思いを遂げる④

 七月上旬、勇からとある話を持ち掛けられた。

「祝賀会?」

「うん、ここ最近いろいろあったけど、少し落ち着いてきたし、どうかなと思って。今回の取立と引っ越し祝いだ」

 さくらは少々驚いたが、発案したのが左之助だと聞いてなるほどと腑に落ちた。

「あの家も、人手に渡すんだろう。だからまあ、その前に試衛館生え抜きの皆で、水入らずでだな」

 あの家とは、菊が去った後の妾宅である。さくらの変装場所としての役割も薄くなり、住んでいた菊もいなくなり、もう維持しておく必要もなくなった。新しい屯所では広い部屋も宛がわれているし、変装に必要な荷物も持っておける。家は、手放すことになっていた。

「わかった。たまには皆で、羽根を伸ばそう」


 集まったのは、さくら、勇、歳三、源三郎、総司、新八、左之助の七名だった。初めて上洛した時のことを思えば本当はもう二人いるはずだったのに、ということは、誰も口にしなかった。

 とにかくも、今日は楽しい場にしようと、皆笑顔だった。

「それじゃあ皆、此度の幕臣取立と、新屯所移転を祝して、乾杯!」

「かんぱーい!」

 勇の音頭で、各々が杯を傾けた。飲むなり、総司が咳き込んだのでさくらは背中をさすってやった。

「二杯目からは白湯にしておけ。私もそうするから」

「やっぱりお前は屯所で休んでいればよかったんじゃないのか」

 源三郎が心配そうに言った。総司は「平気ですよ」と笑ってみせた。

「いよいよ具合が悪くなったら、隣の部屋で寝てますから」

「よし、総司、その意気だ! 潰れるまではどんどん飲め!」

「左之助、今人の話聞いていたか!?」

 新八がすかさず突っ込んだ。その後も冗談を交えつつ、他愛もない話で時は過ぎていく。

「それにしても、試衛館で毎日ただただ木刀を振っていた日々から考えると、感慨深いなあ」

 源三郎がしみじみとして言った。皆、うんうんと深く頷いた。

「特に近藤さんは将軍お目見えの立場だもんなあ。よっ、出世頭!」

 左之助の呼びかけに、勇は照れ臭そうに頬を掻いた。

「皆のおかげだ。これからも一緒にがんばろうな」

「お目見えといえば、歳さんやさくらも将軍様に会ったんだよなあ。どうだったんだ」

「……そりゃもうものっすごく緊張したぞ」

 さくらは白湯を飲みながら源三郎をじっと見た。それから慶喜との対面時のことを、詳しく話して聞かせた。

「近藤さんもすげえけど、さくらちゃんもすげえよなあ。女の身でとうとうそこまでいったかって感じでよ」

「まったくだ。初めて会った時から只者ではないと思っていたが、まさかここまでとは」

 左之助と新八が感心して言うので、さくらははにかんだ。

 本当に、あの頃、こんなことになるなんて想像もできなかった。奇跡のような現実を噛みしめながら、さくらはちびちびと肴に手をつけた。


 そのうち物足りなくなったのか、左之助が遊女を二、三人呼びつけてさながら後半戦ということになった。まだ大丈夫だという総司を無理矢理隣の部屋に寝かせ(口の割には、すぐに寝入ったのでやはり疲れたのだろう)、さくらはもう一杯くらいはと思い猪口を手に縁側に出た。雨戸が半分閉まっていることもあり、部屋の中の様子は見えない。楽しそうな嬌声だけが、どこか遠くから響くようにこもって聞こえた。

 綺麗な三日月が出ていた。のんびりと月を眺めるなんて、久しぶりだ。これからますます忙しくなって、こんな時を過ごすこともなくなるのだろうか。試衛館にいた頃のことが、少しだけ懐かしく思い出された。

