第34話 再びのお誘い
僕の戸惑いを感じ取ったのかどうか、三井さんはさらに続けた。
「それにもう一つ。小さい頃、お稽古事のいくつかは、この和室でさせられたのよね。こっちは乗り気じゃないのに、お花やお茶や踊り……同じ年頃の友達大勢と習えたら、楽しかったかもしれないのに」
「へえ」
先生を招いての個人レッスンだなんて、いくら掛かるんだろう……いかんいかん。無理に話を合わせようとすると、何故かお金のことに舞い戻ってしまう。
「それじゃあ、どれも中途半端に? もったいない。どうせなら、三井さんの点てるお茶、飲んでみたかったな」
そう言ってから、手元のコップを口に運んだ。三井さんはこちらに横顔を見せて、ため息混じりに返事をした。
「うーん、できなくはないけれど、人前ではちょっと」
できなくはないのならぜひぜひ、と頼んでみることを思い付かなかったわけではない。子供じみていて、冗談に受け取られると判断した。代わりに。
「恥ずかしい、とか?」
「正直言って、そう。自信を持てないまま、やめちゃって、随分経つもの」
「ふーん。劇は恥ずかしくないんだ?」
今日の本題に話を引き寄せるために言ったのであり、意地悪のつもりはない。
でも、三井さんは慌てた様子で首を横に振った。
「恥ずかしいよ! 自信を持てないから、こうやって来てもらって、練習をしようと思ったの!」
向き直った彼女の赤面と語調に、最初、圧倒された僕だったが、すぐさま笑いをこぼしてしまった。必死な感じが伝わってきて、同意できるとともに、かわいらしかった。
「何で笑うかなあ、岡本君」
「いやいや、別に。じゃ、ぼちぼち、練習に入りますか。早くしないと、泉達が飽きてしまうだろうし」
僕は、すでに膝立ちの姿勢で、何やら言葉遊びめいたことを始めていた泉と広海君に目を向けた。
総体的に見て、順調に運んでいたと思う。
台詞はほぼ完璧に頭に入っており、相手とのタイミングもこの頃には慣れてきていたから、あとは実際の動作だけ。簡潔な会話と素人演技で、観ている人、特に小さな子供にどれだけ伝わるかが、肝心であり、こうして土曜返上で練習をする目的でもある。
そんなことを意識しながらやってみせた一回目。我が妹から「お熱いでんなあ」「いっそのこと、ぎゅうっと抱きしめちゃえ!」などと、冷やかしの声が上がった。無論、その場で、真面目に判断しろと叱りつけた。
とは言うものの、泉がそんな反応をしたってことは、演出の意図がちゃんと伝わっている証拠ではないか。悪くない。
「この分なら、いいんじゃないかな。三井さんが心配していたほど、下手じゃないってことで」
いささか饒舌になり、僕は同意を求める。三井さんはしかし、小さく、ゆっくりと頷いたあと、首を傾げた。その唇から、「うーん」という考え込むような声音も出た。
「まだ何か不満? 完璧主義者だっけ、三井さんて」
「そういうわけじゃなくて……」
広海君達に背を向け、声を潜める。
「ひょっとしたら、単なる、その、ラブシーンに映ってるんじゃないかしらと思えて」
ラブシーンというフレーズを、ちょっぴり意識してしまった。急いで話の内容に追い付く。
「つまり、オーバーアクションになってた? そないなことなかったと思うけどな」
「ううん、そういうのとも少し違う。――感情を抑えながら、でも観ている人に伝わるようにしなきゃいけない場面でしょ。なのに、感情がそのまま出てしまっている。だから、泉ちゃんや広海には、私達が恋人役を演じているように見えたんじゃないかな、と思ったの」
そこまで求めるのって、やっぱり完璧主義なんじゃあ……少なくとも、高校生の文化祭レベルでは。
だが、三井さんがそういうつもりでいるのなら、こちらも恥ずかしくないよう、がんばらねば。望んでいる高みに届くかどうかは別として、安易な妥協はせずに、努力しましょ。何たって、好きな人のためですから。
「よっしゃ、分かった。では、演技指導をよろしく」
「あ、ずるい。私だけじゃなく、岡本君も意見を出してよね」
「いやいや、仰せのままに、お姫さま」
そんなやり取りを繰り広げると、泉のやつ、すかさず言ってきた。
「リハーサル、再開した? それとも、ひゅーひゅー?」
――と、こんな調子で進んで、非常によい雰囲気ができあがり、演技の方もそれなりに三井さんの理想に近付いたようだ(ようだというのは、何度も同じ場面を演じる内に、観せられている泉達もさすがに飽きてきたらしく、反応が鈍くなってきたため)。
途中、休憩を挟み、他のシーンの練習や宿題もしつつ、結局、六時過ぎまで続けた。外が暗くなり出したこともあって、今日はそろそろ辞去しようと腰を上げたら、どうしてだか、三井さんのお母さんが夕飯を食べて行けばと声を掛けてくださった(言葉遣い、おかしいかな?)。
当然、社交辞令だろう。泉だって、その辺りの空気は察せられる。兄妹揃って、丁寧に辞退した。しかし、これが三度繰り返され、加えて「実は、この子のお父さんが急な仕事で、今晩は帰れなくなったと電話が少し前に」云々と言われては、心もぐらつく。
泉もころっと態度を変え、「もったいないお化けが出ないよう、ここは協力してあげるべきよ、うん」と来た。
「ばか。それなら、うちの方にもったいないお化けが出るじゃないか」
「あ、そうか」
「電話して、聞いてみれば?」
と、これは三井さん。うむ。彼女まで同じ食卓を囲むことを望んでいるのなら、乗ってもいいぞ。この状況なら、全然、厚かましくないし。
「それじゃあ……」
自宅に電話し、呼び出し音を聞く頃には、「おかん、承知してくれ」と念じるようになっていたから、現金なものである。
そして実際、あっさりと承知してくれた。カレーだから、残った分は明日の昼、下手をすると晩にまで回るよという注釈付きで。連続カレー地獄を想像するとげんなりさせられるが、三井さん家での食事の方が魅力だ。補って余りある。
予想外の展開に落ち着かない気分ではあったけれど、食事までの時間、暇つぶしにゲームをすることになった。もちろん、泉と広海君も入れて。二人きりでないのが残念と言えば残念。でも、こうして三井さんの部屋に入れる!のは、四人だからこそ、なんだろな。この瞬間ばかりは、泉を連れて来てよかったと身に染みてありがたみを感じた。
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