第25話 疑似デート開始!
「六番目でちょうどよかった」
じりじりするような時間を過ごし、やっと順番が回ってきた。そして三井さんに会うなりそう言ったのは、別に強がりではない。
「どうしてなのか聞いてもいい?」
三井さんの応答の内容は、僕の予想した方角を向いていたが、その声は予想を超えて親密度が高かった。「どうして?」プラス「聞いてもいい?」だもの。どうやら五人とのデートを結構楽しんで、気分がすっかり解れているようだ。お笑いで言えば会場が充分に暖まった状態か。
目的地へ歩いて移動を開始しながら、僕は答えた。
「このあと時間オーバーしても、誰にも気兼ねしなくてすむ」
「ええ?」
「だめ?」
口ぶりは真面目に、顔つきは剽軽に。
「それは、ちょっとくらいなら……」
三井さんは顔を背けがちにした。でも、こっちをちらちら窺っているし、声の響きにも嫌がっている気配はない、と思う。多分、本当に今日これまで楽しかったに違いない。少しでも長く味わいたいのだ。三井さん自身がそんな気分の高揚を、意識しているかどうかは分からないけれども。
「でも、自転車の二人乗りも、遊園地の観覧車も、クレープ食べながら歩くのもしちゃったよ。他に何かあるのかなあ?」
「遊園地、行ったんや? 時間足りなくて、慌ただしかっただろうに」
ちょっとびっくり。定番中の定番シチュエーションではあるから押さえときたいのは分かるが、実行する奴がいるとは。ちなみに、誰?と聞くのはルール違反。
「そうなの。ずっと駆け足で。移動の方にたくさん時間取られたわよ」
普通なら不満につながるはずなのに、喋る三井さんはとても楽しそう。由良の奴、遊園地にも連れていってあげてないのかねえ?
「あと残ってるのは、映画くらいね」
「映画なら当然、婚約者とも行ったことあるんやろ? そんなのつまらへん。それに映画だと二時間前後、浪費してまうし、ろくにお喋りできへんしなあ。ちゅうわけで……ここ」
ちょうど信号待ちになり、立ち止まると同時に、僕は斜め上の看板を指差した。
お笑いライブの常打ち会場だ。主に関西出身の芸人を起用し、若手が多いが、取りの一つ手前はベテランやトップが飾るのがスタンダードスタイルとされている。
「ほんまは一時間じゃちょっと厳しいんやけど、思いきりわろうて、疲れを吹っ飛ばしてもらいましょというわけで」
「わあ、いかにも岡本君らしい」
信号が青に替わる。他の大勢の歩行者と共に、横断歩道を渡り出すと、何故か必要以上にせかせかした感じに。この周りだけ空気が大阪になったかのような。実際、横断歩道を渡った人達の半分以上が、お笑いライブ会場の方へ向かうほどだったから、関西の笑いが好きな人種が揃っていたのかも。
「被らんようにしよ思たら、これが真っ先に浮かんだ。あとはお好み焼きアンドたこ焼きグルメツアーってのも考えたけれど。僕がこっち来てから見つけたお好み焼きやたこ焼きの美味しい店を巡る」
「そっちもいいなあ」
笑いながら答える三井さん。感じいいぞ。
会場に近付くにつれ、混雑して来た。出演者の細かい確認はしてなかったのだけれど、もしかすると人気のあるメジャーな若手が出るのだろうか。ふと気付くと、カメラや携帯端末を構えた女子中高生がやたらと目に着く。
「手、いい?」
ほんの少し後ろから、三井さんの声。何のことかと振り返ろうとした矢先、三井さんの手が僕の手を掴まえた。
一瞬、どっきり。
でもすぐに理解した。人混みの中、はぐれないようにするため。僕の方から気付くべきだった。ただ、気付いていても、手をつなごうと促す勇気を持てたかどうか。やれたとしても、黙って掴んでいただろうな。
何はともあれ、ラッキーにも手をつなぐことに成功し、そのまま会場の正面玄関の行列に着く。割とスムーズな流れなので、十七時十五分から開演に間に合うだろう。
缶飲料を買って席に着く。三井さんは珍しそうに場内を見渡していた。
「こういうの、初めて?」
「もちろん。お芝居やコンサートは何度かあるけれど、それとはまた違って、独特よね、雰囲気が」
芝居もコンサートも観に行ったことのない僕に、その比較は難しい。いや、正確には昔、学校の行事というか課外授業で浄瑠璃だか狂言だかを観たことはあるけれど、残念ながら肌に合わなかった。
「僕には、何よりもまず、堅苦しくないのが一番。こうして大っぴらに話せるし」
急に標準語っぽくなったのは、この場で関西弁を使うのが気恥ずかしく思えたため。お笑いライブの会場で関西弁て……関西でなら全然問題ないけど、ここでやるとわざとらしい。
