第13話 丁々発止
時間が経つにつれ、泉と広海君が二人だけで話すようになり、結果的に三井さんが僕と由良に話し掛けてくる形に。
「あとどれくらい?」
「ナビによると二十五分。退屈か?」
「ううん」
三井さんが由良に話し掛ける声の響きには、僕やクラスメートに話し掛けるとき以上の親しみが込められている。そんな感じがした。
「この前、言い忘れていましたが、ご結婚なさるんだそうで、おめでとうございます」
嫌なことは最初に済ませておく。横目で由良を窺うと、口をすぼめ、ちょっぴり意外そうな表情をしていた。かと思ったら、また例のごとく、にやっと笑う。
「ありがとう、岡本君。君は高校生の結婚について、どう考える?」
いきなりの質問に、僕はあからさまに戸惑ってしまった。身体の向きを運転席の方へ若干換え、由良、そして三井さんの様子を見た。二人に合わせる必要は全然ないのだが、どうも気になる。
「愛があればって口かい?」
由良が唇の端で笑うのが、頭の中のスクリーンにやけに大きく映った。
僕は逃げ道を探した。さほど時間を要さずに見つかる。
「年齢に達した者なら誰でも、結婚できます。結婚するだけなら。だから、恋愛感情があるなら、結婚すればいいんじゃないですか」
「ふはは。若者らしくないなぁ。婚姻届という紙切れ一枚の話に変換してしまうとは、参ったね」
片手で頭を押さえるポーズを取る由良。苦笑がなかなか消えない。
「それでは、言い直そうか。高校生が結婚生活を営むことについて、君はどんな考えを持っているのかな」
「時間的な理由で、やめといた方がいい気がしますね」
即座に返事したあと、そういえば三井さんはどうするつもりでいるのか、聞いたことがなかったなと思った。彼女の反応を気にしつつ、言葉をつなぐ。
「うちの親を見て、大変さが分かったから。子供がいるといないとでまた違うんでしょうけれど、それでも家庭を持つってのは大変だなって、つくづく思いますもん」
「ふむ。筋道の通った答だ。まあ、要するに、学業と結婚生活の両立は無理だと言うんだね?」
「多分」
「ならば、少し条件を変えてみようか。結婚相手が大変裕福で、家事全般はお手伝いさんがやってくれる。そういった家庭生活なら、高校生でもやって行けると思わないか」
……僕はまじまじと由良を見返した。
何だ、この問い掛けは。まさか、由良家って、メイドを雇えるほどまでに大金持ちで、いい家柄なのか?
僕は意味の乏しい笑みを浮かべ、
「いやあ、そーゆー上流階級の暮らしなんて、全然想像つかないから、答えようがないです」
と、後頭部に手をやった。途端に、由良が初めて大笑いをする。
「ははは! 『上流階級』とはいいねえ。ハイソってやつだな。ハイソ、ハイソは裁判だけだと思っていたが」
……笑うところなんですか? 分からないんで、曖昧に、唇の両端を上向きにしておく。
白けそうな空気を、三井さんが救ってくれた。
「私だったら、たとえお手伝いさんがいるようなお屋敷で暮らすことになったとしても、自分の手で家事をしてあげたいな」
救ってくれたけれども、僕にはずしんと重たく、堪える言葉だ。のろけに近いじゃないか。
「万里まで、岡本君の味方か。我が身が哀しくも情けないよ」
由良がハンドルを緩やかに切る。もうすぐ出口らしい。
僕は後ろの三井さんに尋ねた。
「この際だから聞いておくけれども、結婚したらすぐ、一つ屋根の下で暮らすのかい?」
「うふふ。一つ屋根の下なのは確かよ」
表情をほころばせる三井さん。日溜まりの家猫みたいに、のんびりとした幸せに浸っている感じだ。
「それじゃあ、家事全部をするの? 学校が終わったあとに」
「手伝う程度かな。だって、しばらくはお家を出ないんだもの」
「はあ……」
話がよく見えない。僕は、由良がどんな顔をしているのかが急に気になり、運転席側を向いた。
果たして由良は、待ちかまえていたかのごとく、淀みなく答えた。
「岡本君の言う通りだ。いきなり二人で暮らし始めるのは世間体など、諸々があって難しい。そこで、私が万里の家に入ることにしたんだよ」
「……へぇー」
他にどんな反応をすればいいのやら。
「逆でもよかったんだが、うちの母は割と躾に厳しい質でね。花嫁さんの顔を見ると、びしびししごきたくなるらしい。高校生の身空でそれもかわいそうだと考え、万里がうちに入るのは先送りにした。花嫁修業は、高校を卒業してからでも充分間に合う。新婚気分は薄いかもしれないがね。ふふは」
「……そうでしょうね」
引き続き、どんな反応をすればいいのやら、悩ましい。
ま、車内に僕と由良の二人だけだったとしたら、ここで下ろしてもらったに違いない。ちょうど一般道に入ったところだしさ。
「由良のおじさーん、もうすぐ?」
広海君の甲高い声が響き渡る。前方に身を乗り出す風にするが、シートベルトで妨げられている格好だ。
それにしても、広海君。由良のいる場といない場とで呼び方を変えるとは、ひょっとしてよい感情を持っていないのか。
「ああ、もうすぐさ。ひょっとして、おしっこか?」
「ううん、違う。岡本さんも大丈夫だよね?」
デート相手の問い掛けに、泉は首を横に振った。
