第10話 タイムリミット

「あの、ちょっと聞くけど、そのとき、由良長太郎はなんぼ?」

「なんぼって年齢のこと? さあ、分からないわ。今は二十八か九よ」

 思わず、年齢差を計算。三井さんとは一回り離れてるじゃないか。うう、やはり早いだろ、と言いたくなる。

「それよりも、目の前の目的を達したらあとはどうでもいいっていう性格が出てると思わない?」

「ま、思わなくはないが、弱いよ」

「そう? じゃあ、次。二番目の理由は、由良本人じゃなくて、一族全体に対する噂から」

 一族って何だ? 由良の家系は名門なのか。

「由良総合病院て、聞いたことない? 越してきてから間がなけりゃ、知らないか。代々、総合病院を経営してて、少なくとも一人は医師として腕を振るってるのよ」

「問題ないんじゃないか?」

「ところが、おっとどっこいってやつよ。現在、裁判を一つ抱えているらしいのよ。言い換えると、医療ミスの疑いで訴えられてる」

「そりゃあ、責任が病院側にあるとなったら、結構なスキャンダルになるよな。結婚相手の近い肉親がそんなとこに勤めてたら、多かれ少なかれ、三井さんだって悪い影響を受けるかも……」

「でしょでしょ。過去にも一度、訴えられたことがあって、そのときは勝ってるみたいなんだけど、今度はどうなるか分からないじゃない。わざわざ騒ぎの渦に近付かなくたっていいと思うのよね、私は」

「うーん。理屈は分かった。けどなあ」

 意識せずに、腕組みをしていた。首を傾げる僕に、知念さんは不満そうに聞いてくる。

「けど、何よ?」

「どんな訴えなんか知らないし、そういう訴訟沙汰の当事者になった経験もないから、迂闊なこと言えんけど。一概に病院が悪いと決め付けるのは、無理がある気がするな。日本も割と訴訟社会ってやつになってきたし、大きな病院となると、思い込みの激しい患者や家族も多いだろうから、比例して裁判を起こされる数も増えるんじゃないかな」

「やけに敵の肩を持つわね」

「そんなんと違う。冷静な判断をしたつもりだよ。それにさあ、三井さんの結婚云々と基本的に別の話じゃないかと思う」

「岡本君は男だから、もらわれていく女の立場ってものが分からないのね」

 反発したくなる断定調だったが、敢えて口をつぐんだ。女の立場を語るのなら、男は女に勝てそうにない。

「ん、確かに、三井さんにそういうとこと関係持ってほしいとは思わないさ」

 調子を合わせ、三つ目の理由を尋ねる。

「三つ目は、ほんとに全くの根拠なしなんだけれど……他言無用よ、絶対に」

 直前で念押ししてくるとは、よっぽど悪い噂なんだろうか。期待とも不安ともつかぬもやもやした感情が、僕の胸の内で大きくなっていく。

「誰にも話さん。約束すると言っただろ」

「それじゃあ」

 知念さんは身体を動かして深呼吸をすると、また唇を舐めた。そして言った。

「由良長太郎には隠し子がいる、かもしれないの」

「――そいつは……何ていうか、強烈なネタ、だな」

 危うく思考停止しそうになった。世間的には、高校生の結婚というだけでも充分スキャンダルに映るだろうに、その上、相手の男に隠し子がいるなんてことになったらどうなるんだ。

「まじか? ほんまやとしたら、絶対にやめさせんとあかん、結婚」

 最初の衝撃が過ぎ去ると、“冷静に怒る”ことが可能になった。

「三井さんは、そのこと知ってるんか?」

「いや、だからね、興奮は分かるけれど、あくまで噂だから。ひょっとしたら万里の耳にも入ってるかもしれない。でも、たとえ耳にしていても、信じてないでしょうね。信じたなら、結婚の準備を着々と進めるはずないもの」

「そう……か」

 しばし、言葉をなくす。三井さんのためにどうすればいいかを考える。

「噂の真偽を確かめなきゃ、話になりゃしないな。真実だったら、強力な武器を得たも同然なんやけど」

「噂の出所、気になるでしょう?」

「当ったり前」

 身を乗り出し気味にうなずく僕に、知念さんは何故か微苦笑混じりに応じた。

「三井広海君からよ。分かるように言い直すなら、万里の弟。何回も会ってて、すっかり顔馴染みになっちゃってね」

「三井さんの弟って、小学生のか」

「あ、知ってた?」

「妹の同級生らしいんだよ」

「そうだったんだ? へえ、世間は狭いわね」

「身内の話は淀川に流して、その噂、信頼度はいかほどなんだろ? 三井さんに近いところから出てるんだから信じていいのか、それとも小さな弟の言うことだから信じがたいのか」

