第3小節 確かな存在、忘れられない痛み

 

 痛い。

指が、凄く痛い。

焼けるように、擦れて、裂けて、痛い。

血が滲んで、皮膚が切れて、指先が痛い。

エレキをーージャガーを弾き始めてから一週間が経った。

毎日毎日弾き続けて、気が付いたら指先はうっ血したり裂けたり。

学校だと鞄を持ち上げる時に躊躇ってしまう。

日常生活だとお風呂に入るのが少しだけ怖い。

……でも、後悔なんて一つも無い。

だって、こんなにも楽しい。

たった六本の弦。それを弾くのがこんなにも楽しい。

一日中だって弾ける。寝る間も惜しんで弾ける。何をする時でも考えていられる。

こんなにも、こんなにも楽しい。

なのに。

 「じゃ、そろそろしずくのボーカル練習も始めよっか」

 「え」

なのに、その上で歌が歌える事になった。

 「『え』って、元々そのために引き入れたんだしね。なんか、ギター弾きたいって言ってくれたからそのまま買ってもらったけど、メインはこっち」

普段の授業を終え、部室に向かった私。

その中に居たのはいつもの三人の轟さん、球磨本さん、鷲山さん。

それぞれ担当している楽器の近くに座っていて、そこまでは何も違わないんだけど、部室の中央。みんなが座ってる丁度真ん中あたりに、スタンドマイクが置いてある。

 「って事で、まずは一曲行ってみよう!」

そこに轟さんは私を促した。

 「歌うのは初めて私が聴いたアレかな。とりあえずギターとかは一切忘れて歌ってみて」 

 「う、うん」

言われるがままスタンドの傍まで行き、何故か焦ってしまう心を抱えたままマイクを確認する。

 「なんかオーディションみてーだな」

 「……こっちが緊張する」

 「まぁそれもいいんじゃないかな。人前ってなったらもっとだし」

私の後ろに立つみんな。

上からみたら多分ひし形の頂点に一人一人が位置してるんだと思う。

……そんな、どうでもいい事でさえ考えていないといけないくらい、今の私は変だ。

 「なーんか、すげぇ緊張してるなー」

 「……大丈夫かな?」

 「んー、そう言えば人前で歌うの初めてなのかも。自分の意思でって言うのは」

 「「……え」」

三人が何か話してる。

けど、声なんて全然頭に入ってこない。

 ーー歌う……。歌うんだ。今から、人前で、歌を。

スタンドに付いてるマイクを握る右手が汗ばむ。

ただ電源を入れるだけなのに、固定するのが無かったら手元から零れて行きそうなくらい汗ばんで、震えて。

不安で、怖くて、恐ろしくて。

 ーー歌えるの……?今まで望んで拒んで来たのに、今からここで、急に?

こんな、こんなどうしようもない気持ちで、何が出来るの。

そもそも、声なんて出せるの……?

 「おい、しずく?」

 「………?」

呼ばれて、振り向く。

少しだけ怖い声にーー球磨本さんに呼ばれて、左後ろに振り向く。

やっぱり声は出てない。

自分では返事したつもりっだったのに、呼吸の音すら。

 「なんで怖い?」

 「…………」

真っ直ぐな目で、そう聞かれた。

 ーーなんで……?なんでって、なんでってそれは……

[怖いから]。

そう出て来そうになる言葉を飲み込んでもう一度考える。

 ーー歯を、人に見られるのが嫌だから……?

うん。それは嘘じゃない。間違いじゃない。

私は今まで、この歯のせいで普通とは違う扱いを受けてきた。

そうなるのが嫌で高校(ここ)では毎日一度も欠かさずにマスクを着けて登校してた。

それを、これから私は自分で台無しにしようとしてる。

ライブ会場が暗くても、客席から遠くても、いつかは絶対にみんなに知られてしまう。

……でも、私は望んだ。

[歯がギザギザ]

たったそれだけで、私は[普通]から遠いところにいると、思われてしまう。

 ーー間違ってる。

絶対に間違ってる。

だからやるって決めた。だから持ってるお金全部使って、その上に借りてまでして叫ぶ力をくれる道具を買った。

なのに、人前で歌うのが不安で怖くて恐ろしい?

