第28話 できることなら『卒業』したい
がっくり来る僕に、また三井さんの声が。
「でもそれは、私が由良さんともうすぐ結婚するからっていうんじゃなく、女ならかなりたくさんの人が共感するんだろうなって思う。私自身、そうだったから」
おっ。田舎の夜道で迷い、明かりを見つけた心持ち。気を遣って言ってくれてるのではなく、本心からの言葉と信じたい。擬似デートで、そこまで相手を気遣うとは考えにくいだろ、うん。
「あと、ライブの迫力もあったし。テレビで観てるのとは、全然違うよね! きれいなだけのスナップ写真よりも、実際に体験した人の話を聴く方が心に残るのと同じかな。私、その辺りも感激しちゃった。空間を共有してるって感じで、伝わってくるものが凄いっ」
話題が昨日の感想になり、僕の内心のさざ波は収まっていく。そして、三井さんが喜んでくれていることを知り、改めて僕も喜んだ。
このときばかりは、まじで、どうして君が婚約を決める前に知り合えなかったのか、運命を罵りたくなった。
「状況が許すんなら、また行こうよ」
ほとんど勝手に出た台詞。三井さんは極自然な口調で返してきた。
「うん。由良さんは昨日みたいなところには、絶対に連れてってくれないし」
三井さんの物腰は柔らかく、軽かった。
冗談なのか、僅かでも本気が混じっているのか。人生経験の浅い僕には、ちっとも判断つかなかった。
三井さんからの電話が終わると、あとはいつもの日曜日。昨日の楽しさと引き換えに溜まった宿題に、重い腰を上げて立ち向かわなくては。
そんな風に、勉強机の住人になって午前中を過ごし、そろそろランチタイムかなという頃合に、泉が部屋に飛び込んできた。といっても、ちゃんとノックをしたのだから、成長したものだ。
「飯に呼びに来たのなら、入らなくてもいいと思うぞ」
背中を向けたまま答えると、すぐに返答があった。
「そうじゃないよ」
泉は、とことこと小走りで入って来ると、僕の座る椅子の背もたれをぐい、と引っ張った。幸い、もたれていなかったので、姿勢を崩すことはなかったが、危ないところだった。
「女の人が訪ねてきた」
「僕をか? 誰?」
「それを教える前に。『兄は勉強で忙しいと思いますから、様子を見てきます』と答えといたのよ。勉強、中断できる?」
こましゃくれた物言いをする妹を振り返り、僕はうなずいた。同時に、誰なのかを早く言えと迫る。
「ちんねんさんという人」
「……」
ここで迷うのが、関西人気質。果たして泉は、わざとぼけたのか、それとも本当に間違えたのか。とりあえず、安全策だ。乗るだけ乗って、突っ込みはなしにしておこう。
「坊さんに知り合いはおらん」
「……あ? 違ったかな。えっとね……」
まじぼけかよ。僕はため息混じりに言って、立ち上がった。
「知念さんだろ」
「おー、当たり! ついでに聞くけどさ、どういう知り合いなの?」
「友達」
うるさい泉を放っておいて、僕は玄関に急いだ。こんな昼飯前にわざわざ来るとは、ただ事ではないんじゃないかという危惧が先に立ったからだ。
風を巻き起こすかのごとく、勢いよくドアを開けると、その向こうでは、案に相違して、知念さんがぽつねんと立っていた。物音で察したのだろう、こっちへ振り向いた。
「おはよ」
「お、おはよう……って、じきに昼だぞ。どんな急用だと思って、階段転げ落ちんばかりに駆け付けたってのに」
「その割には、怪我をしていないわね」
「冗談を本気で受け取るなっての。そんで?」
聞くと、相手は耳に小指をやって、
「小耳に挟んだんで。昨日、擬似デートしたって」
と始めた。当然、三井さんのことだ。
「どんな様子だったか、直接聞いてみたくてさ。一番話しやすいの、岡本君だなと思ったから」
転校生よりも話しやすい連中なら、いくらでもいるんじゃないのかという疑問は飲み込み、僕は何となく首肯した。
「三井さんの様子を知りたいわけか」
「そう。デート中のね。その、怯えてなかった?」
なるほど。それで僕か。昨日の擬似デートに参加した他の男子達は、恐らく、三井さんの過去を知らない。
「特に嫌がる風や、避ける様子はなかった。ただ、僕はしんがりを務めたからな。それまでに三井さん、五人とデートをしてみて、徐々に慣れていったってことも考えられるんじゃないか」
「聞くっところによると――」
知念さんは妙な言い方をした。まるで講談か落語だ。その口調は「するってえと」だろと指摘したくなる。
