勇、広島へ①
勇が京を発ってから、ひと月が経とうとしていた。さくら達に便りは来ない。向こうの様子がどうなっているのかは、皆目わからなかった。
だが、気を揉んでも仕方のないこと。勇のことを信じて、留守をきちんと務めるしかない。
この頃、諜報活動に重点を置いていたさくらにとって少々久しぶりになる捕り物は、脱走隊士の追跡だった。
「そっちに行ったぞ!」
「追え!」
狭い路地裏を縦横無尽に駆ける。状況を見て歳三が瞬時に指示を出した。
「島崎、右から回れ。沖田は左から。藤堂、谷さん、夜番の
今回の脱走者追跡には、いつも以上に力が入っている。まず、副長自ら出張ることは珍しい。そして、普段は監察としての報告を終えたら実働部隊に引き継いでいるさくらが直接出動することも久しぶりである。
さくらは言われた通りに右へ曲がった。京の道は規則正しく路地が交差しているので、気を付けていないとどの方角に曲がったのかわからなくなる。北に逃げたのは確かだから、どこかで左折しなければならない。周囲に目を配りながら走っていると、怪しい人影が目の端に映った。
「待てッ!」
ひらけたところに出ると、その人物が神社の境内に入っていくのが見えた。さくらが追うと、前方から歳三も走ってきた。
「この中か」
「ああ、確かに見た」
二人は境内へと駆けた。提灯で人影を照らすと、その姿は確かに脱走隊士として追っていた男だった。
歳三が、低い声で告げた。
「桜井勇之進。隊規違反の咎で、処断する。まずは屯所まで共に来てもらおう」
だが、桜井は大人しく従う気はないようで、スラリと刀を抜いた。
「い、いやだ。俺は、死にたくない」
「ほう、抵抗する気か。私たちも舐められたものだな」
さくらも、抜いた。本当は屯所に連れ帰って正式に切腹をさせるべきではあるのだが、応戦するのであれば、この場で斬り捨てることになっても仕方がない。
同じく、歳三も刀を抜き、二対一の戦いが始まろうとした。桜井は、殺気をまとっている。この状況でも勝利を諦めていないのは感心だ。またひとり、惜しい男を亡くしてしまうのだな、とさくらは一瞬感傷的になった。
「行くぞ」
歳三の声で、我に返る。刀を構えたその時、
「土方さん、島崎さん!」
新八の声が聞こえた。桜井に背を見せるわけにはいかないので振り返って確かめられないが、足音の数からして二番隊の面々を引き連れて来てくれたことがわかった。
さすがに多勢に無勢と諦めたのか、桜井は大人しく縄につき、屯所へと戻った。
その翌日。桜井の切腹は、ほぼ全ての隊士が見ている中で、行われた。
局長がいないからといって気を緩めるとこうなるぞ。
歳三の意図は、嫌というほど隊士に伝わった。
数日後の稽古のあと、汗を拭おうとさくらが井戸端へ行くと、新八が水を汲んでいた。
「今日の師範は島崎さんでしたか。……どうですか、皆の様子は」
というのはもちろん、目の前で同志の切腹を見て気落ちしている者がいないかという意味である。さくらはゆっくりと答えた。
「うん……少し鈍くなっている者もいたが、ほとんどの者は、いつも通りだ」
新八は、小さく溜息をついた。
「仲間の切腹が日常茶飯事になって、皆が慣れてしまっている。人のことは言えませんが……。やはりこんなことを続けるのは……どうなんでしょうね」
「新八は……法度を廃止すればいいと思うか?」
さくらの問いに、新八は口ごもった。
「こういう時、情に流されたら、山南さんに顔向けできない。私が脱走隊士を追う理由は、それだけだ。確かに歳三は最近一層厳しくなっているが……あいつはあれで新選組のことを一番に考えている。それに、皆が歳三を恐れればそれだけ帰ってきた勇を皆が慕うようになるだろうし」
「それは、一理ありますが。土方さんは、それでいいんでしょうか」
「私たちが、わかっていればよいのだ。江戸にいた時の、ただの小憎たらしいだけの歳三のことを、思い出せばよい」
な、とさくらは新八に念を押した。昨年のような仲間割れ騒動だけは、もうご免である。
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