第36話 尋問と答
抑揚を欠いた、でも怒りの感情を含んでいることのよく分かる口ぶりで、由良は言った。三井さん越しに見える彼の左眼が、僕の方を、否、僕を凝視している。
「何って、劇の練習……」
婚約者の厳しい口吻に気圧されつつも、三井さんが答えた。
僕は、由良の登場に心臓が飛び出そうなほど驚いたが、じきに落ち着けた。やれやれ、なんてタイミングで現れるんだよ。まあ、いい歳した大人なんだから、説明すれば分かってくれるだろうけど――あっ、まずい! 由良が劇に出る予定だってことが、三井さんにばれる!
僕は急いだ。超短距離走で世界記録を狙うがごときスピードで、三井さんと由良の間に割って入る。いや、実際に間に立てたわけではなく、口を挟んだに過ぎないが。
「三井さんは悪くありませんよ」
ソフトな雰囲気に持って行こうと、標準語で言ってみたが、これがかえってまずかったかもしれない。その上、三井さんがさっきした返事、実際には由良の耳に入っていなかったらしい……というのは、あとで気付いたことだけど。
由良は、前にも増して鋭い目つきプラス形相で、僕の方を向いた。
「僕に説明させてくれませんか。二人で話した方が、あなたと三井さんのためになると思うし」
「……万里」
由良は三井さんを下の名前で呼んだ。当然だが、何だか腹が立つ。
「万里はここにいろ。君は表に出るんだ」
命令口調にもむっと来たが、ここは穏便に。
「玄関に回りましょうか」
「そのまま出た方が早い。サンダルがあるから、そいつを突っかけてりゃいい。なに、取っ組み合いを始めようって訳じゃない」
「……」
ううむ。取っ組み合いをするつもりはないようだが、年齢の割に血の気の多い奴のようだな、由良。
「――由良さん」
三井さんの懇願するような物腰に、由良は「分かっている」とだけ答え、さっさと背中を向けると、広い庭へと歩き出した。
僕は三井さんに言った。気楽な調子で。
「じゃ、ちょっと話し合ってくる。気にしなくていいから。と言っても、見たり聞こえたりしたら気になるだろうから、窓を閉めて、カーテンを引いていればいいよ」
「岡本君、本当に私がいなくていいの? 話がこじれるんじゃあ……」
いや、いられると劇のことがばれそうなんで。
「大丈夫やって。君と由良さんが面と向かって口喧嘩したら、あとでそれが誤解からと分かっても、気まずいやろ」
「……」
まだ不安そうな三井さんを残し、僕はベランダに立った。サンダルを履くと、由良の姿を探しに庭の土を踏み締めた。
「由良さん……」
すぐに見つかった。
由良は、顔から上が家の陰になって見えない位置に立って、待っていた。意識的にそうしているのだろうか。表情が見えないと、言葉の真意も汲み取りにくい。尤も、お互いの表情が見えていても、この流れで和気藹々とした話になるはずもないが。
いや――そもそも、話し合いで済むのか?
由良の奴、取っ組み合いをする気はないとか言っていたが、三井さんを安心させるための方便かもしれない。想像すると、身震いが来た。自慢になるかならないか知らないけど、生まれてこの方、本格的な喧嘩は一度もしたことがない。体力やスタミナには、自信がなくもないが、格闘技の経験と言えば、せいぜい、学校の授業ぐらい。
などとネガティブな方向に思考が走る僕へ、由良が口を開いた。
「もっと近くに来い」
「え?」
てことは、やっぱり……?
「こんなに距離を開けていたら、小声で話せないだろうが。普通の声じゃあ、家の中まで聞こえるかもしれない。気の利かない男だな」
ああ、なるほどね。緊張が若干、和らぐ。が、それにしても、最後の言葉は余計な挑発だと思うぞ。
とにもかくにも、近付く。それでも相手の顔色は窺い知れない。
早速、由良は聞いてきた。
「万里と二人きりで、部屋で何をしていたのか、答えてもらおう」
「何って、ゲームをしていました」
正直に答える。別にやましいことはしていない。内に秘めた僕の三井さんへの想いは、由良からすれば
「万里にあとで確かめれば、嘘をついても分かる。そのことを把握しているだろうね?」
そうか。こうして庭で話そうと言い出したのは、僕らに口裏を合わせさせないためでもあったんだな。なかなか、頭の回転が速い。
「嘘じゃありませんよ。コントローラーが転がっていたの、見えませんでしたか?」
「ゲームはサブで、メインは別にあったんじゃないのか」
「そりゃあ、元々、三井さんの家に寄せてもらったのは、別の目的があってのことですけどね」
「――先にそれを聞こうか」
声は、譲歩してやったんだぞという余裕を匂わせようとしている。が、由良が鼻孔を一瞬広げたのが、気配で伝わってきた。
こっちは、またまた正直に、劇の練習をするために来たことを告げた。
「三井さんのお母さんにも、話は行っているはずです。疑うのなら、聞いてみてください」
「必要があれば、あとで聞く。劇の練習が終わって、ゲームをしていたのか? それとも、休憩の息抜きか」
「休憩というか……その、食事をしていないかとお呼ばれをしたので、厚意に甘えて、時間まで暇潰しに」
「……恐らく、それも真実なんだろう。だが、普通、断るものだ。真に受けるとは、君もがきだな」
吐き捨てる口調に、僕の方もそろそろ堪忍袋が膨らんできた。まだ余裕はあるが、由良の挑発が重なるようなら、どうなるか分からない。
「それくらいは僕だって社交辞令だと思いましたよ。その上で、繰り返し、誘ってくれましたから、お受けしたまでです」
「ふん。じゃあ、話を戻すか。その暇潰しのゲームで、抱き合いそうになっていたのは、何故なのかな」
そこだけを目撃したのなら、誤解も仕方ないのかもしれない。もちろん、誤解されたままでは困る。成り行きでああいう格好になっただけだということを、僕は根気よく、丁寧に説明した。これで分からなけりゃ、小学校から国語をやり直すようお勧めする、ってぐらいに。
「……」
聞き終わった由良の眼は、だが、疑いの色がまだ薄まらないでいる。僕の話を(僕の話だからこそ?)信じられないでいるらしい。
「三井さんにも聞いてくださいよ。絶対、同じことを答えるはずだ」
「ふん。最早、万里のことはあまり関係ないな。君の思惑だよ、こちらが今、問題にしているのは」
「ていうと?」
若干、ぎくりとしないでもない。幸い、辺りは薄暗い。顔色が変化したとしても、読み取られることはないだろう。
「君は、万里が無防備なのをいいことに、劇の練習やゲームにかこつけて、あわよくば――と狙っていたのじゃないのか」
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