第35話 アップダウンが激しくて

 女の子にしては、ファンシーというのか、メルヘンというのか、その類の飾り付けやぬいぐるみはほとんどなく、かといって芸能人のポスターが張ってあるわけでもなく、目に付くのは立派な勉強机と背の高い本棚という部屋だった。

「最初に言っておくと、ベッドや箪笥は別の部屋だからね」

「なぁんや。ちょっと、いや、だいぶがっくし来たわ」

 心中を見透かされたようで、ぎくり。関西弁が飛び出した。

「てことは、ここは勉強部屋?」

「うーん、テレビやゲーム機を置いてあるから、違うことになるのかしら。どちらかと言えば、もう一つの部屋が寝室って感じね」

「二部屋あるいうんは、うらやましいなあ」

 関西弁になってるから、お金の話題もOK……という気にはなれず、それよりも貴重な時間を楽しく過ごそうと、ゲームに向かう。ゲーム機には、さして使い込んだ跡がなく、きれいなものだ。お父さんの影響で、勉強優先なんだろうかと短絡的に考えた。

 とにかく、ゲームをスタートしてから十分ほどすると、泉がもじもじし始めた。長いこと家族をやってると、すぐにぴんと来る。ストレートに言ってやってもいいのだが、今日は泉に感謝してるし、少しは気を遣ってやろう。ゲームの切れ目を見計らい、広海君に声を掛けた。

「広海君。トイレどこかな。教えてくれるか?」

「うん? いいよ」

 コントローラーを置き、さっと立ち上がる広海君。僕は続こうとせず、斜め後ろの泉に視線を向けた。

「泉、代わりに聞いとって」

「えっ?」

「ちょうどいいタイミングやないかと思ったんやけどな?」

 面食らった様子で目を丸くした泉に、畳み掛けるように言う。すると、我が妹は反論することもなく、即座に腰を上げ、広海君よりも先に部屋のドアに到着した。

「案内して」

 そう急かす泉と、広海君の姿が見えなくなると、呆気に取られていた三井さんが僕の方を向いた。

「泉ちゃん……トイレに行きたがってたのね」

「そうやったみたい。ここに来てから一度も行ってへんかったし」

「……岡本君は?」

「まだ大丈夫。なんやろ、クラスメートの家に初めて来て、緊張しとったせいかも。緊張が解けたら、駆け込むかもしれへん」

 冗談めかす僕を、三井さんは「やだもう」って風に、左手で叩いてきた。笑っている表情を見れば、本気で嫌がっていないことは明らか。勢いで、こういう下ネタ一歩手前の話をしてしまったけれど、セーフだったみたい。

「ところで、ゲーム、そんなに使ったように見えないけど、その割に上手なんやね、三井さん」

「あ、うん。弟の部屋にもゲーム機があって、そっちを使うことが多いから。でも、さっき勝てたのは運がよかっただけよ」

「そうなん? 信じられへん」

「本当だって。やってみせる」

 そう宣言して、膝を揃えて座り直そうとした三井さん。が、バランスを崩し、あろうことか、僕の方に倒れかかってきた。コントローラーを握りしめたままの姿勢で、真っ直ぐに。僕は慌てるとかどうとかいう前に、両手をL字に曲げて、彼女を受け止める。

 ――この辺りまではよかったのだ、うん。

「ど、どうも」

 僕の腕の中(というか上というか)で、強張った面持ちの三井さんがそんな台詞を口にしたものだから、こっちは恥ずかしさはどこへやら、笑ってしまった。

「あはははっ、新喜劇やないんやから」

 斜めになった身体を起こしてあげる。

 三井さんも、最初は気恥ずかしそうに赤面していた。しかしやがて、僕の笑いすぎに怒ったのか、コントローラーを持った手で、僕の膝の辺りを打ってきた。乾いた音が、案外大きく響く。

「もう。そんなに笑わなくてもいいのに」

「ごめんごめん。それより、力を入れて叩いたら、壊れるやん。広海君が悲しむんと違う?」

「……」

 むすっとして、でも冷静にコントローラーを置いた三井さん。僕は引き気味にしていた上半身を元に戻した。と、その瞬間を狙って、三井さん、今度は素手で同じところを叩いてきた。

「いて!」

「これでおしまい。ああ、すっきりした」

「ひどいなー。笑っただけなのに。ひどいわひどいわ」

 しなを作り、ハンカチを噛みしめるような仕種をやってみせると、三井さんの肩が震え始めた。程なくして、声に出して笑ってくれた。つぼにはまったのだろう、お腹を両手で押さえている。

「そんなに受けた?」

「ええ――あぁ、おかしいっ、お腹痛い!」

 人目がなかったら、床を転がりそうな勢いである。こんな様子の三井さん、初めてだ。何だか、より普段の彼女の姿を見せてくれたようで、嬉しくなってしまう。

「今の内に釘を差して置くけれど、劇でアドリブはなしよ、岡本君。特に、ギャグ系のは厳禁」

「ほう。いいことを聞きました」

「あ、よからぬことを考えてる顔だー」

 腕を伸ばして指差してきた。

「嘘うそ、せえへんて、アドリブ。そんな余裕ない」

「本当に?」

「信じてくれな、困るなー。身分の違いはあれど、恋人役みたいなもんなんだから、嫌われたらかないません」

 大げさに両腕を開いて、相手に取り縋るような格好だけをした。そう、飽くまで、格好だけ。

 と、そのとき、突然、窓ガラスが鳴った。ドアではない、窓だ。

 びくっとして振り向く。僕も三井さんも。

 まだカーテンを閉めずにいたその掃き出し窓の向こうは、三井家の庭。そこに人が立っていた。中が明るく、外が暗いため、判然としない。が、シルエットから男性だと分かる。そして、その男が一歩、近付いたことで、顔がはっきり見えた。

「由良さん」

 同時に、三井さんが呟く。僕ほどは驚いていないようだ。由良が庭に回って現れることって、しょっちゅうあるのだろうか。確かに、両親の目を避けて会うにはもってこいだが。

 三井さんは立ち上がり、窓辺に寄ると、ロックを解除してサッシを開けた。ガラスがなくなったことで室内の灯りが直接当り、由良の細かな表情までしっかりと分かる。非常に険しい。いやまあ、見えなくても分かっていたことだけれども。

「どうしたの? 今日は研修会だって言っていたのに」

「先に、こちらの質問に答えてもらおう。何をしていた」

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