第12話 同乗するから席をくれ
しっかし、由良の奴と一緒とは、精神的にハードな一日になりそうだぜ。
転校してきてから初めての試験を乗り切って、一息つく暇もなく、デートの日を迎えた。
「雲が少し出ているけれど、晴れてよかったわ。ちょうどいいぐらいの暖かさだし」
三井さんは挨拶のあと、手で庇を作って空を見上げながら言った。背景には、こぎれいな白い校舎や薄茶色の丸屋根を持つ体育館が並ぶ。
待ち合わせ場所を妹達の通う小学校の正門前にしたのは、それぞれの家から近いし、泉達にとって余計な不安を与えないためという理由からだ。
その配慮の甲斐があったのか、泉は兄など目に入らぬ様子で、広海君と仲よく喋っている。それとなく観察していると、積極的なのはやはり泉。だが、広海君とて嫌がっている風ではなく、単に恥ずかしいだけだろう。
僕は視線を三井さんに向けた。
「まさか、三井さん達も歩いてくるとは思ってなかったよ」
「車で来ると思った?」
そうなのだ。約束の時刻の十五分ほど前に到着し、泉がそこらをちょろちょろしないよう手を握って待っていた僕は、十分後、少しばかり驚いた。弟を連れて、徒歩で現れた三井さんに、ただちに理由を聞かなかったのは、彼女と会って最初の話題が由良のことになるのを避けたかった、ただそれだけ。
「由良さんは仕事の都合で、ここへ直接来るそうなの。私の家に寄るよりも、僅かでも早いんだって」
会社に泊まり込んで研究に打ち込んでるってことか。仕事熱心は結構だけど、今日の運転、大丈夫かいな。
「あ、ついでだから、先に言っておくね」
何故だか心苦しそうに、上目遣いに僕を見やる三井さん。
「何?」
「今日の費用、由良さんが全部出すって言ってくれて……。多分、由良さん本人から同じことを言うと思うんだけど、そのときになって揉めてほしくないっていうか……」
なるほど。支払いの場面になっていきなり由良に「ここは私が」なんていい格好をされるよりも、前もって三井さんの口から知らせてもらった方が、段違いに感じがいい。だから僕も受け入れる、と踏んだ訳ね。
「心遣いは嬉しいけれど、少なくとも自分達の分は、自分で払う。それが当たり前だ」
知り合って間もない上に、僕にとっちゃ恋敵の男から施しを受けるのは、できる限り避けたい。本当は、車に乗せてもらうのだって嫌なんだから。
「そんなこと言わないで。お願い」
胸元で手を組んで見つめられると、ぐらっと来る。
「由良さんて、ああ見えて頑固なところがあって、『大人の立場の者が出すのは世間の常識だよ』と言って聞かないのよ」
「でもなあ」
首を捻り、腕時計を見た。定刻を一分程度過ぎている。遅刻だぞ、由良。婚約者を待たせるのか、おまえは。
心中でひとくさり、由良に罵詈雑言をぽんぽん投げかけていると、妥協案が見つかった。悪くないアイディアだと自負するが、問題があるとすれば三井さんの反応だな。
「それじゃあ、こうしようよ。あらかじめ、三井さんにお金を渡しておくからさ。今日一日が終わってから、由良……さんの財布なりポケットなりに入れてくれないかな」
「そういうのもちょっと」
まだ困り顔のままの三井さん。その手を取ると、僕は適当に抜いたお金を押し付けた。足りないことはないと信じる。
「岡本君!」
返そうとする三井さんだったが、それをストップさせたのは、広海君の大きな叫び声だった。
「あ! 来たよ! 由良っちの車!」
車道の方を見て、その場で飛び跳ねる。それにしても、「由良っち」とは。単純で面白いニックネームだが、この一事をもって、広海君が由良に好感情を抱いているのか、それとも逆なのか、判断できそうにない。
ともかく、由良の登場に、三井さんは僕に返そうとしたお金を、そのまま仕舞わざるを得なくなった。このときばかりは、由良のナイスタイミングな登場を誉めてもいいと思ったよ。
