第26話 延長戦
「さて」
休憩時間になって、時計を盗み見る。もうすぐ一時間が経ってしまう。三井さん、夢中になってるみたいだけれども、この程度ではまだ全然こちらの目的達成していない。それをさっ引いても、ここで打ち切りというのでは、いかにも惜しい。
が、時間が来たことを教えないのは、ずるいよな。下心が透けて見えるってやつだ。
時間だよって伝えた上で、もし、三井さんの方から、もうしばらく楽しんでいたい意思表示があれば、エスコート?するとしよう。まあ、常識的に考えて、そうなる可能性は限りなく低いだろうけど。門限がかなり早い時間帯かもしれないし、そうでないとしても帰宅の予定ぐらいは家の人に伝えているはず。
だから僕は、期待せずに言った。
「三井さん。もう少ししたら五時になるから、えっと……忘れ物しないように」
「え、もう?」
三井さんはびっくりしたみたいに目をいっぱいに開き、それから手首を返して腕時計に視線を。するとまた驚いて、「ほんとだわ」と一言。
「大阪商人にとったら、チケット代、半分ぐらいしか元を取れへんのはもったいなくて、痛いんやけど、時間とあればしょうがない。最後の男として責任もって送りましょう」
「……」
三井さんは腕時計を触り、回す仕種を見せた。そして呟くようにして応える。
「そうよね。もったいない」
「うん?」
「最後までは無理かもしれないけれど、あと少し、見て行きたい」
いい意味で予想を裏切られ、僕は一瞬、惚けてしまっていた。すぐには返事できない。
が、はっと我に返ると、頭を振って、言葉を探す。あくまで擬似デートなのだから、こういう場合、ほいほいと喜ぶだけでなく……。
「本当に大丈夫? 家の人に叱られない?」
小学生みたいな物言いになってしまったが、心配したのは事実。もちろん、実際はがきじゃないんだし、今日は目的が目的だから、計算がゼロだったとは言わない。好感を持たれたい気持ちもあった。ただ、その割合はほんのコンマ数パーセントだ。
「大丈夫。実を言うとね」
きゅっと握った拳でかわいらしく胸を叩き、請け負う三井さん。そして秘密めかすようにウィンクし、続けた。
「朝、家を出るときに、帰りは七時をちょっと回るぐらいになるかもって、言ってきちゃった」
「それって、つまり」
「うん、予防線。多分、遅くなるんじゃないかなって予感があったし、実際、そうなりそう」
ちらっと舌先を覗かせる三井さん。悪戯を見つかった子供みたい。だけど、かわいらしさはそこらの子供よりもずっと上。
いかん、またまた好きになる。それはいいとしても、今、本気になるのはまずいぞ、僕。頭の中で、冷たい物・寒い物を思い浮かべて、冷静になるように努める。
「岡本君?」
僕が押し黙ったのを変に感じたのか、三井さんが怪訝そうに覗き込んできた。
「どうしたの? もしかして、岡本君の方は予定があって、六時までにどうしても帰らなくちゃ行けないとか。だったら、かまわない。出ましょ」
「あーっ、ちゃうちゃう!」
持ち物を膝上で確認してから腰を浮かし掛けた彼女に、僕は大慌てで両手を振り、制した。
「チャウチャウ?」
僕が叫んだものだから、チャウチャウが場内のどこかにいると思ったのだろうか。きょろきょろと左右を見回す三井さん。この定番過ぎるリアクションが、こっちのつぼを突いた。恐らく三井さん、ぼけたつもりはなく、素の反応なんだろうな。そう思うだけで、笑いがこみ上げてきてしまう。
「いや、犬の話やのうて……。出なくてええってこと」
爆笑を我慢しながら、座ってくれるように促した。それからしばらく、笑いの潮が完全に引くまで、時間を取る。
「――あー、えー、僕の方には用事ありません」
改まって答えると、関西弁が消えるのは何故だろう。
「だから、三井さんがよければ、このまま一緒に観よう」
「よかった。じゃあ、チケット代の元を取って、おつりが返ってくるくらいに笑いましょ」
彼女が笑顔でそう言い、椅子に座り直した頃、場内アナウンスが休憩時間の終了が近いことを告げた。
「家の人に、電話の一本でも入れておく?」
「いいのいいの。出て来るときに伝えたんだから、家族はきっと心配してないわ。心配するとしたら、由良さんかな。元々口うるさいし、今日のこと、はっきりとは話していないしね」
「ばれたときが恐い、とかいうやつじゃないよね?」
冗談半分、本気半分で聞いてみる。三井さんはしばらく黙ったままだったが、じきに首を左右にゆっくりと振った。
「そこまで束縛される謂れはないっ」
「……もしかして、ひょっとしたら、酔っ払っとる?」
今度はもちろん100パーセント冗談で、三井さんの顔の前で手のひらを振ってみた。おーい、ってな感じで。
