託された思い➀



 慶応元(一八六五)年も、気がつけば残すところ二か月余りとなっていた。

 さくらの報告は重大な事項ではあったが、その後坂本と西郷が会っている様子はなく、彼らが何か悪事を働いている証拠もつかめてはいない。引き続き調査はしていたが、目下、新選組としてはそれどころではない事情に対応しなければならなかった。その事情というのが、将軍家茂の辞職宣言騒動である。

 徳川家茂とくがわいえもちは征長戦の勅許を得るために上洛していたが、前後して二人の老中が諸外国に対して兵庫開港を約束してしまうという出来事が起きる。この攘夷とはまるで逆行した行いを受け、朝廷側は老中を罷免したのだが、朝廷の介入に家茂はヘソを曲げてしまった。そのまま、将軍職を辞して禁裏御守衛総督きんりごしゅえいそうとく一橋慶喜ひとつばしよしのぶにあとは譲るとまで言い出す始末であった。

 もちろん、慶喜も、京都守護職・会津藩主の松平容保まつだいらかたもりも、その配下の勇たち新選組も、「ハイそうですか」と認めるわけにはいかなかった。弱冠二十歳の家茂を皆でなだめすかして説得して、なんとか辞意を撤回させることができたというのが、事の顛末である。

 この一件がひと段落したので、勇はいよいよ長州征伐に向けた視察に随行する準備を進めていた。

 幕府大目付・永井尚志ながいなおゆきの供として、長州に潜入するのだ。薩摩と何を企んでいるのか全容は掴み切れていないが、長州に武器が渡っていることは確かだ。本格的な征長戦の前に内情を探りたい。さらに、長州を牽制し、幕府有利に征伐を進められれば御の字。新選組からは、他に伊東や武田ら、頭脳派の面々を連れていく予定だ。


 出発が近づいてくると、勇は歳三を呼んで留守の間の連絡事項を申し伝えた。

「本当に行くんだな」

 歳三がしみじみと言った。

「ああ。留守を頼むよ。おれはおれで、必ず何かしらの成果を持って帰ってくる」

「……気をつけろよ」

 短い言葉だったが、歳三の気持ちはよくわかった。本当は歳三も連れていきたかったが、今回は長旅になる。局長・副長の両者が屯所を空けるわけにはいかなかった。

「監察からは、山崎君と吉村君を連れていくよ。さくらはさすがに難儀することもいろいろあるだろう」

「ああ。懸命な判断だな。四六時中伊東と一緒ってのもよくない」

「トシ……もし、もしもおれが討たれるようなことがあったら、新選組を、頼むぞ」

「おい、物騒なこと言うなよ」

「敵地に行くんだ。一応偽名は使うが、もしかしたらおれの顔を知っている者もいるかもしれん。池田屋からこっち、恨みは買っているからなあ」

 歳三がいつになくうかない顔をしているのがわかった。心配してくれているのだろう。それだけで、勇は嬉しくて、心強かった。

「明日、さくら達には家のことを話そうと思うんだ」

「家のこと……?」

「おれの身にもし何かあれば、近藤家のこと、天然理心流のこと、託さなければいけないからな」

 今までだって、斬り合いで死ぬとか、恨みを募らせた浪士に屯所が急襲されるとか、そういう最悪の事態は想定して日々隊務に励んでいるが、今回は一段と”最悪の事態”が身近な懸念として迫っている。勇の発言で、歳三は改めて事の重みを感じたようである。二人の間にぴりりと緊張が走った。しかし、歳三はややあって「そうだな」と冷静に返答した。そして、遠慮がちにこう尋ねた。

「聞いてもいいか。どうするのか」

「もちろんだ」

 勇は笑みを見せ、歳三に一通の手紙を差し出した。江戸にいる妻・ツネに宛てた手紙だ。歳三が読んでいいのかと尋ねたので、勇は大きく頷いた。

 そこには、家のことは周平に継がせること、天然理心流の五代目宗家を総司に頼みたいという旨が書いてあった。

「総司か、五代目は」

 歳三が呟いた。続けて「さくらは」と聞きたいのだろう。勇は、言われる前に応えた。

「さくらには、総司を支えてやって欲しいと思ってる。……わかるだろ。今や、総司に勝てるやつなどほとんどいない。さくらだって、例外じゃないんだ。それはあいつもわかってる。前に、周平を養子にした時、さくらが言ってたんだ。五代目は総司がふさわしい、とな。今更、年功序列とか血縁とか、そういうのを理由に宗家になったところで、さくらは納得しないだろう」

「ああ。確かにあいつなら、実力で六代目になってやる、なんて息巻くような気がするな」

 勇はそうだろう、と笑みを浮かべ頷いた。

「さくらのことはさ……」

 その先を言いよどむ勇に、歳三は「なんだよ」と促した。

「うん、さくらのことは、お前に託すよ」

「託すってなんだよ」

 歳三がわずかに目を吊り上げたので、勇ははっきり言うのをやめてしまった。

「まあほら、今まで通りさくらの任務を気にかけてやってほしいというか」

 そんな当たり障りのないことを言って、お茶を濁した。

 歳三は絶対に認めたがらないだろうが、勇は随分前から気づいていた。歳三がさくらに対して懸ける気持ちには、単なる同志、姉弟子、それとは別の、それ以上のものがあるということに。

 自分がいなくなって、動乱の時代が終わったら、新選組など必要のない時代になったら、剣術がめっぽう強い以外は普通の女子に戻ったさくらと、幸せに暮らして欲しい。

 そんなことを、勇は考えていた。が、

 ――問題はさくらの方だよなあ。

 たぶん、さくらは本当にただの仕事仲間、同門のよしみ、くらいにしか歳三のことを思っていないだろう。それがわかっているから、むやみにけしかけるのも憚られる。

「トシとさくら、なんだかんだいい相棒同士っていうのか? 息の合う二人だと思うから。新選組のこと、頼むよ」

 今は、それを言うのが精一杯だった。歳三はまだ何か納得していないような顔で

「ああ、わかったよ」

 とぶっきらぼうに言った。


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