予期せぬできごと②

「その女の密偵というのは島崎、そなたであろう」

 なぜバレているのだ、と言いたいところであったが、さくらとしては思い当たる節がある。一度、坂本と堂々接触しているのだ。その後町中で姿を見られたとか、察せられる可能性はいくらでも考えられた。

 佐々木は勇から書状を回収すると、溜息をついた。

「忠告だ。これを受けて島崎が密偵をやめるかどうかという判断はその方に任せる。だが、続けるというのなら敵方に感づかれているということを前提に行動するのだな。まあ、そのなんだ……島崎の偵察行動がすべて凶と出たわけでもあるまい」

 佐々木はコホンと咳払いをすると、若干悔しそうな顔をしつつも、こう言った。

「島崎が……新選組が、いち早く薩摩と長州の繋がりに気づいたからこそ、そういう前提でこれまで何かと動くことができた。その点については、手柄といって差し支えないだろう」

 さくらは驚くとともに、笑みを隠しきれなかった。自分の働きが、新選組の外で認められたのだ。それがこんなに心満たされることだとは思わなかった。

「そうでしょう、佐々木さん。私がおなごとしていろいろ働くのも悪い事ばかりではないのですよ」

「調子に乗るな。私は、諸刃の剣だと言っているのだ。今後の行動にはよくよく気をつけるように」

「申し訳ありません、佐々木さん。その件はこれからよく話し合いますので」

 勇が割って入り、その場を収めた。佐々木はうむ、と頷くとそれきり黙り込んでしまった。

「まだ何か」

 佐々木の苦々し気な顔を見て、歳三が切り出した。確かに、今の話をするためにわざわざ来たというのも不自然である。

「うむ。本題はこちらといっても過言ではないのだが。七日後に広く世間に知らせる予定だ。お前たちには先んじて伝えてよいと殿(松平容保)が仰せでな。とは言え、まだ新選組の中でも幹部連中の間だけに留めておいて欲しい」

 一体何の話だろうと思ったが、醸し出される重苦しい空気に、さくら達は固唾を飲んで佐々木を見つめるしかなかった。佐々木は言いづらそうに口を開いた。

「公方様が、身罷られた」

 それを聞いたさくらは、公方様って、どの公方様? と一瞬思考が追いつかなかった。将軍・家茂はまだ齢二十歳を過ぎたばかりではなかったか。此度の長州征討においても、大坂城に布陣し指揮を執っていたはずなのに。

 呆気にとられている三人をよそに、佐々木は淡々と説明した。

「急な病でな。松本殿ら奥医師も集まって手を尽くしたが、駄目だったそうだ。七月二十日のことだ」

「そんな……なんておいたわしい。まだまだこれからというところだったのに」

 勇は声を震わせ、膝の上で拳を握りしめた。今にも涙を流しそうになるのをこらえているようだった。反して、歳三は冷静に質問をなげかけた。

「では、これから幕府はどうなるのですか。戦の行方はもちろん、次の公方様のことも」

「公方様は徳川家の跡継ぎに田安の亀之助様を、と遺言されたようだが、亀之助様はまだ幼い。とてもこの時局を乗り切るのは無理だろうというのが大方の見立てだ」

「それでは……」

「すでに一橋慶喜様が徳川宗家をお継ぎになると決まったそうだ。だが、慶喜様は将軍職については乗り気ではないらしい」

「の、乗るとか乗らないとかそういう問題なんですか! 今この時期に将軍様が不在だなんて……! 長州との戦は待ったなしだというのに」

 さくらの剣幕に、佐々木は眉間に皺を寄せて頷いた。

「その戦だがな。早晩、撤退を余儀なくされるだろう」

「撤退……? 幕府が、ですか?」

 勇が信じられない、といった様子で尋ねた。さくらは以前捕縛した浪士・篠塚が口にしていた「倒幕」という言葉を思い出していた。

 ――幕府が、負ける? 長州に? 倒幕なんてものが、本当に成るというのか……?

 それは、口に出すのも恐ろしい考えだった。

「これから、幕府はどうなるのですか」

 勇が、歳三と同じ質問をした。先ほどよりも、より悲壮感を漂わせて。

「それは私にもわからぬ。だが、今はやれることをやるのみ。薩長はイギリスと繋がって武器を調達しているようだが、幕府は今フランスとの交渉を急いでいる。なに、徳川がいち外様などに屈してたまるか」

 ――そうだ。あり得ぬ。幕府が倒れるなど、あるはずがない。

「倒幕」が現実になってしまうのではと少しでも思ったことをさくらは恥じた。佐々木の言う通り、今やれることをやるしかないのだ。

「慶喜様を中心に、再度仕掛ける可能性もまだ十分にある。それまでは、新選組もとにかく鍛錬を怠らぬよう」

 そう言って、佐々木は帰っていった。

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