第4小節 消せない決意


 みんなと温泉に行った翌日。

俗に言う[裸の付き合い]をしたおかげか、学校内で轟さん達とすれ違ったりした時に気軽に話しかけられるようになった。

勿論、そのせいかなにかでひそひそと話声が聞こえたりするけど、そんなのはもう関係ない。

 『指が凄い痛くて……』

 『それなら、くまもんかレイレイにテーピングの巻き方聞いてみたら?どっちかが演奏にあんまり邪魔にならない巻き方知ってたはずだから』

今はとにかく、ギターを弾くのが楽しくて仕方が無い。

その上歌えて、しかも今日からは三週間後にある文化祭に向けての本格的な練習が始まる。

別に今日まで気の抜けた練習をしてたつもりはないけど、でも、初めて目標を決めての練習が出来る。

それが楽しみで楽しみでどうしようもなかった。

…………なかったんだけど。

 「あ、あの……」

 「デカ女、歪ませ過ぎ。おかしくするのは遠近感だけにして」

 「あぁ?自分にゃ出来ねーからってやっかみか?だからギターと一緒にテクも買っとけって言ったのによぉ」

 「……舐めんな」

 「ちょ、ちょっと……」

部活動……?が始まって僅か五分。

文化祭用の曲を一度合わせただけで、今にも掴み合いの喧嘩が始まりそうになってた。

 「うるせーぞバカ共。もう一回やるぞ」

 ーーえ、えぇ……?

普段はどこかとぼけてるはずの轟さんでさえ、今は怒りのメーターが振り切れてるみたいだ。

 「……分かったよ」

 「チッ、うるせぇな」

 「先に演るのは今言ってた音割れのところ。次は覇気の無いところ。

使ってるベースとギターの利点を生かすのは構わないけど、それに囚われるんなら引くな」

 「「うるさい」」

渋々というか、何と言うか、轟さんの言葉を合図にそれぞれが自分の楽器を再び握る。 

それに合わせて私もマイク前に立つ。

 ーーわ、私も怒った方が良いのかな。

正直、何でこんなに険悪なムードなのかが分からない。

球磨本さんの弾いてたところは聞いてて気持ちがよかったし、鷲山さんのところもすっきり耳に入って来て凄く綺麗だった。

なのに二人はそこをお互いに怒ってて、止めに入ったっぽい轟さんも言い方を変えて二人を非難してる。

私は初心者だから……とは言いたくないけど、どこがどうダメなのかは全然分からない。

 「あー、それとしずく」

 「あ、えっ!?」

なんて考えてるうちに矛先が私に向けられる。

 ーーな、何言われるんだろう。

どうしよう。あんなに上手い二人の事をアレだけボロボロに言ったんだし『音痴』くらい言われるのかな……

 「……あーー」

言い方……?を考えてる風に声を唸らせながら轟さんは私の方を見つめる。

……そして。

 「アンタは取り合えず聞いてていいよ。それじゃまだいらない。歌も、ギターも不必要」

 「……………え?」

そのまま言葉を受け取れば[辞めろ]と、言われた。

 「……まぁ確かに今はいらねぇわな。邪魔でしかねぇ」

 「そうだね。うっとおしいだけ」

 「え、え……?ええ??」

ジャガーが手元から落ちそうになるのを必死に堪え、やっとの事で三人の話を聞く。

本当に、ギリギリのところで、どうにか話を聞いていられる。

 「音は出てない、弾きは甘い、チューニングはズレてるで最悪」

 「昨日今日で上手くなれとは言わねぇけどよ、一週間あったのにそれじゃ何もしてねぇのと一緒だろ」

 「……挙句、一番の見せどころの歌が全然聞こえてこない。カラオケボックスと違うんだよ、ここ」

 「あ……え………っと…」

三人の視線が……轟さんの、球磨本さんの、鷲山さんの視線が一気に私に向いてくる。

苦しい。

呼吸はしてるのに、酸素が全然取り込めていない気がする。

 「…わ、わかり、ました」

どうにか振り絞れた返事は肯定。

自ら三人の[否定]を受け入れる、肯定。

 「……じゃ、行くよ」

 「「分かった」」

それに対して誰も、何の反応も無かった。

舌打ちさえ、してもらえなかった。




                 ーーーー 

       



