第4話 ミニトマトが転がって
転校二日目。学校に着いてから、僕はあっと思った。
何も泉に金を払って頼まなくても、僕自身がクラスメートから聞き出せば済む話じゃないか。そりゃあ、三井さんに直接聞くことはちょっと難しいが、剣持達なら知っているだろう。いくら昨日はショックが大きかったからと言っても、迂闊にすぎる。
千円の損を大きな歯ぎしりで噛みしめ、着席。幸いと言うのもおかしいけれど、三井さんはまだ来ていないようだ。
さてここで誰かを掴まえて、聞き出すべきかどうか、しばらく迷う。それとなくクラスを見回した。
三井さんに弟がいるかどうかを知ること自体は、それほど大事なのではない。由良某に弟がいるかどうかも、似たようなものだ。由良某なる男がどんな奴か、これに尽きる。
「ちょっとは慣れたかい、岡本君?」
唐突なその声の主は蓮沼さん。昨日最後の一件がなかったなら、転校二日目にして他の女子と親しく会話を交わすのは避けるところなのだが、今は宙ぶらりんの状態なので、別にいい。三井さんに見られても。
「なれへんなあ。東京人になるんは難しいわ。まだ七割ぐらいは関西人かなあ」
「それ、『なれ』違い」
おっ。ちゃんと突っ込んでくれた。案外、乗りがいいね。現在の僕には、こんな些細な反応が優しく感じられる。僕はいい機会だと判断して、蓮沼さんに聞くことにした。
「ところで。三井さんが来ない内に聞いときたいことあるんだけど」
「ああ。結婚の?」
当たらずとも遠からず。ここで否定するのもどうかと考え、成り行き任せで、「うん。クラスで結婚祝いとかしたのかなと思って」などと言ってみる。
「それなら計画進行中よ。何なに、カンパしてくれる? 転校生なのに友情に厚いわねえ」
「もちろん、喜んで」
胸の内では舌打ちとともに首を振る。「喜んで」は嘘だぜ、僕。
ともあれ、自分にとっての本題につなごう。
「ついでに教えて欲しいんだけれど、三井さんに弟、いる? 小学生の。うちのちびが名前出しててたんだ。同じクラスになったらしくて」
「いるいる。すっごくこましゃくれて、きかん坊って感じのが。えっと、名前は……三井……三井弟で覚えちゃったからなあ……」
天井を見上げて考える様子の蓮沼さん。あの、下の名前は別に教えてくれなくてもいいんだけど。
と、そのとき、背中の方から三井さんの声がした。
「弟の名前なら、
「あ、そうそう」
手を打ち、彼女を指差す蓮沼さん。僕は胸に手を当て、気を落ち着けてから振り返った。
「おはよう、三井さん」
よかった。普段通りの声を出せたことに、我ながら感心したよ。
「おはよう、岡本君。早く慣れてね。分からないことがあったら、私にでも誰にでも聞いて」
「ありがとう」
今朝も婚約者の車に送られての登校だったのかな。そんなことをぼんやり想像した。
すると、三井さんが学生鞄を胸に抱いたまま、身体を折って僕の顔を不思議そうに覗き込んできた。
「ど、どうかした?」
赤面しないようにと意識したが、少しはしただろう。
三井さんは顔を引っ込め、席に着いてから答えた。
「うん。岡本君、昨日に比べたら何だか喋り方が丁寧になった気がする」
「そうかなあ? まだ慣れてないからやな、きっと」
声のボリュームを若干上げ、さらに関西弁を挟むことでごまかす。
「ふうん。それで、どうして私に弟がいると分かったの?」
訳を話そうとした僕だが、蓮沼さんの方が早かった。ぺらぺらぺらと小気味よい調子で一気に喋る。
説明が終わるや、三井さんは両手のひらを合わせ、凄い凄いと呟いた。
「
昨日、結婚の事実を知らない内にこの台詞を聞けていたら、また舞い上がっていたに違いない。今ですら、嬉しいのだから。
どうしてこんな思わせぶりなことを口にするのか。婚約者がいるくせに。罪ってもんじゃあ、ないのかい?
