第29話 合格
月曜の学校は、朝からそわそわしていた。と言っても、僕を含んだ我がクラスの一部男子のみかもしれないが。
放課後のホームルームの時間に、劇についての話し合いが持たれることになっている。狩人役もその場で発表されるというから、そわそわせずにいられない。
恐らく、昨日の時点で結論は出ていたのだと思う。三井さんが誰か一人を決めて、それを蓮沼さんに伝えておけば済む話だ。だからなにがしかの噂がクラス内に流れてもいいものなのに、さっぱり伝わってこない。浮つくのも仕方ないだろう。
蓮沼さんは融通が利く質だけれども、殊、こういう秘密や信頼を要する事項に関わるとなると、頑固なようだ。僕が擬似デートで時間オーバーをしたときの怒りようからも、それは容易に想像できる。彼女に聞いても、絶対に教えてくれまい。
案外、三井さんに聞けばあっさり答えてくれそうな予感があるものの、本人に尋ねるというのは少なからず勇気がいるものだ。その証拠と言うのも変だけれど、今朝から三井さんとまともに会話できていない。それは僕以外の候補者五人も同じだった。
そういったいきさつで、僕は今、身体の中で期待と不安が化学反応を起こしそうなくらいに混ぜ合わせ、ホームルームの開始を待っていた。
「それではまあ、さっさと発表しちゃおうかな」
取り仕切るのは、いつもと違って学級委員長ではなく、“企画実行委員長”の蓮沼さんだ。三井さんが自分の相手役を自分で発表するのはおかしいから、ということらしい。
「じらして、大事な狩人役がストレスで胃潰瘍になって、劇に出られないなんてことになったら、目も当てられないし」
「そういう割に、前置き長ーい!」
急かす声に押される形で、蓮沼さんはチョークを手に取った。声ではなく、板書で発表しようというわけか。
劇の仮題、既に決定している配役が順に白い文字で記されていく。ここに及んでまだ焦らすつもりらしい。僕は何だか、脱力してきた。今日は家を出たときからこっち、ずっと緊張を強いられていたせいか、発表を目前にしてすっかり疲れていたんだと思う。ストレスも限界を超えると、どうでもええわっていう領域に到達するんだなと、生まれて初めて実感した。
凝りを覚えた肩や首筋に手をやり、揉みほぐす動作に紛らわせて、僕は隣の三井さんの様子を窺った。
さっきまで、近くの席の女子から、「ねえねえ、誰にしたの?」という意味のことを繰り返し聞かれていたのには、僕も気付いていた。三井さんは、のれんに腕押しという風に、微笑み混じりに質問をかわしていた。蓮沼さんに口外禁止を厳命されていたのかもしれない。
そして今この瞬間の“王女様”は、口元を両手で覆い、じっと黒板の方を見つめていた。まるで、相手役の決定に彼女の意志が介在できないかのように、息を呑んでいる仕種に見えた。
と、そのとき、三井さんの視線がこちらに動いた。まともに目が合う。
こちらとしちゃあ、逸らす理由はない。今この瞬間、三井さんに注目することは自然だろう。でも黙って見つめるのもおかしいというわけで、言葉が勝手に口を衝いて出た。
「選んでくれたんやろか」
質問じゃなくて、呟きのつもりだった。
「うん」
くぐもってはいたが、そう言う三井さんの声がはっきり、しっかり聞こえた。
僕はマックススピードで上半身を捻って、横を向く。
「ほんまに?」
三井さんは口元を覆っていた手を崩すと、右の人差し指をぴんと伸ばして前に向ける。僕は首から上だけ向き直る。大忙しだ。ストレッチ運動でもこんな捻り方は身体に悪そう。
「お」
黒板を見た瞬間に出た僕の声は、周りからの冷やかしやら口笛やらでかき消された。
蓮沼さんの持つチョークの先には、狩人役として岡本大地の名前がやけに大きく記されていた。
「おめでと。君が当選。他の五人は残念でした。またの機会をどうぞ」
にこにこしながら、名前の周りを赤のチョークで花模様に囲い始める蓮沼さん。それはやり過ぎだろ。と、咎めたくなる気持ちよりも、嬉しさの方が圧倒的に上回っていた。顔がふにゃけそうなのを、両頬を自分で叩いてどうにかまともに保つ。
「就任の挨拶はどうした?」
誰か男子の声――多分、剣持がそんなことを言ったので、僕はつられて腰を浮かせた。
すぐさま、しまったと思ったものの、もう遅い。机の端と端に両手をつき、いかにも演説を始めそうな体勢で立ち上がっていた。
「えー……」
ここはギャグで切り抜けねば。
だが、只今の頭の中は、人身事故が起きた朝の山手線状態。二万五千人の足が乱れましたっていうくらいに、大わらわの右往左往だった。
「どうした、どうした?」
急かされて、思考が空回り。焦りで意識がぐるんぐるんになる。
だから、こんなことを口走った。
「三井さんを幸せにすると誓います」
「もう一発、ローリングエルボー!」
目の前で叫びながら、剣持が反時計回り(上から見て)にくるっと回転、勢いをつけて右肘を僕の胸板にぶつけてきた。無論、手加減されているから、痛くはないが、体重が乗っている分、重たい。僕はよろよろと下がった。
「ギブ、ギブ。もうええやろ?」
「まだまだ」
答えたのは剣持ではなくて、蓮沼さん。昇降口のドアにもたれ掛かるようにして、腕組みをしている。表情は逆光で判然としないものの、呆れているに違いない。
「ほんっとに、誰が愛の告白をしろと……」
ぶつぶつ言ってる。教室を出てからずっとこれだ。
先ほどのホームルームで、追い詰められた僕が吐いた台詞。あれのおかげで、議事進行が完全にストップしてしまったのだから、怒るのも理解はできる。予定していた半分も話を詰められなかったと、ぼやくことしきりだ。
「ギャグをかますにしても、あれはやり過ぎだな」
剣持が言った。喋りながらプロレス技を繰り出し続けて疲れたのか、息切れ気味だ。
「つーか、面白くなかったよ。関西人の神風にも置けない」
僕はそう言った蓮沼さんの顔色を窺った。取り澄ましていて、ぼけたのかどうか判断が難しい。「……」と時間が経つ。
やおら首を振って、剣持を見た。そして声を潜めて言う
「――なあ、剣持。君が即、突っ込まないところをみると、“神風”ってのはまじぼけ?」
「恐らく」
「かなんなぁ。関東人のぼけを見破るのは難しい」
男二人でひそひそやっていると、当人も気付いたらしい。赤面しつつ、「ちょっと言い間違えただけだよっ」と声を荒げる。
おかげでこっちも助かった、と密かに安堵する僕。あの窮余の台詞――「三井さんを幸せにすると誓います」――を、ギャグで済ませられたのだから。あのとき、せめて「お姫さまを幸せに」云々と言っていたら、ここまで冷や汗をかくこともなかったはずなんだが。
まあ、結果オーライ、過去は振り返らないことにしよう。幸い、ホームルームでの話し合いが長引いたおかげで、三井さんは終わるや否や、由良の迎えで慌ただしく帰って行った。さっきの時点で、三井さんからあの台詞の真意を尋ねられていたら、ごまかせる自信がなかっただけに、ほっ。
「うん? まだ帰らないのか」
全面ガラスのドアを押し開け、出て行こうとする格好で振り向いた剣持。それに続く蓮沼さんも、動かないでいる僕を不思議そうに見た。
「ちょっと用があるんや。待ち合わせ」
「ふーん」
その顔つきから、詮索したそうなのを堪えているのがよく分かる蓮沼さんである。
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