第20話 王子に立候補する
「待つよ、これくらい。数時間に一本て訳でもないんだし」
怒ったような口ぶりで答え、知念さんはぷいと横を向くと、大股で駅舎に向かう。慌てて追い掛けた。
「すまんすまん。三井さんの弟から、情報がないか、聞いてたんや。残念ながら、大したことは聞けなんだけど」
「……私の方でも、少し調べてみた」
さっさと改札を通ってから、くるりとこちらを向く。今度は慌ててブレーキを掛けた。ツインテールが鼻先をかすめそうになる。
「何か分かった?」
「ずっと調べてるんだけどね。今日、幸運があったわ。昨日の話になるんだけど、今頃になってロッ研――ロック研究会に入会希望者が来たって、連城君が教えてくれて」
ロック研究会の新入会員と、由良の異性関係が、どうつながるのだろう。興味津々、耳をダンボにして続きを待った。
「その子の母親が、由良総合病院で働いてるんだって」
「へえ!」
「連城君はあれでなかなか気が利くのよ。すぐに入会希望の子と親しくなって、聞き出してくれた」
何を? もちろん、由良の異性関係についての噂に違いない。
ここで知念さんは嬉しさと苦々しさを混ぜたような顔をした。
「全部、昔話なんだけど、出るわ出るわって感じよ。一度なんか、病院に女の人がカッターナイフを持って乗り込んできたんだとか」
「ほう」
昔の話とはいえ、結構波乱の人生を送ってるんだな、あの二枚目。
「看護婦に手を出すのは一度で懲りて、それならと今度は出入りの薬剤メーカーの営業に来た女の人に声を掛けていたとか」
やりたい放題だな、おい。よくそれで、三井さんとの結婚に漕ぎ着け、なおかつ過去に付き合いのあった人全員と縁が切れたものだ。もし本当に、完全に縁が切れたのなら、拍手してやってもいい。
という訳で、まだ疑う余地はたっぷり残ってる。
「相当に信憑性の高い噂話も少なくないんだけれど、どれも決定打にはならないでしょうね。とにかく古い」
「昔付き合っていた女の人達の内、数名でいいから名前とか住所とかが分かればな。辿って行けば、絶対に何かあると思う。確信した」
「……あのさ」
不意に声のトーンを落とし、知念さんが上目遣いに聞いてきた。「何?」と応じるのと同時に、列車が入ってくるアナウンスが鳴った。答はしばしお預け状態になる。
車内は混んでいて、内緒話をしづらい雰囲気だったが、僕はもう一度聞いた。この状況では答えづらい内容なら、知念さんも黙ってるだろう。
「たとえばの話よ」
前置きして、周囲を見回す目の動き。
「昔付き合ってた女が、妊娠中絶していたとして、それをネタに、結婚をやめさせるつもりはある?」
「……うーん」
まさかこんなストレートな球が来るとは予想外だ。口ごもってしまう。鼻の頭を掻き、一旦、窓の外に視線をやってから考え、そして答える。
「多分、そうする。その目的で動いてるんだしな。やめさせられるかどうか分からないが、言ってみるよ」
「じゃあ、その女性がちゃんと中絶費用や手切れ金その他をもらって、きれいに別れていたらどう?」
「……そういった事実があったとして、そのことを由良は――」
さすがに名前の部分は一段と、いやいや、三段階ほど声を低くした。
「――三井さんに、打ち明けていないと思うんだ。だったら、知らせてあげるべきだ。事実を知らないまま、この年齢で結婚だなんて」
「ふうん。それなら、ついでにもう一つのたとえば。万里が全てを知った上で、結婚に同意していたとしたら?」
「……」
返事に窮した。身体が揺れる。
眩暈なんかじゃなく、電車が停まっただけのこと。駅でもないのにどうしたことかと乗客がざわつく。が、すかさず信号待ちとのアナウンスが流れた。
「それなら」
ざわめきの中、やっと答える。知念さんの目は、外を向いていて、興味があるようなないような。
「あきらめるしかない、かな……あきらめたくないんだけど」
考えてみれば、僕らがしようとしていることって、芸能スキャンダルを漁るワイドショーみたいなもんだ。当事者同士の問題に、過去の醜聞をほじくり返してきて、関係をこじれさせようとしている。
そんなんじゃなく、せめて、今現在の由良がひどい男(実際にそうであるかどうか全く分からないが)であると示しめしてこそ、三井さんに考え直してもらう意味が出て来る。無論、ひどい男と承知しながら結婚する人だっているだろうけどね。
こいつはちょっとばかり、考え方を改めなきゃいかんのかな。
そんなことが頭の片隅に思い浮かび、そして電車は再び動き出す。
帰宅すると、泉がビッグニュースを持って来た。ただし、このビッグニュースとは、あくまでも妹にとってのビッグであり、僕にとってはそれほど大きくはない。
「瞬也君の仕事場を見学させてもらえそうだよ!」
手のひらをこちらに向けて出しながら、泉は言った。
「由良の今を知らないと、無意味なんだよ」
素気なく応じると、当てが外れたように両手が下がる我が妹。やはりお駄賃目当てか。
「その撮影に行けば、今の由良長太郎の何かが分かるのか?」