 「……怖くない」

そんなの、クールじゃない。

 「怖くない、何も。大丈夫だから、歌いたい」

 「ん、だったらいい」

マイクを握ってる手から震えが無くなる。

手汗は相変わらず酷いけど、それがどうした。

 「よっしゃ!伴奏は任せてね、しずく!」

 「好きに歌って」

 「最初の叫びは私らが受け止めてやる」

 「うん!!」

私達が出会って一週間と少し。

四人の、初めてのセッションが始まった。



                ーーーー    



 天井が見える。

コンクリート色の、味気の無い天井を私は今見上げてる。

 「さい…………っっこうだった!!」

両手の掌とスカート越しに伝わるひんやりした床の感覚。

 「驚いた。聞いてた以上だな」

肺が痛い。今出来る全開を出したせいで、頭がくらくらする。

 「うん、ここまで上手いなんて。ちょっと、ナメてた」

 「あ、あはは。それなら良かった」

返事をしながらどうにか立ち上がる。

まだちょっとふらつくけど、立ってるのは大丈夫そう。

……それにしても。

 「しっかし、苦手って言ってたあそこ、いつの間に出来るようになったの?」

 「お互い様だろ。気を抜くとテンポズレる変拍子のとこ、今回は一発で出来てたしな」

 「うん。合わせる時一番難しいところだったのに、誰も失敗しなかった」

轟さんも球磨本さんも鷲山さんも、みんなそれぞれ感想を言い合えるくらいには元気だ。

 ーーすごいなぁみんな。あんなに汗かいてるのに、一人も座り込んだりしてない。

その点私は体力が無くて直ぐに座り込んで。

 ーー大違いだな。

 「っし!じゃあ今日の部活は終わり!!汗かいちゃったし、温泉でも行こっか!!」

 「「おーー!」」

 「……へ?」

いつの間にか私の傍に来たみんな。

そのうちの轟さんが私の肩に手を回す。

 「さぁ温泉だー!」

 「「おーー!」」

 「え、ちょ、ちょっと!?」

説明もなく連れて行かれそうになるのを堪えて、一度轟さんの方に向き直る。

 「お、温泉って……部活の時間まだ終わってないのに………?」

そう、今はまだ部活が始まって三十分かそのくらいしか経ってない。

部によっては夜錬もあったりするから一概には言えないけど、でも一時間未満で終わるはずがない。

……あまり言いたくはないけど、轟さん達は生徒からも、多分学校からも、目をつけられてるし、出来るだけ目立たないようにルールは守った方がいいはず。

何だけど…… 

 「大丈夫大丈夫。これ正確には部活じゃないし」

 「……え?」

予想外の言葉が返って来た。



                ーーーー    



 「それで、えっと……?」

 「あ~、部活の事ぉ?」

 吹き抜けの天井に向かい立ち昇って行く湯気。

私達の身体が浸るのは心も身体もリラックスできるお湯。

 「まぁ、仲間になった事だし、教えなきゃなぁ」

 「なんで最初に言わなかった……」

町にある温泉の一つ、テルテル・ロマロマエに来た私達は、私の中で盛り上がっている疑問をそれとなくいなされてしまい、流れるように露天風呂に入っている。

温度は少し温いくらいだからか入っていやすいのがちょっとだけ頭にくる。

 ーーでも。

身体を洗う間ずっと悩ませていた『部活じゃない』っていう轟さんの言葉の意味が、やっと解りそうだ。

 「ん~まぁ、あれだよねぇ~。『吹奏楽あるのにいらなくない?』っていうのが、学校側の意見かなぁ」

そうして告げられたのは耳を疑う事実。

 「そんな優しい言い方じゃなかったけどな」

 「『問題児がまともに音楽やるわけないだろ』みたいな事言われた」

 「……そんな」

温泉に浸かってるからか、とても呑気な雰囲気で言う三人。

でも、それってとても普通の状況とは言えない。

『問題児が』……って、何それ。

 「頭クるね、それ」

本当にどうしようもない部活内容……例えば、ただみんなで集まって話すだけとか、人にイタズラする事を計画するとか、そういう部活とは呼べない、呼んじゃいけない内容なら分かるけど、でも私達がーーその時は轟さん達がだけど、やろうとしてたのは音楽だ。