「微妙よね。私もだからこそ迷ってて……」

 難しげに、眉間にしわをこしらえた知念さん。目を細くし、考え込む風に首を左右に振った。

「信じる程度を数字で表したら、とても一〇〇パーセントには届かないわ。たとえば、その隠し子をどこでどうやって育てているのかとか、その子を産んだ女性は誰で、関係はきれいに切れているのかとか、具体的なことになると、広海君、何にも答えられないし、誰から聞いた噂なのかも曖昧」

 それってもしかして……。僕は、喉まで出かかったフレーズを飲み込んだ。弟の広海君とやらが嘘を吐いている可能性も、結構あるんじゃないか? そう思えたのだ。お姉ちゃんのことが大好きな弟が、その結婚を邪魔しようと、由良の悪口を言い触らす――ないと言い切れたらいいのだが。

「真偽を調べるとしたら、どんな方法がある?」

「うーん……広海君から話を聞くしかないわ。それ以外に手がかりないもの。まさか万里本人には聞けないし」

「由良の住所か電話番号でも分からないか。由良の病院とかも」

「もしかして、由良から直接聞くつもり? そんなの無駄よ。相手にしてもらえないだろうし、首尾よく行って話ができたとしても、認めるはずない。噂の真偽にかかわらずね」

「本人に聞いてもしゃあない。でも、あいつの周りの人間に聞くっちゅう手はどう? 由良の知り合いなら、由良を悪く言わない可能性高いけど、悪い噂が本当に立ったのなら、広海君のいないところでも広がったはず。それを見極めるだけでも、意味がある」

「そうね……悪くない作戦だと思うけれど、由良の住所や電話番号が分かったって、関係者にはつながらないわ。計画倒れね」

 早々とあきらめムードの知念さんだが、僕は自信を持って言い返した。

「由良に言わせりゃええ」

「ど、どうやって?」

「話をしたら、口を滑らすこともあるはずさ。由良の病院に行けば、何か飛び込んでくるかもしれないし、いざとなりゃ、三井さんに招待客リストをちらっと見せてもらう手もある。由良家の招待する人達の中に、隠し子の話がほんまかどうか知ってる奴がおるかもしれんからな。ところで……結婚式はいつ開かれる予定なん?」

「そんなことまで聞いてないのっ?」

 小馬鹿にしたと言うよりも、呆れた調子で知念さんは言い、ため息をついた。

「十二月十九日。あの子の誕生日ってことも知らないでしょうね」

「へぇ……」

 じきに来てしまうじゃないか。現実を突きつけられ、内心焦る。

 ともかく、誰を招待するかはすでに決まっているんだろう。

「十六歳になるその日に、結婚しようって訳よ。結婚記念日と誕生日が重なると、プレゼントを一つ損するよって言ってあげたんだけど、万里は微笑むばっかりで、全然聞いちゃいない」

 肩の高さで両手を開き、首を振る知念さん。ツインテールがやたらと目立つ、“参ったね”のポーズ。

「それで、結婚式の日取りを聞いてどうするの? 言っておくけど、あくまで予定だから注意してよ」

「猶予を知りたかったんだ。けど、そないに近いとは予想外。まずいな。結婚させないように持って行けたとしても、結局、三井さんを傷つけてしまうんじゃないかな……」

「そういう弱気じゃ、端から失敗が見えてるんじゃなくて?」

「……違いない」

 覚悟を決めよう。肝を据えよう。


 とは言え。

 いきなり由良に会いに行ったり、病院へ足を運んだりは、さすがに躊躇してしまう。知念さんとの話でも出たが、思いっ切り的外れという可能性だって、まだ充分にあり得るんだから。

 最初は足場を固める。つまり、三井さんの弟、広海君に接触して話を聞いてみねば。

 僕は帰宅するなり、泉の部屋に直行した。珍しく扉が開けっ放しだったので、そのまま声を掛ける。

「あ、お兄ちゃん。クラブまだ決めてないの? 帰りが早い!」

「広海君との仲は深まってるか?」

 質問はスルーして、先制パンチ。泉は動揺も露に、転げるようにして椅子から離れた。着ているオーバーオールジーンズは新品で、動きにくそうなのに、随分素早い身のこなしだった。

「な、何で名前を知ってるのよ。下の名前!」

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