第11話 将を射んと欲すれば
「おまえらしくもない。俺のクラスには、その広海君のお姉さんがいるんだ。考えれば分かるだろうに」
床にぺったんとへたり込んだ妹の前、僕は腰を据えた。あぐらをかいて、余裕の笑みを作ったら、膝小僧をぐーで殴られた。非力なので全然効かないが、大げさに痛がってみせる。
泉は気が済んだらしく、同じようにあぐらをかいた。
「で? 何が知りたいの? 三井君のお姉ちゃんの誕生日なら、まだ分かってないからねっ」
「誕生日は他の人から聞いた。広海君を紹介してくれ」
「……小さな弟をかいじゅーして、取り入るつもりなの?」
聞き覚えたばかりの単語を無理して使うから、妙なアクセントになっている。
「そんなんと違う。大事な話があるんや」
「どんな話か、聞いても言いそうにない感じ……」
「必要ないだろ。おまえは誘ってくるだけでいいの」
「まともに誘ったって、だめだと思うけどなあ。高校生が小学四年を誘うのって、結構不自然」
「……かもな。ん? 泉、小四だったか?」
「そうよっ! 何年だと思ってた訳? まーったく、妹の学年を忘れるなんて、とんでもない兄貴だわ」
「いいじゃないか。若く見られたんだから」
「あほかーっ」
今度は臑を蹴られた。踵でやられたので、さすがに少々堪える。声を上げるのはみっともなく、面目丸潰れなので、さするだけでぐっと耐える。
「そ、それはともかくとしてやな」
痛みを紛らわせる目的もあって、話を続けた。
「どうやっても、広海君と会って話はできひんか?」
「二人きりは無理だよ」
「二人きりがだめってことは、誰か連れてこいってか」
「逆よ、逆」
ぴんと立てた人差し指を目の前で振る泉。何だその、アメリカドラマの若奥様みたいな仕種は。
「私達小学生を何人かまとめて呼んでくれたら、不自然じゃなくなる。そうねえ、遊園地にご招待ってのがいいな。遊んでる間に、三井君と話せるチャンスも多分あるわよ」
「調子のいいこと言うんじゃない」
こっちが頼む立場だからって、つけ込みやがって。金がいくらあっても足りん。だいたい、泉の言う誘いかたはがきどもには不自然に思われないだろうが、世間から不審の目で見られるだろ。高校生が小学生の集団を連れて遊園地なんて、かなり怪しい。小学生の人数が二、三人ならまだ兄弟姉妹で仲よくやってるな、ぐらいで済むだろうけどな。
待てよ……そうか。閃いた。
「泉。おまえさ、まじで三井広海君をいいと思ってるのか」
「まあね。候補の一人」
照れた様子もなく、さらっと答える泉。
「じゃあ、デートに誘えるよな」
「な……」
さすがの我が妹君も、これには絶句した。小一の頃からデートそのものはしたことあるはずだが、知り合って間もない子が相手ではどういう訳だか後込みする。泉はそういうタイプだ。柄にもなく、おしとやかに思われたいのかもしれない。
案の定、「そんなはしたない! できる訳ないでしょ!」とか何とか、ぎゃーぎゃーわめく泉を落ち着かせ、「一対一じゃないんだ」と告げた。
「最初はグループデート。悪くないだろ。大和撫子っぽくてさ」
大和撫子っぽいとは、我ながら意味不明な言い回しだが、妹は納得したようだった。
「……まあ、うん。でも、他に誰が来るってのよ」
「正確には、グループデートでもないんだ」
「は?」
「言うなれば、保護者付きってやつやね」
わざとにんまりとしてやる僕。泉は複雑な表情を見せた。
「まさか、着いてくるのはお兄ちゃん……?」
「当たり前だ。そうでなきゃ、話を聞けない」
「じゃ、じゃあ、三井君には、お姉ちゃんが?」
僕は黙って首を縦に振った。次の瞬間、泉は僕を力一杯指差した。
「なーんか、お兄ちゃんの欲望を満たすだしに使われる気がするう」
「断じて違う」
即答。そりゃまあ、三井さんがフリーなら、妹のデートにかこつけてってことになるが、この場合は違うだろ、うん。第一、欲望ってなんなんだ。せめて願望と言え。
「損得で言うんなら、おまえ達の方が絶対に得だ。費用は俺持ちだし、小学生だけでは行けない遠いとこや、入れないようなとこも保護者同伴てことで行るけんだぜ」
餌を一生懸命まくと、その甲斐あって、泉も乗り気になってきた。
「割のいい小遣い稼ぎだと思うことにした。私は三井君を誘うだけだよ。そのあと、向こうのお姉ちゃんが来るかどうかとか、三井君とお兄ちゃんが親しくなれるかどうかは、知らないからね。失敗しても、全部お兄ちゃんの努力不足ってことでいい?」
「いいとも」
三井さんが来るかどうかは、僕にもどうしようもないが、来なくても別にかまわない。広海君から話を聞くには、彼女がいない方がやりやすい気がするし。いやでも、できれば来て欲しいな……。
ちゃうちゃう! 今回の目的はそうじゃないのだ。自分に強く言い聞かせた。
「泉は、広海君を誘うとき、俺が同伴するってことを言い添えたらええ。多分、広海君の口からお姉さんに伝わるだろうからな」
「うん」
