第7話 元気な妹は現金でもある

 泉は最前よりも一層にやにやしながら、身体の正面をこっちに向ける。

 僕? 慌ててなんかない。ほら来たと思っていた。泉は抜け目がないのだ。昨日のような頼み事をすれば、きっと裏があると考えて、言われた以上のことを聞き出してくるに決まっている。そう踏んでいた読みは当たった。

「新ネタはいくつあるんや? たくさんあるんなら、一つだけ言ってみ。それで判断したる」

「うーん、しょうがないなあ。三井君のお姉さんは、お兄ちゃんと同じ高校で同じ学年、なんてのはとっくに分かってるんでしょ?」

「もちろん」

「じゃあ……三井万里さんの好きな食べ物っていうのは、どう?」

「……」

 三井さんと由良との結婚話をどうこうっていう目的からは外れるが、三井さんの好物というのは知っておいて損はない。

「よっしゃ。言うてみ」

「お兄ちゃんが好きな万里さんは、M.D.のドーナツ、特にアメリカンオールドファッションとフレンチタイプに目がないらしいよ」

「余計なことは言わんでええ。だがまあ、確かにそれなりに値打ちのある話だな。残り全部も話したら、五百円出そうやないか」

 僕の提案に、泉は多少渋る仕種を垣間見せたが、やがて思い直したらしく、小さい顎を振って「いいよ」とうなずいた。うむむ。案外、残り手持ちのネタに自信を持ってないのかもしれない。

 何はともあれ、耳を傾けようじゃないか。

「もしプレゼント攻勢を掛けるつもりだったら、やめた方がいいかも。結構お金持ちみたいだし、物に釣られないタイプなんだってさ。どうしてもプレゼントしたいなら、花一輪とかがよさそう」

「まだそこまで考えとらん。けど、参考にはなる」

 くそっ、由良の奴は薔薇の一輪でも贈ったのか? その場面を思い描くと、一人密かにかっかしてしまった。

「本当に、上手くやったら効果抜群、間違いなしだよ。昔、お姉さんの誕生日に三井君が手作りのお人形さんをあげたら、物凄く喜んだんだってさ。つまり、しゅちゅえーしょんが大事なのよね。恋人の座を狙うなら、ムード」

 心中で、「しゅちゅえーしょん」じゃなくて「シチュエーション」だろと突っ込んだ僕だが、話そのものには感心した。いかにも三井さんらしい。内面の方も理想のタイプにぴったり重なる。

「三井さんの誕生日は?」

「あ、ごめん。聞いてない、てゆっか、まだ無理」

 あっけらかんとした返事に、がっくりこん。三井さん自身に聞かずに、誕生日を突き止めることができれば、いきなりバースデイプレゼントを贈って驚かせられるのに。

 って、この発想、由良の奴と根っこが同じですか? 癪だな。どうせ驚かせるのなら、最大級の驚きを……いやいや、違う。今はそれどころじゃない。

「由良君とはどないな話をした? 家族のこと、何か言うとらへんかったか」

「えっとね、その前に、お兄ちゃんの狙いが分かんない」

「狙い?」

 一瞬、どきりとさせられ、反射的に胸に手を当てそうになった。心の中を読まれたか?

 が、泉の言葉は僕が思ったようなニュアンスは含んでいなかった。

「三井君にはきれいなお姉さんがいるからぴんと来た。これが女の勘というものよね。けど、由良君にはそういう人はいないみたい。何でかなーって不思議でたまんない」

「そんなことはどうでもええ。由良君の口から、家族や親戚の話が出て来んかったかが気になるんや。三井君みたいにほのぼのエピソードじゃなくて、おじさんの面白失敗エピソードとか」

「無理だって。昨日も言ったけどさー、知り合って一日か二日しか過ぎてないのに、そういう内部のこと、聞けないって。分っかんないかなあ」

 小さい子に手を焼く保母さんのごとく、泉は立ち上がって腰に手を当てた。ちびのくせして、こういうポーズは憎たらしいほどに決まってる。しょうがないなーっといった感じの見下ろす視線に、兄としては苦笑を浮かべるのみ。

 しかし、それだけでは兄の沽券に関わるってもんだ。少しは逆襲しておかないとな。

「で、泉。おまえはどっちの男の子がいいと思ってるんだ? 二日目の時点で、リードしたのは由良クンか、それとも三井君か?」

「な、何で、そんなことまで、答えなきゃなんないの!」

 途端に赤面して、両腕を下に突っ張る泉。よしよし、そういう反応の方が小学生らしくて、僕は安心できるぞ。

 などと、馬鹿な感想を抱いたのも束の間だった。

 泉のやつ、全身の力をふっと抜いたかと思うと、「なーんてね」とつぶやき、いや、吐き捨て、舌を意地悪く覗かせた。

「私がそんなかわいらしい反応をする訳ないでしょ! どうして私が選ばなきゃいけないのよ。別に未来の旦那さんを選ぶんじゃあるまいし、今の年齢なら大勢と一度に付き合ったって、誰も怒らない。全然OKなんだから。わざわざ一人に絞るなんて、愚か愚か愚か!ってもんだわ」

