第33話 土曜の昼下がり

「お願い」

 かわいらしく手を合わせる三井さん。たいていの男は、どうして断れようかという気になるわな、こんな仕種をされたら。

 そんなにも魅力的だからこそ、僕もこんな無謀な挑戦を続けてるわけで。すると、高校生を娶ろうとしている由良が、極悪人に見えてくる。そして僕は、おとぎ話で望まぬ結婚に従わざるを得ないお姫さまを助け出す王子のごとく、騎士道精神を発揮して……。そう考えると、今度の劇は結構オーバーラップするとこがある。一層、気合いが入ろうというものだ。

「あと、岡本君が私の家に来ること、他の人に言い触らさないでね」

「もちろん」

 言い触らせと言われたって、したくないぞ。二人だけの秘密って感じが何よりもいいんだし。三井さんの方は、妙な形で噂になるのを避けたいのが一番の理由なんだろうけど、それでかまわない。

「泉が行けるかどうかが分かったら、前もってこっちから伝えるよ」

「うん」

 そうして会話を終え、同じ方角を向いて歩き出す。これが、ごくノーマルな(つまり、三井さんが婚約なんかしてない)状況下ならば、どんなによかったことか。つくづく感じた。


 土曜を迎えた僕は、柄にもなくそわそわしていた。いいことと嫌なことが一度にやって来る気分。擬似とは言え、三井さんとはデート済みだから、たとえ二人きりになっても、そんなに緊張はしないと思う。ただただ、段階を踏まずに(それ以前に、恋人同士でもないのだけれど)、いきなり好きな異性の家に行くことになり、しかも両親と会うかもしれないという事態が、何とも……。

 三井さんの両親は、娘の連れてきた男子クラスメートをどんな風に見るのだろう。由良という婚約者がいなかったとすれば、僕を三井さんの恋人候補と見なすのか。その場合、僕の印象は好悪どちらになるのか。

「……虚しい仮定だな……」

「ぶつぶつ言って、気持ち悪いよー」

 僕の独り言に、妹が容赦ない言葉を浴びせてきた。

「もしかして病気? だったら、今日、三井さんとこに行くの、中止にしなくちゃね。ああ、残念ー」

「勝手に決めるな。豪雨になっても絶対に行く」

 おめかししている妹をじろりと見やる。

 とは言え、僕に比べると、泉の方がまだ落ち着いている。小学生は気楽でいいな。自分が小学生のときのことを思い出すと、そんなに気楽でもなかったが、それでも高校生よりは気楽だ。

「そりゃそうだよね。愛する人のお家に足を踏み入れられる、千載一グーのチャンスなんだから」

 相変わらず、覚え立ての言葉を使いたがる。変なアクセントに笑ってしまった。すると泉のやつ、今度は「にやにやして、気持ち悪ーい」と来た。まったく、疲れる。

 出発前から疲れてはかなわん、というわけでもないのだが、早めに家を出ることにした。三井さんの自宅までは割と距離があるが、歩いていく。腹ごなしのためだ。いや、お腹が鳴ったら格好悪いと思うあまり、昼飯を詰め込みすぎたきらいがあるもんで。

「失礼のないようにするのよ」

 何かを期待しているかのような目をした母親の声に送り出され、僕と泉は出発した。


 三井さんの家まであと少しだと告げると、泉が小走りになった。詳しい住所を教えていないんだから、勝手に行かれては困る。幸い、先へ先へと急ぎながら、道が分かれている地点に差し掛かると、「どっち?」と振り返るので、見失わずにすんだ。

「こっちも初めてなんだ。確認ぐらいさせろよ」

 そんな風にして、三井さん宅の前を通る道路に出たのが、午後一時四十五分。まだ少し早いなと思いつつ、遅刻するよりはずっといいと、歩みを進める。ほどなくして家並が見えてきて、見当が付いた。

 と、そのとき、泉が「あ!」と叫んだ。

 何ごとかと妹の頭を見下ろすが、泉は真っ直ぐ前を向くばかりで、答えやしない。仕方なく、僕も妹の視線を追った。

 そうこうする内に、泉が走り出してしまった。

 だが、うなずけた僕は止めなかった。広海君が外まで出て来て、待っていたのだ。早速、身を寄せ合うようにして話し込む小学生二人を見ていると、いつの間にこれほど親密になったのだろうと不思議に感じ、かつ、多少羨ましくなる。友達以上なのは間違いない。

 そこから視線を起こし、前を向くと、これまたいつの間にやら、三井さんの姿が。静かなので、気付くのが遅れた。

「こ、こんにちは」

 焦ることないのに、どもってしまう。しかも、我ながら、おかしな台詞じゃないか。道でばったり出会ったんじゃないんだ。

「早く来すぎたかな? だったら、もう少し、そこら辺をぶらついているけれど」

「ううん。ぶらつかれたら、目立つわ。早く中に」

 微笑みつつも、周囲に意識を払う様子の三井さん。よっぽど、あらぬ噂を立てられるのを警戒しているらしい。僕の方は、複雑な心持ち……。

 泉に「ようこそ」云々と歓迎の言葉を掛けてから、僕らをいそいそと招き入れる。広海君までもが急ぎ足になり、危うく蹴躓きそうになった。転ばずには済んだが、その有り様を泉にしっかり見られ、「どじー」と笑われる。

「行儀よくしろよ。それと言葉遣いも」

 妹に釘を差してから、玄関のドアをくぐった。


 家の人への挨拶は、案外あっさりと終わった。緊張していたのは僕一人。ちょっと考えてみれば、当たり前だ。三井さんの親からすれば、どうってことない存在にしか映るまい。むしろ、この時季にクラスメートとは言え男を連れてきた娘に対し、呆れているような雰囲気がちらっと垣間見えた気がする。

 そんな状況だから、三井さんの部屋に入れるという期待は、無惨にも?打ち砕かれ、劇の披露には奥の和室が宛われた。

 と言っても、着いた早々、劇の練習というのも忙しない。出されたお茶とお菓子を口にしながら、四人で雑談。正確には、高校生二人と小学生二人に別れて、だ。

「広いね」

 僕は部屋をざっと見渡す素振りをした。あまり関心はないのだが、万が一、親御さんに聞こえても当たり障りのない話題と言えば、まずはこれくらい。

「部屋もだけれど、家も大きい」

 続けて、大学教授って儲かるのかな、なんて口走りそうになった。真っ先にお金のことを話題にしたくなるのは、関西育ちの間に身に染み着いた癖かもしれない。言葉をぐっと飲み込む。

「私はこの部屋、あんまり好きじゃないの。もちろん、家は気に入っているけれどね」

 気になることを言う三井さん。僕が聞き返すまでもなく、理由も話し始めた。

「由良さんが父に、私のことを正式に頼みに来たとき、この部屋を使ったわ。私も居合わせて、それはそれは空気が固くて……」

「……」

 えっと。

 こういう流れで、僕は何て言えばいいんだろう。

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