第37話 一戦交えた翌朝は

「馬鹿げてます」

 即答した。飛躍が過ぎる。「万里を好きなんじゃないか」と指摘されたら動揺もしたろう。だが、今の由良の見方では、ほとんどお笑い種だ。

「しかし、君は私が遠出している日時を見計らって、今日を選んだ」

「ひどいな。そんなこと、僕は今日、ここに来て、三井さんから聞くまで、全然知らなかった。予め知る必要もない」

「どうだか」

 由良が立ち位置をずらした。横目でにらんでくるのが、今度は分かった。こっちは、ため息をつきたい気分だ。「どう言えば分かってもらえるんですかね……」と呟いた直後、僕は切り札があったことを、遅蒔きながら思い出した。

「あのですね、由良さん。あなたが言うように、僕がひどく積極的な思惑を抱いていたのなら、妹を連れて来やしませんて」

「い……妹?」

 そんな話は聞いていないぞと言わんばかりに、目をむく由良。慌てぶりが大人げなくて、ユーモラスだ。

「由良さんが来たときは、たまたま部屋を出てトイレに行っていたから、見かけてないんですね。劇の練習を見せて、感想を言わせるために、連れて来たんだ。小さな子供でも分かるような演技を目指してるので」

「……いくつだ?」

「な、何がです?」

「君の妹の年齢だよ」

「えと、小学四年生ですから」

「分かった。もういい」

 皆まで答えさせず、由良は右手の平をこちらに向けて、僕を制した。

「いくら君ががきだとしても、そんな小さな妹を連れて、人の婚約者をたぶらかすはずはない。そうだな?」

「ええ。当然ですよ」

 露骨な表現がちょっと気に障ったが、そんな些末な点をあげつらって、収まり掛けている話を蒸し返すこともあるまい。第一、僕が三井さんを好きなのは、紛れもない事実だしな。

 とりあえず、これを機に辞することにした。丸く収まったとは言え、こんな成り行きになり、今さら食事の席に着くのは気が進まない。その場に由良がいようがいまいが、三井さんに気を遣わせてしまう。

 急な予定変更を訝る泉の手を引き、辞去の意を家族の人に伝える。引き留められたけれども、僕は(内心、泣く泣く)断る。するとおかずの中から数品をタッパーに詰めて渡してくれた。ありがたく、いただいておく。

 できれば、三井さんの手料理がよかったんだけど、さすがに無い物ねだりだよな。


 タッパーを返すのを、学校のある月曜にまで延ばすことはない。翌日の日曜に、僕は三井さんの家を一人で訪ねた。昨日のことで、三井さんが気に病んでいないかどうか、この目で見ておきたいという理由の方が大きい。

 とはいえ、前もって連絡を入れたわけではないので、不在もあり得る。むしろ、その可能性の方が高いだろう。由良が折角の休日というチャンスを逃すとは思えない。

 ところが……。

「おっはよー! 昨日の今日で来くれたから、びっくりしたわよ」

 呼び鈴で来訪をお家の人に告げると、玄関ドアがさっと開いて三井さん本人が登場。こっちもびっくりしたじゃないか。

「ああ、三井さん、おったんや」

「オッタン?」

 門扉を開けようとしていた三井さんだけど、耳慣れない関西弁に手を止め、小首を傾げつつ僕の顔を見る。

「いたんだねってこと。“おる”と“いる”」

「あ、そういうことね。分かった。“おったん”とは言っても同じ意味で“いったん”とは言わないのって、どうしてなのかな」

「それは――」

 分からん。言語学上、当たり前のことなのかもしれないけれども、気にして生きてきてないからなぁ。“言ったん”や“行ったん”、あるいは“一旦”なんかと紛らわしくなるから使われない、とか? でも“おったん”だって“追ったん”“折ったん”“織ったん”といくらでも出て来るしな~。

 僕はほんの短い時間に、これだけのことを考えた。そうさせるほど、問い掛けてきた三井さん目がきらきら輝いているように感じられたから。何としても気の利いた答を返したい。

「――関西の一部の地方では、かの有名な妖怪、一反木綿が大人気なんや。一反木綿のことを親しみを込めて、“いったんタン”て言うくらい。でも区別つかんと色々ややこしい。それで紛らわしいのはやめとこってなって、その場にいるという意味で“いったん”とは使わんようになった」

「え、それほんと?」

「うん。おかげで揉めん(木綿)ようになった、てね」

 にっ、と小さく笑って〆る。さて、三井さんの反応は?と窺う。

「――もう! からかったのねっ」

 扉を後ろ手に閉めるや、僕の左肩甲骨辺りをぱしっと一発、叩いてきた。

 よかった、笑ってくれて。僕のボケ回答に気付かないまま首を傾げられたり、スルーされたりしたら、しらけた空気の中、一から説明しなくちゃいけない。そうならなくて助かる。もしかして、これもフィーリングが合うってやつ?

「ごめんごめん。知らんて答えたくなかった、関西人の意地にかけて……純粋な関西人ではないけれども」

 両手を拝み合わせる格好をしながら言うと、三井さんは“純粋な関西人”の箇所でまたころころ笑ってくれた。そんな面白い? つぼに入ったというやつか。話が進まないのも困るので、そろそろ真面目モードになろう。関西弁も引っ込める。

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