 流行りのテレビアニメの決め台詞を声色を使って叫ぶ。大したたまだと拍手を送ってやるよ、まったく。

「やれやれ。その調子なら、一週間後には、七人のかわいそうな男子どもを侍らせているな」

「え? 『はべらせる』って? 意味分からないよ。小学生にも分かる言葉で言ってくれないと――あーっ、笑ったな。ずるいずるいっ」

 ……ったく。こういうところは、依然としてがきなんだよな。

 僕は追加料金の五百円を泉の小さな手に握らせると、「はべらせる」の意味は自分で辞書を引いて調べるようにと言っておいた。

 意味を知ったあとで妹がどんな反応を示すのか、楽しみのようであり、恐いようでもあり。


 昨晩、寝床に潜り込んでから今朝、目覚めるまでの間に、ぼんやりと考えた。

 三井さんは高校一年生だ。 → 高校一年生の年齢は通常、十五か十六歳だ。 → 高校一年生で十六歳なら、その年の誕生日は終わっている。 → 日本で女性の結婚できる年齢は十六歳からだ。 → 三井さんは結婚できる年齢になっている。つまり……。

「今年の誕生日、終わってるやんけ!」

 起き抜けに口走ってしまった。

 誕生日にかこつけて、プレゼントを贈ってみようかなと考えていたのに、敢えなく挫折。他に、自然な形で彼女にプレゼントするよい口実はないかいな。

 昨日、由良と会ってからは結婚祝いを贈る気は更々なくなったし、もちろんクラス全体の結婚祝いにも協力しないと決めていた。だいたい、結婚後じゃ遅いんだよ。

 などと、一人悩んでぶつくさやっていると、学校に着いた。

「――あっ、来た。岡本君!」

 廊下で呼び止められた。まだ自分のクラスまでは少し距離があるのに。

 振り返ると、昨日知り合ったばかりの顔が。何部に入っているかは忘れたが、名前はさすがに覚えている。

「知念さん。おはよう」

「おお、おはよう。礼儀正しいんだね、岡本君て。大阪の人はみんなもっとがさつだと思ってた。ごめんね」

 君に言われたくない、が、最後に謝ってくれたとのだからよしとします。こっちも初対面の印象だけで決め付けてたしなと、密かに反省。

「わざわざ呼び止めたのは、友達になったことの確認のためかいな?」

「それもあるよ。でも、メインディッシュは、由良長太郎に対する……反感同盟ってところかな」

「何やて、反感同盟?」

 聞き慣れない、いや、初耳の単語だ。恐らく、知念さんの造語だろう。

 それを尋ねる前に、もう一つ、ワンランク上の気になる名前が出て来たな。

「由良長太郎って……あいつの名前、長太郎?」

「そうよ」

 わはは。思わず、失笑。外見や年齢から著しくかけ離れた名前だ。名付け親のエゴすら感じて、あの由良にほんの微々たる同情を抱かないでもない。即刻、忘却するけどね。

「知念さんは、どうしてあいつを嫌ってるん?」

「先に岡本君の理由を聞かせて」

「声を掛けてきた方が、まず手の内を見せるべきと違うか?」

「……大した理由じゃないんだけど」

 あきらめのため息をついて、彼女は喋り出した。

「私、万里とは幼なじみだって、昨日言ったわよね。小学校からの」

「うん」

「その頃から、由良は万里の家にたまに来てたのよ。正確に言うと兄弟揃って、だけどね。だから何度か、あいつの顔を見たことあってさ」

「由良には弟がいるのかあ」

「違うわ。弟じゃなくて、兄の方」

「え? でも、由良長太郎って、いかにも長男の名前じゃないか」

「光一って人がいるの。お医者さんでね、次男とは年齢が一回りぐらい離れてて、そんなに似てないわ。やな感じなのは大差ないけれど」

「待った待った。話が見えへん。医者なら、三井さんとことは関係ないんやないか? それなのに家を訪ねるなんて」

 元々家族ぐるみの付き合いがあって、由良次男と三井さんとは子供のときからの許嫁……なんて想像が頭の中をぐるぐる回る。

「あ、それは、万里のとこが」

 知念さんが言葉の途中で口をつぐむ。長話が過ぎたか、予鈴が鳴り出したのだ。まだ五分の余裕があるから、今の台詞ぐらいは全部聞けないこともないはずだが……。

「またあとでね」

 知念さんはさっさと教室に引っ込んでしまった。

 あとでっていつだ? 次の休み時間か昼休みか、それとも放課後なのか? 

僕から出向くのか、君が来るのか?

 そういうことを全然示さないで。

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