「楽しそうだね」
僕の言葉はよほど唐突に聞こえたのか、傍らにいた蓮沼さんが怪訝そうに眉を寄せた。
でも、三井さんは。
「うん。楽しい。ここのところ、毎日楽しい!」
なんて、元気よく答えるんだもんな。楽しそうと言う以上に、幸せそうに。
泉のクラスメートの由良某が、三井さんの婚約者と関係あるのかないのかは、なかなか判明しなかった。三井さんが登校してくる前に蓮沼さんから聞き出すべきだったのに、チャンスを逸してしまった格好だ。
時間を無駄にずるずると消化して、はや昼休み。三井さんの隣でランチと行きたいのは山々だが、ここは涙を呑んで席を離れる。快晴の空の下、外で剣持達男子三人とでだべりながらの昼飯を選んだ。僕の狙いが、由良について剣持らから聞き出すことにあるのは、断るまでもない。
前にいた学校での話、Y新喜劇のこと、大阪にあふれるばかでかい看板の謎等々について喋っていると、時間はどんどん過ぎた。そろそろどうにかせねばと話題転換を窺う。
「新喜劇に出てる女で、YO以外にかわいいのっていないよなあ」
「そりゃおまえ、笑いを取るのに綺麗所ばっか揃えても仕方ないぜ。ていうか、無意味の極地って感じ」
ちょうどいい具合だ。僕は昨日の挨拶で使った「こっちの方がかわいい子が多い」を再び持ち出した。そうして。
「クラスで一番かわいいの、誰だと思う? こっちと向こうとで見る目が同じかどうか、確かめときたいんやけど」
「変な心配する奴だなあ」
剣持が口の中をもぞもぞさせながら言った。歯にさっき食べたカツの切れ端でも挟まったか。
「でもまあ、一番かわいい・きれいとなると、やっぱ、三井さんだろ」
「ああ。人妻になっちまうけどな。惜しい」
あとの二人がうまい具合に展開してくれた。由良の名前を出すとしたら、ここだ。
「あ、自分も聞いた。びっくりしたなあ。相手、由良とかいう工学博士だっけ」
「そうそう。大学院にいる間に、特許ものの発明をしたんだとさ。それが三井さんの親父さんの目に留まって、いつの間にやらまとまった……と聞いてる」
納得できん。結婚に至る過程が不明瞭じゃないか。
が、今、そのことをどうこう騒いだってしょうがない。僕は妹のクラスに由良という奴がいることを話した。
一番に反応したのは剣持。
「あ、それ、確か婚約者の甥だ。三井さんが言ってたのを、たまたま聞いた記憶がある。そういうのも縁になったんじゃないか」
「なんだ。そうだったのかあ」
昨晩からの疑問に答を得て、僕は少しすっきりした。
と同時に、よからぬ(そう、自覚はあるのだ)考えが頭をかすめる。泉を使ってその甥っ子から由良の欠点を聞き出させ、三井さんに結婚をあきらめさせる、という……。
うわ、全然、現実的じゃねえ! つーか、まるっきり悪役じゃないか、自分。滅茶苦茶格好悪い。
動揺が面に出た。箸先からミニトマトがつるりと逃げて、土の上を転がった。
そして午後は気怠く、憂鬱に過ぎて行った。
しばらく自己嫌悪で三井さんをまともに見れないでいた。が、自分でも驚いたことに、そんな憂鬱ささえ、三井さんと接していると、消えていくのが分かった。一目惚れの後遺症は相当に深い。あきらめきれるだろうか。少なくとも現時点では自信ゼロ。
それにしても……と、授業中にも関わらず、僕は三井さんについて新たな疑問を見つける。
結婚するという話を、三井さん自身は僕の前でまだしてくれていない。何故?
彼女も僕に一目惚れして、でも結婚が決まってるからどうしようもなくて、ただただひた隠しに隠している……なんて嬉しい展開はコンマ一パーセントもあるまい。それくらいは冷静に判断できる。自慢にならないが。
好奇の目で見られるのが嫌なのだろうか。慣れ親しんだクラスメートならともかく、どんな奴だか分からない転校生に、結婚なんて重大事を話せやしないってか。
否。これも僕の考えすぎだろう。多分、恥ずかしいだけなんだ。高校生同士、初対面の挨拶のあと、「ところで、実は私、近々結婚するの」などと言えるものか。
だったら僕も、三井さんの前では知らないふりをしておく。決めた。こう決心しておかないと、僕自身、三井さんに相手の男について根掘り葉掘り質問してしまいそうな予感があるしね。
「岡本君の家は、どっちの方角?」
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