と、余分な神経を使うのはもったいない。三井さんとデートしてるんだぞ、集中しろ。彼女の心変わりのきっかけを作りたいっていうのももちろんあるけど、それと同時に、僕自身もこの幸運を楽しまずに、無為に過ごせるほど、年を取ってはいないからね。
「好きなお笑い芸人て、おる?」
「関西の人の中でってことね?」
「うーん、そういうんでもないけど。じゃ、お笑いタレントと言い直す」
三井さんは、「だったら」と、どこの出身か知らないが明らかに関西育ちではない大御所の名前を二人、挙げた。一人はお笑い芸人よりも文化人として認識されつつある漫才師で、もう一方はシュールな一人芝居芸を得意とする、テレビにはほとんど出ない怪優だ。
二人とも嫌いじゃあない。僕は手短に感想を述べてから、対抗し得る関西の大御所の名前を列挙した。そして三井さんにどう思うか、聞いてみる。
「あー、いいよね。昔は好きじゃなかったの。うるさい感じがどうしても拭えなくって。けど、岡本君とこうして話すようになってから、だいぶ慣れたのかな。平気になった」
「そうやったん? 下手したら僕かて嫌われとったってことになるやん。そんなんかなわん」
特に意識して方言で喋ると、三井さんはくすっと笑った。
「嫌いになんかならないわ。岡本君なら、私の理解できない言葉で話さない限り、大丈夫」
「ほんまに? ほっとした」
大げさに胸をなで下ろすポーズ。ちょっと芝居がかりすぎ、やりすぎかな。でもまあ、三井さんの台詞に少なからず感激していたので、仕方ないってことにしておく。
やがて照明が少しだけ落とされ、舞台の幕には強いスポットライトが浴びせられた。その一点に、若手も若手、まだ誰も知らないような二人組が出て来て、前節を手短に行った。期待ゼロなだけに、しょうもない駄洒落や下ネタの連発でも、一つ佳作があれば受ける。結構温まったところで、幕開けにつなげた。
いよいよ始まったが、最初の方の出演者は、やっぱりほとんど無名と言っていい。三井さんが小声で、どういうコンビなの?云々と聞いてくるから、僕は知っている限りのことを教える。そして。
「大阪人は、知らん芸人が出て来たら、少々のことじゃ笑わんぞと身構える。ハードルが高くなるけど、代わりに面白い奴にはちゃんと笑うし、拍手を惜しまへん。そういうのを乗り越えてくる芸人が面白くないはずない。メジャーになるわけ」
「うんうん」
「だから、初めて見る顔でも先入観なしに、面白かったら笑う。これ、基本」
「分かった。プロフィール聞くのは間違いだったね」
にこっとして、舞台に集中する三井さん。その横顔が何だか真剣さに満ち溢れていたので、こっちはつい噴き出しそうになった。
その内、三井さんも手を叩いて笑い始めた。ここを選んだのは、少なくとも外れではなかったと確信する。あと心配なのは、こういうテレビに映らない場では、芸人は下ネタに走りがちなことぐらい。百も承知の僕が、それでもこのお笑いライブに三井さんを連れてきたのは、由良のやるデートとは正反対の線を狙ったためだ。気取っても意味がないし、勝ち目ない。ついでに言うなら、気取るのにかかるお金もないけれど。
プログラムも半ばに差し掛かり、前半の締めに、そこそこ顔の売れたベテランの漫才コンビが登場した。さすがにうまく、客をいじりながら、全体を笑いに包んでいく。三井さんも最初に「あ、知ってる」と言ったきり、くすくすと肩を揺らしっ放しだ。
と、その矢先、下ネタが出た。心の準備がまだだった僕はここで来たかと慌てつつ、三井さんの様子を窺った。
「……」
黙っている。
場内がやや暗いので分かりづらいが、ほっぺたが多少赤いようだ。口を努力して噤んでいるのが見て取れた。それでいて、肩の揺れは継続していた。
「おかしいんやったら、笑ったらええのに」
一段落ついたと思ったところで、そう言ってみた。すると三井さんはまだ笑いを我慢しながら、「だって、これ分かる人は……」と語尾を濁す。
「もうじき結婚しようって人が、知らないってのも不自然でわ?」
語尾に微妙なアクセントを置きつつ、反射的に言ってみた。言ってから、結婚の話題を持ち出したことを少し後悔する。そうでなくても、さっき、由良とのデートを思い出させる会話をしたのに。あれが限度だとラインを引いたつもりが、ついまた口にしてしまった。
「とにかく! 三井さんがこのネタで笑ったことは、誰にも言わんから安心して笑ってよ」
「それはいいけど、でも、岡本君に知られちゃったわけになるのよね」
「そこまで気にするなら、忘れましょー」
頭を叩き、記憶を追い払う仕種をしてみせる。本職には負けるが、こんなこと一つでも笑いを取れた。
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