 その後も、結局私は歌もギターもやらせてもらえなかった。

……ううん。正確には、[やりたい]と、言い出せなかった。

何が違うのか分からない。でも、三人の演奏は一回毎に全く別のモノに変わっていく。

なのに、その度にみんなはお互いに文句を言い合って、悪態を突いて、怒り合ってた。

轟さんも、球磨本さんも、鷲山さんも、一人として例外なくお互いに強い言葉を投げ合ってた。

目を離せばケンカしそうだった。

それでも、私と違うのは一度だって手元を空けなかったところだ。

ドラムスティックを、ベースを、ギターを、絶対に離そうとしなかったところだ。

 ーー邪魔、いらない、うっとおしい……か。

もう誰もいない部室の扉に背を預けて、独りで暗い空を見上げる。

 ーー今日、曇ってたもんね。

星は見えない。

飛行機の明りも見えない。

何も……何も見えない。

 「……そんなに下手だったのかなぁ、私」

上手いなんて一つも思ってない。

ギターなんて特に。

始めたのはたかだか一週間前。それで、もっと前からやって鷲山さんと、ベースだけど球磨本さんと、同じくらい弾けるはずがない。

そんなのは分かってる。

でも、指紋が血で紅くなるまで毎日やってたんだ。

指先が、指そのものの皮が剥けて、手を洗うだけでもちょっと躊躇うくらい練習したんだ。

歌だってそう。

放課後は毎日一人カラオケで練習した。

私の好きな曲は全部九十点は超えるくらい上手くなった。

……それでも、[いらない]。

今の私はいらないんだ。

 「…………なに、それ。意味分からない」

だって、私は必要だから呼ばれたんだよね?

あの日、本当は嫌だった私を無理矢理にでも連れて行こうと思ったんだよね?

なんなら昨日は、『猛特訓』って言ってた。

 ーーなのに。

変に鈍い音がしてふと気が付く。

 「……立ってられないや」

知らないうちに地べたに座ってた事に。

 「あーあ。どうすればいいのかな」

ただぼうっと空を見上げても答えは出ない。

出るわけがない。

こんな事して答えが出るのなら、私は今この場に居ない。

もしも出てるなら、音楽の力を借りてまで叫ぼうとしてない。

 「……帰ろ」

地面に手を突いて立ち上がろうとする。

その時に走るのは指先のひりついた痛み。

 ーー大丈夫。

そう、大丈夫だ。

この痛みを覚えているうちはきっと大丈夫。

少なくとも、やめようとなんて思ったりしない。

 「……あーまだいたか」

 「……?」

何処かからか突然聞こえた声に、指先に落としていた視線を向ける。

 「……球磨本さん」

 「おう、くまもとさんだ」

薄暗い辺りを二度ほど見回して見つけた声の主は球磨本さん。

先に帰ったと思っていた彼女はいつの間にか私のーー部室のところまで戻って来ていたらしい。

 「………ど、どうしたの?」

意識してるつもりなんて全然ないのに呼びかける私の声は沈んでる。

……自分でも分かるんだから、きっと球磨本さんにはもっと酷い風に聞こえてるはずだ。

 「あー、ちょっとな」

それでも気にせず普段の調子で返事をしながら球磨本さんは自分の鞄をまさぐり、一つのCDを取り出す。

真っ白でなんの装飾も凝ってないって事は、何かを焼いたやつかな?

