第38話 土曜の夜の出来事

「あの、今日はこれ、返しに来ただけなんだ」

 空っぽのタッパーを入れた買い物袋を肘に引っ掛けているのだが、それを差し示すのを、手を合わせていた僕は横着した。口を尖らせて示したつもり。すると、またまた笑われた。これはだめだ。ちょっとした仕種も笑いにつながってしまう。昨晩あのあとどうなったかをできれば聞きたかったんだけれども、もう、タッパー置いて帰ろうかな。

「それだけ笑えるってことは、何ともなかったんだ。よかった、安心した」

 柄にもなく真顔かつ真面目口調で言い、袋を渡して背中を向ける――つもりだったのに、三井さん、袋を受け取ってくれない。

「何ともなかったって、何の話?」

 あ、そこから説明がいるのか。正面から尋ねられると答えにくいが、彼女の方から言い出したんだから仕方ない。

「そのー、由良さんと僕が変な雰囲気になって、ほら、気まずいというか。怒ってただろ、由良さん。あれであのあと由良さんと夕餉を囲んだのかと思うと、心配で気になっていた。今の三井さん、無理して笑ってる感じはしないから」

「……」

「余計なお世話だった?」

 標準語で話すと気取った語調になるのが自分でも分かって、むずむずしてきた。それにこの雰囲気。話題が話題だけに、関西弁に戻して冗談ぽくしたくなってきた。実際言い直そうかとしたとき、三井さんが先に口を開いた。

「ううん。余計じゃないよ」

 そしてタッパーの入った袋を受け取る。

 余計なお世話じゃないってことは……深刻に受け止めるべき発言か? だけど相変わらず三井さんは笑顔だ。そして付け足すように言った。

「お節介だなとは思わないでもないけど」

 どっちやねん。

「色々と思い違いがあるみたいだから、説明しておきたいの。岡本君、今はまだ時間ある?」

「あるある。一時間が五分になってもかまわんぐらい、たっぷりと」

「あはは。それだと私が困るわ。――えっと、まず、昨日の夜、由良さんとは一緒に晩ご飯を食べなかったわ」

「えっ、それって」

 あのあとやっぱり雰囲気がよくなくて、由良が三井さんを責め立てたとか? 僕の聞きたいことは顔に出ていたらしく、何も言わない内から三井さんが答えてくれた。

「違うの。単に仕事が残っているからって。そもそも予定より早く戻ったのは、片付けなきゃいけない仕事があったからみたい」

「そういうことか」

 想像が当たっていなくてほっとした。いや、本音を言えば由良と三井さんとが破局してくれた方がいいんだけど、でも現時点で三井さんが由良の怒りに触れて悲しむのは望むところじゃない。

「だから岡本君、あなたが持って帰れなかった分までおかずを食べて、体重が増えちゃうかも」

「――ごめん」

「じょ、冗談だよっ」

 判断しかねてとにかく謝ったんだけど、やはり冗談だったか。慌てて言う様が物凄くかわいらしくて、そんな三井さんを目の当たりにできたのでよしとしよう。それからこっちも冗談で返す。

「そんなに体重が心配なら、言ってくれればあのあと夜遅くに引き返して来てもよかったのに」

「食べたのは広海が一番だから。本当よ」

「疑ってないって。信じてます。それよりもまだ話したいことがあるみたいだけど?」

「――由良さんの昨晩の雰囲気から、私にも当たり散らしたんじゃないかって思ってるんでしょ?」

「そりゃまあ……」

 事実、三井さんにも食って掛かるような態度を見せてたし、由良の奴。

「そこが違うの。あのあと由良さんは、私に謝ってくれたのよ」

「へえ」

 安堵と落胆がいっぺんに来た。どちらかというと落胆の方が大きい。

「ちなみにだけど、どんな風に」

「どんなって、謝り方? それ聞く?」

「今後の参考になるかなーと。将来、恋人ができて怒らせてしまったときに備えて」

 もちろんこれは三井さんに答えてもらうための方便。

「特別なことは何もないわよ、多分。こう、手を合わせて謝って」

 合掌のポーズをする三井さん。袋のビニールがこすれてかさかさ音を立てた。

「『ごめんな、万里。疑ったりして』ていう感じだったかな」

「それだけ? 何か買ってくれる約束をしたとかは?」

「なしよ。それはね、私が演技でもむくれ続けてみせていたら、そういうプレゼントをするって方向に話が行ったかもしれないけれど」

「そういや、弟の広海君がぽろっと言ってたけど、由良さんは……倹約家なんだって?」

 別にケチだの何だのと煽ろうというつもりはなく、純粋に聞いてみたかった。三井さんは由良の財布の紐が固いことをどう感じているのか。

「もう、あの子ったら」

 空いている方の手を頬にあてがう三井さん。その台詞がちょっと母親めいて聞こえた。

「広海が倹約家なんて言葉を使うはずないわね。本当はどう言ったの、岡本君? ケチとかじゃない?」

「いや、言ってない。記憶する限りじゃあ、無駄を嫌う、みたいな表現だったよ」

「それならまだいいかしら……。いずれにしたって、しょうがないな。将来、おじさんになるかもしれない人をつかまえて、そんなこと言うなんて」

 今度は腰に片手を当てて、お姉さんぶる。何か、普段学校で見るのとは違う意味でかわいい……。

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