広海君は泉を本当に気に入っているらしい。小学生だてらに気遣いを見せる辺り、そう感じさせる。
「退屈してるんなら、音楽でも掛けようか」
「うーん、だったら、みんなで歌を唱おうよ」
一転して、小学生らしいことを言うじゃないか。まるっきり、バス旅行だ。
「まだ岡本さんと、岡本さんのお兄さんの歌を聴いたことないから、どちらかがトップバッターで唱って。ね、いいでしょ?」
歌に自信がないではないが、気が引けるのも事実。十分余りで到着するはずだろ? 二人も唱えば終わってしまうじゃないか。
「こういう場合、言い出しっぺがトップを飾るものよ」
おねえさん口調で泉が言った。広海君は嫌そうな顔をして、「ええーっ!」と叫ぶ。
「最初に唱って、他の人達を落ち着かせてくれなくちゃ」
「そーゆーものなのかなあ」
「ものなの」
我が妹の断言で、広海君が一番に唱わされることに決まった。
広海君がテレビアニメの主題歌らしき曲名を口にすると、由良は僕に「前に色々とディスクが入ってる。ナンバー3と書いてあるのをセットして、四番目を選曲してくれないか」と言ってきた。前もって三井さんから聞いて用意したものだという。
言われた通りにし、音が車内に流れ始める。かすかに聞き覚えのある曲だった。三井さんが手拍子をして弟を応援する。
悪くない雰囲気だ。最初は広海君一人が唱っていたのに、三井さんや泉まで合わせて唱い出し……そして目的地が見えた。
掛けることができたのは一曲だったにも関わらず、全員が唱っていた。
遊園地そのものは楽しい……はずなのだが、少なくとも僕一人は、目的達成のために楽しむ余裕はなかった。何とかして広海君と二人だけになれないかと考えるも、なかなかよい機会に恵まれない。
午後一時過ぎ、少し遅めの昼飯を食べ終わった直後が、チャンスと言えなくもなかった。三井さんが御手洗いに立ち、由良も一服したいからと、喫煙所まで小走りで行ったのだ。泉は僕の狙いを承知している(はずだよな?)から、いてもかまわない。
「広海君。泉のことをどう思いますか。お姉ちゃん達がいないから、正直な気持ちを聞かせてよ」
などと当たり障りのない導入を経て、いよいよ肝心な点を切り出そうとしたそのとき、由良が戻って来てしまった。間の悪い奴だ。いや、僕がどじなだけなのか? 単刀直入に聞けばよかった……と、影で泣いても始まらない。気を取り直して、次のチャンス到来を待つ。
そしてそれは、一日の終わりにやって来た。
観覧車。
係員の説明によると、一つの箱に、四人までなら一度に乗れる。五人グループでも小さな子が二人なら、乗れなくはないらしい。が、小学四年生というのは微妙な年齢、体格だ。安全を期すため、二人と三人に分かれることに。
「どう分かれる?」
由良がイニシアチブを取る。しばし誰からも発言はなかったが、三井さんが口を開き、意見を述べる。
「それはやっぱり、泉ちゃんと広海を二人にして……」
「いや、それは反対」
ここぞとばかりに主張する僕。
「まだ若いんだから、二人きりにさせるなんて、お兄さんとして許せません!」
真面目くさった態度で、しかし面白おかしい口ぶりで言うと、三井さんばかりか、由良までも吹き出す。もう一押しかな。
「時間的に見て、この観覧車が最後になるやろうな。それやったら、最後くらい、二人きりになるんもええんとちゃうかな、と思いますが」
僕は由良と三井さんに言い、手を返した。
と、突然、下の方から拍手が聞こえた。泉が「それがいい、それがいいよ!」
と叫び、広海君にも手を叩くよう、促している。よしよし、強力な援軍だ。
太陽の光でよく分からなかったが、三井さんはびっくりしたように目を見開き、少しだけ頬を染めてから、由良の方を向く。
対する由良はズボンのポケットに両手を入れ、いつものにやり笑いをしてから、目を閉じて肩をすくめる。
「どうする、万里?」
そうして、婚約者にウィンクする。おまえが乗り気なのはよく分かった。三井さんも嫌がるはずなく、ただ、弟達に対して気が引けているから迷っているだけなんだろう。癪だけど。
「万里おねえちゃん、ずっと付き合ってもらった私達からのプレゼントだと思って、遠慮せずに二人きりになってください」
泉が、三井さんの服を引っ張りながら言った。これが決定打になった。
「じゃ、この子達は僕が引き受けるんで」
「あ、あの」
くるりと向きを換え、泉と広海君の背を押して、距離を少々取ろうとしたが、三井さんに呼び止められる。周りには大勢の客が並んでいるから、声を潜めて僕は言った。
「婚約者同士で恥ずかしがるん?」
「そうじゃなくって」
怒ったみたいな返事に、僕は思わず苦笑した。三井さんは俯いて、さらに小さな声で続ける。
「隣り合わせに乗らないでほしいの……その、何だか気になるから。見られているような感じがして」
「分かった。覗いたりせんけど、気になるんならしゃあないな」
僕はため息混じりに承諾した。言われなかったら、僕の方こそ気にしなかったのに、もう気になってしまうじゃないか。青少年てのは、字面と違って、頭の中ではあれこれ妄想するもんなんだよ。
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