第17話 ちょっぴり意外

 朝の出発は、曜日によっては小学生の方が早い。

 泉に「学校でも三井君と少しは話したれよ」と言い聞かせて送り出し、その僕が、今度は父親から、「デートでうかれとるようだが、勉強もちゃんとせえよ」等々、かるーい小言を食らって、家を追い出される。よくある光景。

「デートやないっちゅうねん」

 これは家から遠く離れたあと、ぼそっと口にした独り言。

 駅に着き、電車を待っていると、後ろから肩をぽんと叩かれた。

「誰――」

 振り向いたら、頬に人差し指がぐさっと来た。こんな初歩的ないたずらに引っかかるとは、一笑の不覚。って、字が違うねん。

「やったー」

 いたずら成功に喜んでいるのは、知念さんだった。両手を突き上げ、その場で飛び跳ねるものだから、ツインテールが踊ってる。

「何なんや、一体。朝もはよから」

「挨拶は?」

「……おはよう、知念さん」

 頭の中で北極熊とペンギンを思い浮かべ、冷静になる。

「おはよっ、岡本君。待ってたのよ。折角同じ方角から通ってるんだから、電車の中で話せばいいと気付いてさ」

「それは名案」

 自分の手のひらをぽんと叩いてみせる。しかし、だ。

「それが何で、ほっぺたつんつんのいたずらになる?」

「やーねー、そんな恐い顔しないで。もてなくなるよ。それにほら、ここ、万里だって来るかもしれないんだから」

 登校の際も車で送ってもらうことの多い三井さんだが、たまに電車を利用することもあるのだ。

「三井さんの名前を出されても、ごまかされへん」

「……待っている内にくたびれちゃって、やっと現れた君が憎たらしく見えたものだから、つい、ちょっとした復讐を……」

「逆恨みもええところや」

 素早く後ろに回った僕は、学生鞄を振って、その角を知念さんの膝裏に当ててやった。膝かっくん。

 変な方向から力を加えられ、バランスを崩した彼女は、腰砕けのような格好になった。

「これでおあいこな」

「くーっ、まさか鞄でやるとは。膝で膝裏攻撃してきたなら、セクハラだの痴漢だのって叫んでやろうと思ったのに」

 それは残念でした。って、恐ろしいな、おい。

 恐ろしい想像はぽいっと捨てて、広海君に由良瞬也のことを少し聞いたくだりを、知念さんに伝えておく。

「そう言えば、知念さんは瞬也って子のことを知らんの?」

「名前は万里から聞いたことあったから知っていたけれど、顔見知りかって意味なら、違うわよ。会ったことない」

「そうか。それじゃあ、頼めないよな」

「由良瞬也に由良の尻尾を掴ませようって腹なのね。どんな餌なら動くかしら。モデルやってるのなら、お小遣いたんまり持ってるだろうし」

 いきなり賄賂かよ!