「くれぐれも、俺が三井さんも誘いたがっていた、なんて言い方はしないように。分かったな?」
「分かった。お兄ちゃんに協力しちゃうわよ」
言い聞かせれば言い聞かせるほど不安が募るのは何故だ。
「それで、日にちは?」
泉に問われて、決めてないことに気付かされた。早ければ早い方がいい。次か、その次の日曜日ぐらいだな。
泉に頼んでから二日後。三井さんを通じて反応を知ることができた。
「聞いたよー、岡本君」
朝、教室に入って、僕が椅子に着くかどうかのタイミングで、三井さんがにこにこ顔を向けてきた。
「何を。誰から」
素知らぬ態度で、鞄をいじりながら応じる。
「弟の広海が、岡本君の妹さんにデートを申し込まれたって」
両拳を口の前に持って行き、楽しそうに目を細める三井さん。我がことのように喜んでるなあ。泉の気持ちに嘘偽りはないものの、隠れた目的のことを思うと、多少、心が痛む。
「ああ、その話か」
妙に気取った口調になった。芝居が下手だな、自分。こういうときは、慣れた関西弁にチェンジ。
「泉が――あ、泉って僕の妹なんやけど、どうしてもデートしたい男の子がいる言うて。一緒に行きたいところがあるのに、小学生だけじゃ無理だからって、拝んでくるもんやから、兄としちゃ引き受けざるを得んかった。三井さんの様子だと、広海君は泉のデート申し込み、受けてくれたん?」
「ええ。広海は女の子から誘われるの、初めてなんだよー。天にも昇る気持ちってはしゃいでた。もう、端から見ててかわいくって」
そのときの様子を思い出しているらしい三井さんは、微笑みが絶えない。見ているこっちまで、頬が緩んでくる。
「OKしてくれたからには、僕も責任持って保護者を務めんとな。まあ、任しといて。広海君が物凄い人見知りする性格だったとしても――」
「その保護者のことなんだけど」
三井さんが遠慮がちに、右手を肩の高さまで挙げた。
「うん?」
僕は若干の期待を持って、続く言葉に耳を澄ませる。三井さんが周囲を見渡し、聞かれていないかどうか気にする素振りを見せたものだから、なおさら。
「岡本君に押し付けるのは気が引けるから、私達が代わりに行こうかって思ったんだけど」
「え?」
何ですと?
「私達って言うのは、もしかして、三井さんと……」
「うん。由良さん」
きっと惚けた顔つきになっていたであろう僕に、三井さんは満面の笑みで首肯した。まさかこういう逆提案があろうとは、予想の範囲外。頭がすぐには巡らない。
言葉を継げないでいると、三井さんはさらに提案を積み重ねる。
「だって、ほら。由良さんがいれば、車で移動できるでしょう? 泉ちゃんや広海にとって安全でしょうし、時間も短縮できると思うの。それに、岡本君に迷惑掛けられない」
「迷惑だなんて、とんでもない!」
思わず、大声で否定。クラスの他の連中から注目されちまった気がするが、致し方ない。定型の台詞を口にしたことで、やっと考えがまとまってきたしね。
「泉の方から誘ったんだから、僕が面倒を見るのは当然だよ」
「でも、交通費や遊園地の入場料まで持つって、泉ちゃんに言ったと聞いたんだけれど、そこまでしてもらうのは……」
「泉のやつ、余計なことを」
これは本心。舌打ちが出た。
とにかく、どうしても君の弟と話がしたいんだ。そのためには、たとえ由良の奴と再び接近遭遇することになってもかまわない。
「お金の話は脇に置いても、三井さん達に保護者を任せると、今度は僕の立場がなくなるよ。だから、僕も着いて行く」
「それってつまり、岡本君も由良さんの車に乗って行くってこと?」
「そう。あかんかな?」
「あかんことない……」
僕の言葉につられたか、三井さんはそう口走った。と、次の瞬間、顔が真っ赤になる。こういう仕種を見せられると、ますます好きになっちまう。病膏肓に入るというか、薮蛇というか。由良に隠し子がいようがいまいが、破談させてやる!なんて決心をしてしまいそう。
「あ、あの、だめじゃないわ」
目を伏せがちにして、急いで言い直す三井さん。
「わ、私も同じこと考えてたの。た、ただね、この間のこともあるから、岡本君、由良さんとは一緒にいたくないんじゃないのかなーって考えてたわ」
「そんくらいの分別はある。向こうの方こそ、僕に悪い印象持ってるんやないやろか。それだけが心配や」
三井さんを不安にさせまいとして、関西弁でソフトさを出そうと努める。
「もし悪い印象持たれとるんやったら、この機会に謝っとくわ。すんまへんなーって伝えとって」
「――っ」
三井さん、ほっとしたのかな。吹き出した。僕の方は密かに安堵。
「あははは。分かったわ。じゃあ、泉ちゃんと広海のデートには、岡本君と私と由良さんが着いて行くということで、決まりね」
「そうしてもらえるとありがたい」
やれやれ。どうにかまとまった。
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