「……さあ? お兄ちゃん、恐いよ」
指差されて、顔の表面を撫でる。強張っていたかもしれない。
「なあ、泉。広海君とも仲よくやれよ」
「うん? 言われなくても、そうしてるつもりだけれど」
「断っとくが、男二人を手玉に取れという意味やないからな」
「それぐらい!」
鼻で笑う泉。どうやら、僕の「恐い顔」は解消できたようだ。しかし、肝心の恋の問題の方はちっとも解消に向かって進まない。
夜、布団に潜り込んでからも悶々として考える。
汚い手を使う後ろめたさ、みたいなのを感じて、心理的に追い詰められていたのかもしれない。
相手は、僕の好きな人とすでに婚約していて、結婚式まで秒読み段階。まともにやって太刀打ちできるはずがない。だからといって、相手の昔の異性関係を持ち出すのは、どうもフェアじゃなく、格好悪い気がしてきた。真っ向勝負で玉砕した方が、まだましだ。
……心情としてはそうなんやけど、負けると分かっていてぶつかって、砕け散るのも別の意味で格好悪い。
完全な出遅れ、勝負にならない、遅きに失した――そんなもの、最初から分かっていたことだ。敢えて勝負しようとしている理由は、当然、三井さんに惚れてしまったから。
格好悪く散るつもりはない。対等とまでは望まない、ただ、勝負の形になっている土俵に持って行きたい。
それすら難しい現在の状況が、重くのしかかる。普通の恋愛勝負なら、想いを伝えるだけでライバルと同じ土俵に上がれるはずなのに。フェアにひっくり返す術はないのだ。
あー、いかん。煮詰まってきた。
ジレンマってやつだな。相方がいれば、ぼけるところだ。お菓子作りに欠かせませんなー、そりゃメレンゲや!とか何とか。ああ、スキーするとこやろ、でも可。って、それはゲレンデ。どんどん離れて行く。
お笑い方面まで煮詰まってきた。こういうときは、無理にでも寝るに限る。はよ寝よっ。
……そして僕は、夢を見た。
花嫁姿と見紛うほどきれいなお姫さまの格好をした三井さんと、腕を組んで、体育館の舞台の上を歩くシーン。
学校でのロングホームルームが、脳味噌のどこかに残っていたんだな。さすがに、自分の格好は恥ずかしくて見下ろせなかった。ちょうちんブルマだったら目も覚めよう。できるだけ長く見ていたい夢なんだから。
朝……。
夢から覚めて、頭がすっきりするや否や、思った。劇の相手役に立候補するぞ。未練は残るが、現実では勝ち目がない。仮想現実でも楽しい目に遭いたいじゃないか。虚しさはこの際気にしない。
夢ですっかりいい気分を味わった僕は、そんな風に考えるようになっていた。
たまたまなのか、今朝は知念さんと一緒にならず、静かに登校。そのせいで決心が揺らぐことなく、教室に入って蓮沼さんの姿を見つけるなり、堂々と切り出せた。
「劇の王子役、僕も立候補する」
朝一から突然の宣言に、向こうもびっくりしたようで、上半身を捻って振り向いたまま、しばし声が出ないでいる。
「えーっと。その件はまだ決まってないわ」
お役所言葉風に返事があった。
「かまわへん。予約入れとくから、よろしく頼んまっさ」
「……関西弁の王子様ねえ」
ぷぷ、と吹き出しながら蓮沼さんは、生徒手帳を開いて何やら書き付ける。予約者リストでもできあがっているんじゃなかろうか。三井さん相手なら、まじでそれもあり得る。
「日本は昔、関西が中心やった。都も貴族も。せやから、聖徳太子や紫式部も関西弁で喋ってたに違いあらへん。よって、関西弁の王子様がいても全然おかしくないのである」
「凄い証明ね」
蓮沼さんは呆れ口調で誉め言葉を吐いた。いや、本気で誉められたとは、僕も思ってないよ、もちろん。
「とんでもない論理の飛躍が、最低でも三つはありそうだけど、面白いから目をつむってあげよう。確かに承ったわ、立候補。公明正大に選考して、結果を明らかにするからお楽しみに」
「頼んます。――それとさ、由良の出演がなくなったとしても、来場はするんだろ」
「多分。忙しい人みたいだけど、文化祭は絶対に見に行くと言っていたそうよ。だからこそ、私達も最初、由良さんに出演してもらおうと考えた訳」
「観客席に由良がいたら、結局、三井さんの花嫁姿を見られてしまう。何とかならないかな」
「確かにそうねえ。でも、そんなこと言われたって、どうしようもないじゃない。来るな、見るなと頼めるはずないし」
「実は、いい案がある。できかけの構想を大幅にいじることになるけど、聞いてくれるか?」
「伺いましょ。でも、今は時間がないから、あとでね」
授業が終わるのはいつも待ち遠しいが、今日は特にそうだった。
さて、一時間目が終わり、蓮沼さんの席に向かおうとしたら……三井さんも用があるのか、単にお喋りしたいのか、同じように蓮沼さんのところへ。これはまずい。三井さんには秘密裏にことを進めようとしているのだから、話せないじゃないか。
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