「広海君に期待するしかないと、自分は思ってる」

「なるべく手を汚したくないんだ?」

 えらい言われようだな。

 おっと、電車が来た。三井さんの姿はなし。今日も自動車通学かぁ。

「手を汚したくないってのとは違うぞ」

 乗り込んでから反論。同じ学校の人間がいるのは間違いないので、さすがに声量を落とした。

「そうなの? てっきり、うまく二人を破談にさせたあと、万里に交際を申し入れることを狙ってるから、なるべくクリーンなイメージを保とうとしているのかと思ったよ」

「そ、それはだな」

 考えてなくもないさ、もちろん。当たり前田のスープレックスだ。

 ただ、首尾よく別れてもらったとして、即、付き合ってください!なんて言えると思うか? 常識的に考えて、しばらくはそっとしておいてあげるもんじゃないだろうか。

 ……妹と似通ってるのかね、自分のこういう考えは。

 とにもかくにも、三井さんを好きだが、結婚の話がなくなってすぐに告白するつもりはない、ってな意味の言葉を知念さんに言った。

「待つつもり?」

「ああ」

「どのくらい?」

「さあ」

「三ヶ月ぐらいかな。じゃあ、二年生になっちゃうわね」

「具体的な時期なんか分かるかよ、そんときになってみなきゃな」

 面倒がる口調になってしまう。周囲が気になるし、こういう話題は早く終わらせたい。

 ちょうど駅に停まり、斜め右の座席が空いたので、「ほら、空いたぜ」と勧める。ぐずぐずしてると他の乗客に先を越されかねないので、学生鞄でブロックした。

「自分が座ればいいのに」

 言いながらも、ちゃっかりきっちり座るとこは、この人らしい気がした。その反面、座る際に、髪の毛が隣の人に当たらないよう注意を払う仕種なんかを目の当たりにすると、ほんと、初対面時のがさつさはわざと装ってたんだなと改めて思わされる。

「優しいねえ、岡本君は。転校生だから、周りから好かれようと思ってやってるのかな?」

「ちゃうよ」

 話題が切り替わったのかどうか、微妙な成り行き。ため息をついて、よそを向いた。

「普段の状態でそれだけ優しければ、きっと万里にも伝わるよ。確かに、時間は掛かるだろうけどね」

「……」

 嬉しいことを言われて、また視線を戻す。にやけてしまうのが止められない。やけのやんぱち、もっと言ってくれ。

「ただ、結婚がなくなったらなくなったで、同じこと考える男どもはたくさんいるはずよ」

 あらら。“嬉しいことフィーバー”はもう終わりかい。

 しかしまあ、うなずかざるを得ない話ではある。ライバルは多い。

「私と違って、万里は昔からもててさ。小学生の頃から、男子がいっぱい言い寄ってた」

「ほう」

 三井さんの小さいときの話か。それはそれで、とても興味がある。別にその当時のボーイフレンドがどうとかはどっちでもいいんだが、エピソードを聞きたい。

 が、あからさまにリクエストするのもはばかられる。ここは待ちの姿勢でいるとしよう。

「万里は万里で律儀だからさ。バレンタインデーなんか、義理チョコをたくさん買って、みんなにあげてたよ。五、六年の頃になると、勘違いさせちゃうからやめときなって言ったんだけどねえ」

「勘違いされたのか?」

「小学生でも、そこまでばかじゃなかったみたいよ。みんな同じ包みのチョコをもらう訳だから、さすがに義理チョコだと気付いた」

「なるほどな」

「そんな万里が初めて男と付き合ったのが、中学一年のとき」

「え」

 ちょっと動揺。ボーイフレンド程度ならいたとしも全然不思議じゃないと思ってたが、付き合っていたというのは意外だ。由良の奴との結婚話がまとまるまでは、その手の交際はしたことないんだと決め付けていた。

 知念さんは、こっちの顔を見上げて、にやりと笑った。

「関心あるでしょ?」

「そりゃまあ、少しは」

須藤尚弥すどうなおやっていう、一個上の学年の人。生徒会長だか副会長だかをやってたかな。あんまり覚えてないけど」

「頭がよかったのか」

「成績、トップクラスだったけど、それが特長ってことじゃなく、まあ、万能タイプね。全部に秀でている、同級生や下級生の女子からすれば憧れの存在。選り取り見取りの立場にいる須藤先輩が選んだのが、万里だった」

「そんな男から告白されるとは、三井さんも目立ってたんだね」

 三井さんの昔話を聞いているせいか、僕自身の喋り方も何だか着飾ってしまった。知念さん相手に「~だね」なんて言ったことあったっけ。

「そうでもないと思うんだけど」

 返答は意外だった。

「かわいらしさでは目を引いたかなあ。でも、一年の夏休み前よ。まだまだ目立つとかどうとか言えるほど、時間が経ってないと思うわ」

「ふーん。てことはだ。その須藤って男は、入学式の日にでも、三井さんを見て、目を着けたんじゃないかな。案外、女好きだったろ、そいつ」

「外面は優等生そのものだったけどねえ」

 うん? 何で肯定も否定もしないんだ。中途半端な。

 そのことを言うと、知念さんは今度は困ったような目をした。しばし視線をさまよわせ、やがてまん丸く見開いた目で見上げてきた。それは僕の心を試すかのような眼差し……。

「聞きたい?」

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