 「これ、貸すわ」

 「か、貸すって…ひゃっ!?」

 「ははっ、変な声出すなよ」

有無も言わせずにCDを私に放り投げ、慌てて取ろうとする姿を見て笑う球磨本さん。

そうして私を指さして。

 「それ、明日までに演れるようにして来い。歌もギターもきっちりな」

 「え、は、えぇ!?」

 とても真剣な表情で私の目を見た。

 「それには一曲だけ入ってる。私らが小学生の頃位に流行った曲なんだけど、今のしずくには多分それが一番いい」

一度も視線をずらさず、一つも緩んだ空気を見せず、ただ真っ直ぐに球磨本さんの言葉が向ってくる。

 「簡単ってわけじゃねぇぞ。何なら難しい部類だ。少なくとも初心者にやらせるべき曲じゃねぇ。

けどな」

ずい、と、球磨本さんの顔が一気に近くなる。

目と鼻の先。文字通り、そのくらいの距離。

 「それ聞いて本気になれなきゃオメェはダメだ」

そんな至近距離で、身が竦むくらい睨まれた。

 「……って事でまぁ、よろしくな」

 「あ……」

返事を返す暇もなく球磨本さんは離れていく。

 ーーこのまま帰していいのかな。

ふつ、と沸き上がる疑問に、でも私は答えを出せずにいる。

 「……あー、そうそう」

そんな最中、球磨本さんは一度だけ振り向いて。

 「ただの耳コピだったら許さねぇから」

非常に気になる言葉を残していった。

 「使うなら、アンプは部室にあるの好きにしていいからなーー」

上げた右手を軽く振り、さよならを告げる球磨本さん。

 「え、ちょ……!!」

呼び止める私の声は絶対届いてるはずなのに、彼女は振り返る事もせず校門の方へと消えてしまう。

 「……な、なにそれ」

一人残され、手元には殆ど無理矢理渡されたCD。

名も何も刻まれていない、真っ白なCDだけ。

 「これを、明日までにって……」

ポケットのスマフォを点ければ時間は二十時を回ってニ十分。

 ーー授業も考えると猶予は……

丁度十時間。

 ーー十時間しかない。

[しか]。そう、[しか]しか無い。

どうにか指先を扱えるようになって、コードを最低限覚えて、やっとジミヘンコードを知った。

ギターをやるのなら絶対条件の、もしかしたらもっとあるかもしれない前提条件を、私は一週間も使ってやっと[下手くそに]出来るようになった。

……或いは出来ていないのかもしれないけれど。

 「………どうしよう」

飽きもせず抜ける腰。

それに付け加えて鳴るのは鈍い音。

 「……だけじゃない、か」

忘れてた。

三人は私の事を『いらない』と言ったけど、でも、これは違う。

 「私が離さない限り、ずっといるもんね。ここに」

今も残る両肩の僅かな痛みが、今はとても心地良く感じる。

 ーー大丈夫。

地面に手を付いた事で指の痛みが明確になる。

だから、大丈夫。

 「この痛みは嘘なんかじゃない。絶対、やめたくなんかない」




_____________________________________

 



 翌日。

 「……今日、しずく休みだったんだね」

 「……みたい。クラスの子四人くらいに聞いたけどみんな来てないって」

 「…………らしいな。半ば無理矢理だったからホントかどうか怪しいけど」

 「だって、逃げるか知らんふりされるし」

校舎から離れ、正規の部室らがあるところからも外れた場所にある旧物置。ーー現・部室。

その道中、ギターをベースをスティックを身に着けた少女三人は話しながら向かっている。

 「……[言い過ぎた]なんて思ってないよね」

ギターを背負う少女ーー鷲山は、三人の中央を歩くドラムスティックを弄ぶ少女・轟に問い、声は淀み無く彼女に伝わる。

 「まさか。こっちは本気でやってるんだもん。寧ろ手加減したくらい」

 「だろうな。正直あれは『最悪』以下だ。いてもいなくても変わらないってさえ言えねぇ出来だった。[いたら汚点になる]そう言わなかっただけ上等」

 「ならいいけど」

彼女の言葉に続くのはベースを背負う少女・球磨本。

口ぶりには棘が生えしきり、それでもなお[鋭さが足らない]と言わんばかりの顔だ。

 「……のくせして」

下唇を噛み締め、球磨本は鷲山に視線を送る。

 「…うん」

睨みともとれる眼光を受け、けれど昨日のように言い合いにはならず、寧ろ示し合わせたかのように三人が同時に。

 「「「魂がある」」」

全く同じ単語を口にした。

 「覚えたて丸出しの指捌き。そのくせして時々響く音がある」

 「恐る恐る確認しながらの高音。なのに振り向きそうになる瞬間がある」

 「音程ばっかり気にしてる歌い方。でも時折届く、彼女の胸の内」

頬を僅かに上げ、どこか嬉しそうに語る三人。

けれど、その胸の内は決して穏やかではない。

               【悔しい】

ただその一念だけが、彼女達の心を掴んで離さない、

彼女(しずく)に対する怒りが、嫉妬が、憎さが、あるわけではない。

仮に、もしも彼女が一人の演奏者(プレイヤー)として完成されていたとしたら。

 ーーどうしてアタシは歌の入りまで熱狂を運べない。

 ーーどうして私は客のワクワクを呼び覚ます音が出せない。

 ーーどうして私はみんなの調和を保たせられない。

三人はただ無邪気に音を鳴らしたいだけの生き物じゃない。

[音楽と心中する]覚悟を持った戦士だ。

だからこそ、故にこそ、この悔しさが許せなかった。

己の力不足が為に起きる下らない悩みが許せなかった。

昨日の言い合い。アレは他でもない、お互いを高め合うための叱咤。

 ーーもしも、その時に私が

 ーーもしも、その時にアタシが

 ーーもしもその時に私が、 

              完成していたとしたら?