「酔っ払ってないって。お酒飲んだことすらないわ」
三井さんが何だかすっきりした様子になる。
「まだ結婚してないのに、ほんと、困るのよね。大事にすることと、篭の中の鳥扱いすることを、ごちゃ混ぜにされちゃ。私は節度を守って、こうして高校生してるのにね」
「……」
どう受け答えしようか考える内に、場内が暗転し、ほぼ同時に、わーっという歓声と拍手で溢れる。後半が始まってしまった。
人気の出て来た若手漫才師の登場に、僕も拍手を送りながら、頭の中では別のことを考える。
三井さん、さっきの口ぶりだと、由良の女癖の悪さを、充分に承知してるんじゃなかろうか。そしてそれを過去のこと、自分が付き合い出す前のこととして、きれいさっぱり水に流している……。そんな気がする。
付け入る隙、ほんとにあるんだろうか。逆転の目はあり得るのか。さすがの僕も、ちょっと自信なくなってきた。
舞台の方は、漫才や落語の間に、コミカルな手品や歌芸、ジャグリングを挟み、どんどん進んで行った。最後は、これもコミカルな人情劇だ。
書き割りなど、簡単なセットが組まれた舞台上で、劇がスタートし、しばらくしてから、僕は内心、「まずい!」と叫んでいた。
僕は関西暮らしが長かったせいもあり、よくテレビでこの手の劇を観たものだ。関東に移って、番組が一本しかないのを知り、悲しくなったほどのファン。それだけに劇のネタは頭に入っている。新ネタでない限り、最初の数分を観ただけで、どんな話なのか思い出せる。
いくつかあるストーリーの内、今日、これから繰り広げられるのは、結婚がテーマの話なのだ。いわゆる、許されない恋パターンとでも言えばいいのか。身分違いの二人が、親の反対にあったり、周囲の好奇の目に晒されたり、あるいは誤解から危機を迎えたりしつつも、最終的に結ばれる。
これって、今の三井さんにはどう映るんだろう? 三井さんと由良の立場に滅茶苦茶似てるってわけ訳でもないのだが……自分達のことに重ね合わせ、共感を覚えるのかもしれない。早く結婚したいと、意を強くするかもしれない。逆に、結婚に対してネガティブな思いはがくんと減るに違いない。僕にとって都合の悪いことに。
折角ここまで、なかなかいい雰囲気で来たのに、最後にこれかい!
運のなさを呪いながら、そんな思いはおくびにも出さず、僕は隣の三井さんの様子をこっそり観察した。
劇が始まったばかりとあって、まだ顕著な反応は見られない。許されない結婚の話だということは、もうじき分かるはずだから、それを待とう。
「あの人って」
舞台の方向を指差し、三井さんが小声でいきなり話し掛けてきた。どうやら、ヒロイン役を差しているらしい。
「あの人がどうしたの?」
まさかいきなり、自分自身と重ね合わせて同情するのだろうか。それはいくら何でもイマジネーション豊かすぎというか……。
身構えていた僕に、彼女はさらっと言った。
「お笑いの役者さんなのに、きれいよね」
がくっ。
大げさでなく、ずっこけた。膝上に置いていた両手が、順番に滑った。慌てて姿勢を戻す。
「ん? どうかした、岡本君?」
「いや。そういうこと気にするのって、やっぱり女ですなー、と思っただけで」
「あら? 岡本君達男子は、ああいうきれいな人を見て、何とも思わないの? そんなことないでしょう」
聞かれたけれども、もう、曖昧に笑ってごまかした。まともに答えていたら、僕が知りたいことからどんどん遠ざかってしまう。三井さんの変化を見逃さないよう、集中、集中。
劇はやがて半ばに差し掛かり、男と女が一目を忍んで、家を抜け出そうとするシーンになった。シリアスな展開だけれども、もちろんお笑いだから、真面目一辺倒ではない。誰も見ていないと思っている二人だが、実はばればれという形で笑いを生んでいく。
筋を知っていても、好きなもんだから、ついつい見入ってしまった。大団円を迎える頃に、やっと隣の様子を窺う。
次に、ぎょっとした。
三井さんは目を潤ませていた。それどころか、少し涙をこぼしている。人差し指を曲げ、その第二関節の辺りで目元を交互に拭う様が、僕を動揺させる。思わず、彼女の名前を呼ぼうかどうしようか、迷った。
でも、そうする前に気付いた。
三井さんの唇の端が、上を向いている。白い歯も覗いていた。笑ってるんだ。泣いているように見えたのは、おかしすぎて涙が出て来たというやつらしい。
舞台上では、幕が下がっていく。拍手が起きた。当然、三井さんも僕も手を叩いた。幕が降りきるまで、ずっと。
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