンド・ラグナロクか?」

 それにしては、前兆がないのはおかしい。

「あれは…」

 ヴィクトだ。

 天にヴィクトが昇っていく。

 そして、紫の輝きが世界を包む。

「俺は力を得た!」

 世界中にヴィクトの声が響き渡る。

「俺こそが、『破壊』ヴィクト・ヘリヤ!」

 あれは、先程のヴィクトとは思えないほど悍ましい姿だ。

 揺らめく紫の髪。

 紅く光る両目。

 赤と黒に包まれた服ではない。

 黒を強調とした服。

 中心でうごめく紫の『闇の結晶』。

 割れた大地から、植物が出てくる。

 食虫植物が、人を飲み込み、魔獣に変える。

「なんだよ…これ。」

 悪夢に他ならない絶望がヘクセレイを襲う。

「来た来た。」

 ヴァミリアが指さす方向。

 そこには、翡翠や、バルドルもいる。

「さぁ、役者は揃ったわ…」

 ヴァミリアは空中に鎮座するヴィクトを睨む。

 


 クラミアは家の窓から空を見上げていた。

「ついに来たのね…ここまでやった甲斐があった——。」

 クラミアの目に殺意が浮かび上がる。

「在るべき姿は、今壊れる!」

 そして、この狂婆も叫ぶのだ。

「ここに始まる!『セカンド・ユグドラシル』!」

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