色恋、いろいろ⑥

 数日後、総司は福のところにいた。

「沖田はん、すっかりお父ちゃんが往診に出る間を読めるようになったなあ」

 縁側に腰掛け繕い物をしている福は、可笑しそうに言った。

「人聞きの悪い言い方しないでほしいな。私はその、心配なんですよ。籐庵さんがいない間、お福さんはここにひとりきりでしょう」

「それ、閑古鳥が鳴いてるいう意味?」

「どうしてそうなるんだ。だいたい、医者にかかる人なんて少ない方がいいじゃないか」

「そらそうや。けど皮肉なもんでなあ、うちは怪我人や病人のおかげで食べていけてるんです。そや、新選組ができたころから、怪我人が増えて商売繁盛しとるんですえ」

「それは嫌味ですか」

「さあ?」

 キリがよくなったらしく、福は針仕事の手を止めた。

「ここに来るいうことは、沖田はんも患者はんや」

 そう言うと、福はおもむろに総司の手を取った。総司は、これになかなか慣れない。どぎまぎとして手を引っ込めたくなるが、これは診察なのだ。福は総司の手首に指を乗せると、じっとそこを見つめた。

 総司にはその時間がとても長く感じられた。そして、考えてしまう。自分は福にとってたくさんの患者のうちの一人なのだと。それでもいいと思う自分と、それでは少し寂しいと思ってしまう自分が、交互に顔を出す。

「うん、脈拍は正常。今日は顔色もええみたいやね」

「……毎度のことだけど、本当にお医者さんってすごいや」

 総司は胸の内が悟られないよう、努めて明るく言った。福は、柔らかく笑んだ。

「沖田はんは、うちが女だてらに医術をかじってること、不思議に思わへんのですか? 兄が生きてる頃なんか特に、『女に学なんか必要あらへん、それより花嫁修業が大事や』ってよく父に怒られたもんです」

 総司は、言われて初めて気づいた。普通、いくら医者の娘だからといっても女の福が医術を学べば、奇異なこととして扱われるだろう。

「全然そんな風に思わなかった。私には姉貴分というか、おなごの師匠がいるんです。その人も道場の一人娘で剣術がめっぽう強いんだ。そういう人を見て育ったからかなあ」

「……もしかして、この前うちに来た人?」

「わかりますか」

「なんとなくな。男の人にしては、小柄やったし。なんにせよ、それならあの方に感謝やね。沖田はんに、気味悪い思われんで済んだんやから」

「そんな、気味悪いだなんて」

「せやけどなあ、沖田はん。世の中、うちみたいなはねっかえりは願い下げやいう人もぎょうさんおるんや。せやから二十歳になっても貰い手がよう見つからんで」

 貰い手、という言葉に総司はどきりとした。勇に言われたことが脳裏に蘇る。


『その医者の娘には確かに世話になった。篠塚を話ができるほどに介抱して治してくれたことは、恩に着なければならない。だが、それとこれとは別だ。もう、あそこに通うのはやめなさい。相手は遊びではないのだ』

 ですが、と総司はこの時勇に反論しようとした。左之助だって、町方の女を娶って所帯を持っているではないか、と。そして、自分にひどく驚いた。

 ――私は、お福さんと夫婦になりたいのか?

『あの、ですがその、松本先生も言ってたじゃないですか。自分の体のことに関心を持てって。だからその、これからも近藤先生たちのお役に立てるように……』

 口から出まかせの苦しい言い訳なのはわかっていた。そして、勇にはお見通しだった。

『それなら、松本先生のお弟子さんたちにまた健診をお願いしよう。だから、あそこに行く必要はないだろう』

 そういう自分は妾をとっかえひっかえしているくせに。喉まで出かかって、総司はぐっと飲み込んだ。

 ――駄目だ。近藤先生にこんな……

 総司は、口角をあげて笑顔を作った。

『それもそうですね。でも、いきなり行かなくなるのも不義理ですから、今度挨拶だけ行ってきます』


 今日総司は、福に別れを告げに来たのだった。

「沖田はん」

「お福さん」

 互いの名を同時に呼んだ。総司は、「先にどうぞ」と福を促した。福は少し押し黙ったが、やがてゆっくりと口を開いた。

「お父ちゃんが方々ほうぼう動いてな。縁談持ってきたんや。こんな年増でもええいうてくれはって、お婿に来てくれるんやて。うちはお相手にまだ会ったこともあらへんけど、こないにええ話はもう二度とあらへんからって」

 総司はなんだか拍子抜けしてしまった。自分から切り出すまでもなく、別れの時はすぐそこまで来ていたのだ。それと同時に、もやもやとした感情が胸の内に渦巻いた。

「そうか……それは、おめでとうございます。よかったですね」

「おおきに。向こうもお医者さんの家の人みたいやから、うちもいろいろお手伝いできると思うんよ。それはええことやと思うとる。けど……やっぱり不安な気持ちがないというたら嘘になります」

 福は、笑おうとしたようだが、総司の目にはそれがうまくいっているようには見えなかった。

「って、すんまへん、うちの話ばっかり。沖田はんのお話は……?」

 総司は、口に出して答える前に、福を抱き寄せていた。

「沖田はん……?」

「すみません」

 謝りつつも、総司は福を放すどころか、抱きしめる腕により力を入れた。福も、おずおずと総司の背中に腕を回してきたのがわかった。

 総司は、そのまま福に語り掛けた。

「私は、今日お別れを言うつもりで来たんだ」

「ほんま? せやけど、縁談のこと知らなかったはずやのに。……うちのこと、嫌いになった?」

「そんなわけない」

 総司は体を離し、福をじっと見つめた。綺麗な目だなあ、なんて悠長に思っている場合ではないのに、総司は見惚れていた。

「今までのことは感謝しているし、その、私の体を気遣ってくれたのも、嬉しかった。ただ……新選組の沖田総司が、これ以上関わるのは、やっぱり申し訳ないから。お福さんを嫌いになったわけじゃない。むしろ……こんな風に想ったのは初めてだった」

「沖田はん……」

 福は、総司の手を取った。顔を赤らめて、総司の顔ではなくその手に視線を落とす。

「うちも、初めてでした」

 福が顔を上げると、互いの視線がぶつかり合った。どちらからともなく、吸い込まれるようにして、二人は口づけた。


 ***


 総司は、振り返ることなく診療所をあとにした。屯所にまっすぐ帰る気分にはなれなかった。川辺で風でも浴びようと、鴨川の河川敷に向かっていった。今日は残暑が厳しい。こんな日は、涼しいところにいるべきなのだ。木陰でぼんやりするのも、たまにはいいだろう。


 風は、やけに冷たかった。総司は、自分が涙を流しているのに気づいて、ぐいと袖で拭った。


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