三人の脳裏に過る一つの風景。

皆それぞれ寸分違わず同じ景色を瞼の裏に思い描く。

何処かの舞台で。

高潮する観客の前で。

一人として欠ける事のないこの四人で。

《あの曲を演っている》

否。【演るためには】。

今のこのままでは足りないそれぞれの弱点を互いに言い合い、確かに認め、確実に成長するためには必要不可欠な行為。

遊びでは有り得ない、誠実さが産む生身のぶつかり合い。

一度幻想を見れば求めてしまう、満員御礼の奴隷共に自分達の心を届けるその日のために必要な行い。

それが昨日のーーこれまでの、怒りの正体だ。

 「……それも、しずくが辞めなかったら、だけどね」

 「違いない」

 「悔しいけどね」

自分一人では決して至れない遥か先の幻想。

より強く、より遠く、より心に響く、心の叫びを届けるには誰も欠けてはならない。失ってはならない。

その事を深く感じていた。

 「…………まっ、先の事を考えても仕方ない。今はとにかく練習!

やっと得たチャンスだし、今できる事をやらないと」

 「だな。去年は納得できなくてやれなかったしな、乱入」

 「もう殴り合いはヤだしね。次こそは完璧な……」

もう間もなく部室へと到着するという頃。

鷲山は何かに気が付いて口を閉じる。

 「……これは?」

轟も気が付き、警戒気味に辺りを見渡す。

 「音、か?」

最初にその違和感の正体を掴んだのは球磨本だ。

 「……しかも、どっかで聞いた覚えのある」

身体の直ぐ傍を駆けて行くようなナニカ。

実体はなく全貌も分からない。

なのに、球磨本は指先に僅かな衝動(いなずま)を覚える。

 「……冗談だろ」

 「くまもん?」

 「どうしたの?」

突然駆け出す球磨本に声をかける二人。

けれど彼女はわき目も振らず部室へと駆けて行く。

 「は、はは。マジか」

目の前で阻むは一枚の扉。

ドアノブを捻り、押す。ただそれだけで制する事の出来る扉。

 「……二人とも。うかうかしてられねぇぞ」

 「「…………?」」

少しだけ遅れて到着した轟と鷲山を待っていたかのように、球磨本の手で一気に扉は開け放たれる。

その瞬間、飛び出してきたのは。

 「……な」

 「ウソ……」

鼓膜を引き裂かんばかりの圧倒的な落雷だった。

遥か昔は信じられていた雷神をまるで呼び起こしたかのような空間を裂く高音。

落ちた瞬間に始まる大小様々な雷鳴は身の危険を覚える類ではなく、撃たれていたくなるような至高の刺激。

 「……慌てんな。来るのはこっからだ」

降り注ぐ雷の渦中に聞こえるは当然の如く雨音。

それも、マシンガンとまごう五月雨の、なのに何か物足りない雨粒。

 「……なるほどね」

 「…確かに、しずくの真価はこっち」

都合四度、彼女達は撃たれる。

お預けを喰らったかのように高みを目指す胸を鎮め、来る刹那まで。

吸い込みの音でさえ待ち望み、それ以上に求めていた音。

轟が一度聞いただけで惚れ込んだ、あの歌声だった。

 「……なんつー声だよ。ったく」

 「あはは。こりゃもう、しずくの歌でもあるわ」

 「……私達もしたいね、[燃焼]」

雷鳴にも、マシンガンの音にも埋もれないのは何か。

しずくの歌声は、それを三人に改めて思い起こさせる。

 「「「痛みを知る人の心だ」」」

 「え!?」

 「「「あっ」」」

途端、しずくの演奏が止まる。

 「……い、いつの間に」

 「あ、えっとね……」

虚しく弾かれる弦の音には何も写らず。

 「いつから、そこに……?」

 「そ、そのだな」

心を叫んでいた声には皮肉にもより如実に。

 「というか、帰ったんじゃ……?」

 「……まぁ、気持ちは分かるけど」

しずくの羞恥の念と、恐れによる怯えが露わになる。

 「そ、そのっ!」

しかし、そんな溢れる不安の中で彼女は叫んだ。

 「入部させてーーーーー!!!!」

もう一度、心の内を。




to be next story.

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