「――最後はだいぶ時間オーバーをしたそうだけれど。延長突入はあなたが言い出したこと? それとも万里が?」
「どちらからともなくってのが、一番正確だと思うよ。中途半端な時間帯だったからなあ。いや、公演がさ」
僕は掻い摘んで状況を説明した。終わると、知念さんはふんふんという具合にうなずき、そして言う。
「つまり、特定の誰かに意思表示をすることはなかったのね」
「何だ何だ? 擬似デートで意思表示、あり得ないないだろ。あくまで、劇の相手役を決めるのが目的だぜ」
「ムードに流されて、ぽろってことはないとは限らないでしょうが」
「ないって。そんなムードを作り出せるような場面は、まあ生まれないね。もちっとロマンティックな場所ならまだしも、お笑いのライブでは無理無理。極地でエスキモーにクーラー売るようなもん」
「私は、流されてほしかったと思わないでもない。由良を頭の中から消して、ほんとの恋の始まり、みたいな」
「せやから……無理だって」
「そうかしら? でもま、よかったわ。由良だけが万里にとっての特別な存在じゃないんだって、はっきりしただけでも」
その点には大いに同感。あとは二人の結婚をやめさせる、いや、遅らせるだけでも、僕にも勝ち目が出て来る(何遍もしつこいかもしれないが、そう信じてる。じゃなきゃ、やってられない)。
ん? 今、何の気なしに思い付いたけれど、結婚をやめさせなくても、遅らせるだけでも、ある程度の効果は見込めるんだな。猶予があればあるほど、僕には有利に働く。野球で二十対一のゲームが、二十対五になったくらいのアドバンテージだろうけど。
って、全然アドバンテージなってないやんか! などと、心中で自分に突っ込んでいた僕に、知念さんの声が届く。
「それで? 相手役に選ばれなかったら、どうする気?」
「うん? 別に問題ない。由良に一泡吹かせるシナリオさえうまく行けば、誰がやっても同じだからなあ」
「いや、それじゃなくて」
見えない箱を両手で持ち、右から左に移す仕種をする彼女。その話はこっちに置いといて、というときのあれだ。関西系の僕と話しているからって、そこまで合わせてくれなくてもいいのに。君のキャラにないだろ。使い方、微妙に間違ってるし。
「口ではそう言っても、本心では、相手役――狩人だっけ、やりたくてたまんないんでしょ」
「そりゃまあ」
今さら隠してもしょうがないが、やっぱり照れる。こういうときは、鼻の下を人差し指でこするに限る。
「私は君が一番可能性あると思ったから、君に賭けてんの。と言うよりも、他の男子は、万里と由良の結婚を止められないものと、とっくに諦めてて話にならないだけ。転校してきた岡本君だけは、往生際が悪い」
よく言われている気がしないが、不思議と腹が立たない。僕はため息と苦笑を交え、応えた。
「……転校生じゃなくても、往生際悪かったかもしれん」
仮定しても詮無きこと。そうと分かっているのに、考えてしまう。もっとずっと前から三井さんと知り合っていたなら、こんな現状にはさせなかった。
知念さんは斜め下を向き、微かに笑い声を立てた。
「そういうところも含めて、期待してる。だから――」
ついっ、と面を起こすと、半ば強制するような調子で続ける。
「狩人役になれたら、勝ち目は大きくなるの? ならないの?」
ずばり問われると困る。劇は飽くまで由良に一撃を食らわせるのが第一義であって、逆転に直結する作戦じゃないんだよな。そのことは、知念さんも承知していると思うのだが。
なのに、敢えて聞いてくるのは……。
「劇で、三井さんを由良王子のもとから連れ去ったあと、本当に二人で外に逃げ出せたら、いい感じに持っていける、かな」
「そうこなくちゃ。私も微力ながら支援する。タイミングを見て、万里にあれこれ吹き込むとかね」
知念さんの表情が、満足げな笑みになる。どうやら僕は期待通りの返答をしたらしい。ただ……自分の答を実行できるかどうかとなると、我がことながら、甚だ疑問なんだな、これが。
さっきの返答に後悔している訳じゃないが、知念さんを見返す僕の顔つき、きっと微妙なものになっていたことだろう。
「お昼、邪魔したね」
軽快な調子で言い置き、帰って行く。これほど上機嫌な彼女は初めて見た気がする。思いも寄らない方向から、プレッシャーを受けてしまったようだ。
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