第6話 色男を色眼鏡で見る

 ええ? 由良ってことは、あの人が、あいつが君の婚約者?

 そうと知れた途端に、敵意を覚えてしまった。なかなかハンサムな奴だなとちらと思ったのが一転、狡賢そうな極悪面だと決め付けた。いかんいかん、感情が暴走気味。

 懸命に抑制しながら、僕にできることと言えば、三井さんがどう反応するのか、見守るぐらいしかない。彼女の表情や仕種、一挙手一投足を全て見落とすまいと、僕は必死に横目を使った。

「仕事があると言っていたのに」

 三井さんはそう呟くと、車へと小走りに駆け寄った。表情はあっという間に見えなくなる。僕と知念さんは、歩いて後を追った。

「万里」

 男が口を開いた。やや低音で、男らしさをイメージさせる声だった。

「思いも掛けず、空白ができてね。学校まで迎えに行こうかと思ったんだが、時間帯を考え、こちらで待つことにしたんだよ」

「待ったでしょう?」

「いや。ほぼ計算通りさ」

「それにしたって、携帯に電話くれたら、学校で待ってたのに」

「いいじゃないか。驚かせたかったんだ」

 気障な喋りが鼻につく。これだから東京もんは! などと感じるのも、やはりこの男が三井さんの婚約者であるから僕が色眼鏡を通して見てしまっているんだ。そうに違いないと分かっていても、やめられない。