 しばらくすると、物音が聞こえた。歳三がゆったりと出てきて、何も言わずにさくらの隣に腰を下ろした。

 歳三は何も言わない。さくらも、急に何を話したらいいかわからない。手持ち無沙汰に、もうほとんど中身の入っていない猪口を口につけた。

「この間のあれ、どういう意味だ」

 歳三がおもむろに切り出した。この間のあれ、と言われてもさくらにはピンと来ない。歳三は「主従がどうたらってやつだ」と付け加えた。

「ああ」

 さくらは気のない返事をした。確かに、あれ以来二人の間にはなんだかギクシャクした空気が流れていた。こうしてゆっくり話すのは久しぶりに思える。

「あれか。あれはお前が、公方様と同じようなことを言うから。生きている限りは俺に尽くせ、みたいな」

「馬鹿野郎。そういう意味で言ったんじゃねえ。それを言うなら、慶喜公のあの発言、俺は看過できてねえんだ」

「看過するかしないかをなぜお前が決める。恐れ多いにもほどがあるぞ」

「……ってよ」

「え?」

「だってよ、あれじゃまるで、これから添い遂げる奥方にでも言うみてえな、そういう風にも聞こえるじゃねえか」

「はあ? 何を言っているのだ。あれは家臣として働くにあたっての覚悟を聞かれていたのだぞ。光栄な話ではないか」

「んなこたあわかってるよ。ちょっとばかし気になっちまっただけのこった」

 ここでさくらは、ある違和感に捕らわれた。頭の中で記憶を手繰り寄せる。

「あの時、歳三、どういう……?」

 歳三は、ちらりと部屋の中を見た。皆遊女に夢中になっているか、ごろんと寝転がってうとうとしているかで、とにかく誰もこちらの様子は気に留めていないようだ。

 そして、振り向いた歳三の頬はわずかに赤くなっていた。遅れて酔いが回ったのだろうか。さくらがそんなことを考えた瞬間、歳三がさくらの腕を引いた。不意のできごとに体勢を崩したが、立て直せなかった。歳三が、さくらに口づけていた。

「俺の傍を離れるな。意味がわからねえとは言わせねえ」

 茫然としているさくらをよそに、歳三は悔しそうに続けた。

「……くそ、こんなん、言うつもりなかったのによ。酒のせいか」

「な、なんだそれは。酒の勢いでたまるかっ。私は、は、初めて……」

 歳三は目を丸くして、「そうか。そりゃすまなかったな」と白々しく謝った。だが、謝られるとそれはそれで惨めな気持ちになってくる。さくらは何か言ってやらねば気が済まないが、何を言えばいいやら逡巡していると、また歳三が話し出した。

「酒を持ってこよう。飲め。忘れろ。今まで通りだ。同志として、新選組の仲間として変わらずにいれば同じことだ」

「馬鹿野郎はお前だ。そんな簡単に忘れろなんて」

「お前にとってもその方がいいだろ……気持ちっつーか、人並みに意思みてえなもんはあるはずだ」

 歳三の目を、直視できなかった。さくらは地面の適当な場所に視線をやりながらも、笑みを浮かべた。わかっていないのだ、歳三は。いつもなんでも先を読んでいるような歳三が、歳三のくせに。

「私の気持ち、ということで言うならな。言われなくても、私はお前の傍を離れない。……ただし素面で同じことが言えるなら、な」

 最後に精一杯の照れ隠しを付け加え、さくらは所在無げに足をぶらぶらさせた。だが、次の瞬間にはぐい、と引き寄せられ、歳三の腕の中にさくらはすっぽりと収まっていた。

「言ってやろうじゃねえか。何回でもな」

「ふん、偉そうに。だいたい、年下のくせに生意気なんだ、お前は」

「何言ってんだ。ひとつしか変わんねえだろ。それに……俺は酔ってねえ」

 さくらはふふ、と微笑み、歳三の腕をぎゅっと掴んだ。

 いつの間にか四人の男たちの視線を集めていることにも気づかず、二人はそのまましばらく離れなかった。




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