この前見たのと同じ高級車が、正門前に静かに滑り込む。運転席の由良長太郎は、今日はサングラスをしていない。ウィンドウが下がり、初めてまともに素顔を見ることになった。
「遅くなって済まない、万里、広海君。それから」
僕と泉に目を向けてから、相手はにっと白い歯を見せた。
「岡本君、だったかな。おはよう。かわいらしい妹さんともども、歓迎するよ」
「初めましてっ」
泉のやつ、僕と車の間に割り込んで、深々とお辞儀した。
「岡本泉でっす。今日はお世話になります」
元気のいい自己紹介に続いて、子供らしい笑みを顔いっぱい、いや、全身に広げる。如才ないというか何というか。世渡り上手な大人になりそうだ。
「ひあ、よくできました。車の中からで失礼したね。ふむ。広海君に負けず劣らず、よくできた子じゃないか。家庭での躾がいいんだろうね。親御さんかな。それとも君が」
猫被りに騙された上に、興味ないくせに家庭事情まで聞いてくる。僕は適当に相槌を打ってから、「よろしくお願いします」とできる限り素気なく言った。
ドアが開いた。僕と小学生二人を後部座席に、三井さんを助手席にと指示する由良。
「ちょっと待ってください」
みんなの動きを止めさせたのは僕。泉が横で、「何よー。ちょっとでも早く出発しないと、もったいない!」と両腕を掲げてぷんすかやってるが、無視。
「差し出がましいのは承知で言いますが」
話す相手は由良。
「万が一、事故ったとき、最も危険な座席はどこか、ご存知ですよね?」
「――知っているよ」
ドライバーは、にやりと笑って顎先だけでうなずく。
「危険発生に際し、運転手が反射的に自らの身を守ろうとしてハンドルを切り、結果的に助手席を危険にさらすと言うね」
「ええ。ですから、三井さんを助手席に座らせるのはどうかと思いますよ」
一本取ったつもりだったが、由良も負けてなかった。
「私は凡庸な運転者ではないつもりだ。無論、どんなに上手な運転者だって、事故に巻き込まれることはあり得る。だから私は、事故が起きたなら、自らを危険にさらしてでも、同乗者を守るよ」
「……」
こいつ、よくもまあ、歯が浮くような台詞をいけしゃあしゃあと。寒くなるやないか。ま、こっちもこのまま引き下がるのは癪なんで。
「由良さんは、これまでに事故に遭った経験は?」
「ないが、それが?」
「じゃあ、事故に遭えば、それは初体験なんですよね。どう反応するかは、そのときになってみないと分からない。反射的とはそういうもんじゃないかなあ。ですから、やっぱりここは」
三井さんの前を横切り、助手席に乗り込む。
「僕が、一番の危険地帯に座りますよ」
「……よかろう。私の運転に信用が置けないのなら、シートベルトの長さをじっくり調整したまえ。シートの位置も適切にな」
言葉遣いがやや荒っぽくなったな。さすがに腹を立てたか。そういう風に人間らしい感情を見せてくれた方が、こっちにはありがたい。
って、当初の目的を忘れてしまいそうだな。今日は広海君と話をする。これをしっかり念頭に置き、シートベルトを締める。かちっとな。
「万里達も乗って。シートベルトを忘れずに。ああ、小さい子を手伝ってあげるといい」
カーナビゲーションを操作しながら、由良の目がルームミラーを通して後ろを一瞥する。
僕は振り返って、「手伝わなくていい?」とか「泉、大人しくしてるんだぞ」
などと言いながら、座る位置を認視した。僕の後ろが三井さんで、その隣が広海君、そして泉だ。
「行き先は前もって聞いた通りでいいのかな」
「ええ」
「音楽を掛けるか、それともラジオを? カーナビを使うから残念ながらテレビは無理だが」
「僕はどっちでも」
後部座席はわいわいと賑やかだ。三井さんも含め、楽しそうに喋っている。
対照的に、僕と由良との間には、妙な緊張感が漂ってきた。
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