「ところで、そちらのお二人さんは? 万里のクラスメートかな?」

 車を降りた由良は、上着を脱いだビジネスマン然としていた。背が高く、足が長く、胸板は逞しい。研究者のイメージを作り上げていた僕にとって、かなりギャップがあった。

「私はクラスは違いますが、小さい頃からの友達です」

 知念さんが言った。どことなく刺があるように聞こえたのは、気のせいだろうか。

「クラスメートの岡本大地です」

 とりあえず、名乗るぐらいはしておこう。別にどうとなるもんでもないが。

 軽く頭を下げ、再び面を起こしたとき、相手の笑み混じりの視線を受けた。優越感たっぷりのそれは、僕や知念さんを完全に子供扱いしてやがる。

「二人とも、ここまで万里に付き合ってくれて、感謝するよ。あとは私が送るから」

 三井さんを横に立たせて、由良が饒舌に言う。早く帰りなさいと、手の動きが語っている。僕らが何気なく粘ると、彼は更に言葉を重ねた。

「それにしても万里はいい友達に恵まれている。普段から万里がお世話になっているようだね」

「いいえ」

 相手の言葉尻を僕は速攻で否定。

「ん?」

 やった。ちょっぴりだが間抜け面を拝めたぞ。そういう表情もするんじゃないか。格好つけてないで、同じ位置まで降りてこい。

「僕は転校してきたばかりでしてね。分からないところだらけで不安だったのが、三井さんに親切に教えてもらって、大変助かってます」

「ほう……」

「もうしばらく、三井さんの助けを借りたいな。よろしいですか? 婚約者の由良さん?」

 高校一年生にできる、精一杯の反発。宣戦布告は無理でも、見下されるのは我慢ならない。

「ふふふ。くっくっく」

 驚きで目を見張る三井さんの斜め前に進み出た由良は、忍び笑いを見せた。それはやがて、明瞭な笑いへと変化する。

 腹の前に片手を当て、はっきりと笑い声を立てながら、相手は言った。

「よろしいも何も、私に断る必要なんかないよ。えっと、岡本君だっけか」

「しかし、婚約者がいるからには一応、断りませんとね」

「はっはっはっ! ジョークだとしたら、まずまずだ。学校で助けてもらうことなんて、私には関係ないさ。そもそも、万里はクラス委員長なんだろう?」

 尋ねるに際して、わざわざ三井さんの方を振り向き、加えて肩を抱き寄せた由良。何なんだ、これは。

「え、ええ」

 三井さんの返事に満足したように頷くと、由良は僕らに向き直った。先ほどの惚けたような間抜け面は一瞬だけで、いつの間にか、余裕のある態度に戻っている。

「クラス委員長が、転校生のために骨を折るのは、当たり前じゃないか。少なくとも、私はそうだと思っているよ」

 言い返せない。実際、そうなんだろう。三井さんが僕に親切にしてくれたのは、僕が転校生だから。今日、一緒に下校したのも同じ。

 沈黙を嫌ったのか、三井さんが取りなす風に言葉を発した。

「も、もう、岡本君、びっくりするじゃないの。やだな、知ってたの? 私と由良さんのこと……」

 はにかむ様にどきりとさせられる。が、今の三井さんには、空気の険悪さを察してそれを打ち消そうと、必死な感じがより強く面に出ている。そんな役目を負わせたくない。

 手詰まりでもあるし、ここは退こう。

「それじゃ、遠慮なく明日も三井さんを頼りにさせてもらいます。――よろしく頼むわな~、三井さん!」

 首を傾け、彼女に向かって手を振る。

 でも三井さんは何と応じればいいのか困った様子で、手を拠り合わせるだけ。目が悲しそうだ。

 僕は心の中で謝りながら、きびすを返した。

「それでは、私も失礼します」

 やけに気取った口調でそう言い残した知念さんが、すぐに僕に追い付いた。そして、

「やるじゃない」

 と、鞄の角で僕の脇腹を突っつく。

「何が」

「さっきの態度。岡本君とは気が合いそうだわ」

 知念さんは謎めかして言った。やっぱり、由良に対して彼女が最初に発した台詞に感じた刺は、僕の勘違いではなかったらしい。

「含むところ、あるのか。理由を教えてくれよ」

「しっ。あとでね」

 どうしてと問い返そうとした僕に、彼女は視線を後ろに振った。

 肩越しに後方を見れば、何と、三井さんはあいつの車に乗るのを断って、こっちに走ってくるじゃないか。

「何でだ? 婚約者が迎えに来たっていうのに……」

 嬉しく思う反面で訝る僕に、知念さんは分かった風な口を利いた。

「ああいう子なんだよ、万里は。先に約束した方を優先するの」

 今の気分を天気予報にたとえて表現するなら、大雪のち曇り時々雨ところにより大荒れ……そして太陽が雲間から覗いた、みたいな感じか。って、そんな天気予報どこにもないけどな。

 とにもかくにも、最後に三井さんの笑顔が見られてよかった。僕が彼女の結婚話を知っていながら知らないふりをしたことに関しても、全然気にしていないと言ってくれた。

「驚いたのは確かだけれど、いずれ話さなくちゃって思ってたのよ。でも、何て言ったらいいのか……恥ずかしくて気後れしていた。それがあっさり解決しちゃって、かえってほっとした」

 なんて、頬を赤らめながら言われたときは、一目惚れした瞬間を思い起こしてしまった。実物の由良に好感を全く持てなかった(どころか、嫌なイメージしかない)のと相まって、三井さんをあきらめるのにはますます時間が掛かりそうな予感。

 だから、という訳ではないけれども、僕は泉の報告を心待ちにしていた。いや、期待していた訳じゃないが、千円分、働いてくれ。

 無論、家族揃った夕餉の席でこの手の話をできるはずもなく、昨日と同様、子供部屋に入ってからとなる。昨日と違うのは、僕から妹の部屋に出向いたことぐらいだ。

 ちゃんとノックして入った僕を、泉はにやにや笑って迎えた。

「さっすが。エチケットを心得てるわね」

 こういうときに甲高い声でくだらない話をされると、いらいらする。相手にせず、絨毯にどっかと腰を下ろすと、立ったままの泉を見上げた。さっさと答えるようにプレッシャーを掛ける。

 意外に早く通じたようで、泉は学習机の前に腰掛けると、背もたれに片腕を載せて喋り出した。

「三井君にはお姉さんがいるわ。由良君にはいない」

 それはもう知っている。だが、そんなことを言ったら、妹はへそを曲げるに違いないので、黙っておく。

「三井君の姉って人の、下の名前は分からんか?」

「まりさんだって。漢字では、一万里から一を除けた字」

「そうか」

 これで完璧に確定した。泉と三井さんの弟とは同級生。そして由良の甥っ子もいる。利用しない手はない……具体的な妙案はまだ浮かばないけどな。

「さて、お兄ちゃん。続きを聞きたければ、少し追加料金を戴きたいんですけど、いかが」

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