それを、活動内容とは何一つ関係ない『問題児』の一言で片づけようとするなんて、時代錯誤もいいところだ。

しかも、本当に問題児なら部活をやりたいとは言わないだろうし。

……とは思うんだけど。

 「そぉ~だねぇ。言われた時はアタシも結構ムカついたなぁ」

 「その教師の靴箱にキラッキラのラブレター入れて呼び出したっけか。誰もいない校舎裏に」

 「……興味ないから誰も見に行かなかったけど、待ってたらしいよね」

 「くまもん結構乙女チックなの書いたよねぇー」

 「その話はやめろ」

 「あ、あはは」

断られた後とはいえ、なんだか問題児って言われてもおかしくない事はしてるみたいだ。

もしかしたら、一概に先生が悪いとは言えないかもしれない。

 「で~なんだけど」

変わらず、のほんとした口調で話す轟さん。

その呼びかけの先は私。

 「やっぱりそれってイヤでしょ?だから、今度の文化祭で乱入しようと思うんだよね」

 「……え」

返事はせず、顔だけ向けての反応はいつの間にか間抜けた声に変わった。

 「ど、どういう」

 「なぁに、知ってるとは思うがうちの文化祭は毎年吹奏楽の発表会がある。終わってからの片づけの時間は長めにとってあるから、そこに割り込める」

 「……ロックの醍醐味」

 「そういうことー」

何の憚りも無く言ってのける三人。

正直、直ぐに理解できなかった私は少しだけ思考を巡らせて。

 「…………えぇ?」

やっぱり、理解できなかった。

 「で、でも、乱入って、いいの!?そんなことして!」

それでも乱入が駄目なのはよく分かる。

それはつまり、演目のプログラムを乱して、私達の居場所の破壊に直結する行為。

 「そんなのは」

 「だからだよ」

 「……へ?」

『そんなのはダメ』

そう言おうとした私の声を轟さんは断ち切る。

 「……しずくが知ってるかは分からないけど、アタシらは学校で無視されてる」

 「……それは」

 「プリントは来る。掃除もさせられる。だからって、会話に誘ってくれる奴は生徒にも教師にもいない」

 「……不思議だと思わない?目の前にいるのに提案してる相手は私達の後ろの人なんだから」

 「……………………うん」

三人の声はさっきまでと変わらない。

でも、その中身はまるで違ってるのが分かる。

居るのに居ない事にされる[無視]。

私は、これがどれだけ恐ろしい事なのかを知ってる。

人に限らず、目に見える物体は認知される事で初めて【存在する事】を許される。

前を見ている時、後ろに何があるかは分からない。

だからって後ろを見れば、今度は前が一秒前と同じだった確証はない。

じゃあもし、目の前に在るのに無い事にしたら?

一度やればわかる。

それは、もう、無い事になるんだ。

最初は間違いなく認識してる。でも、少しずつ少しずつ、薄く延ばすように認識を薄めていけば、いつの間にかぽっかりと見えなくなってる。

質が悪い事にそれは空白じゃない。

床の上にある物なら床が、壁に張ってある物なら壁が、透けて見えてくる。

例えるなら、既に完成してる家の中に新しい家具の置く場所を考える時に似てる。

……私達が受けている無視とはそういうモノ。

存在そのものの否定ではなく、[初めからいない現実]という、ただそれだけの世界をそういう奴らは生きている。たったそれだけ。

……そこから逃げるために、人は心を閉ざすのも知ってる。

自分で自分を否定する事で[せめて自分の世界にだけは]と、存在の強調をするために。

 「だからさ、アタシ達は乱入するんだよ」

 「決して無視できない」

 「例えしようとしても、絶対に逃がさない」

 「「「「私達の叫びで」」」」

それなら納得できる。

 「分かった。しちゃおう、乱入!」

私は間抜けだ。

ちょっと前に叫ぶって決めたのに、もう忘れてた。

ギターを弾こうと思ったのも、借りてでも買ったのも、全部この為なんだ。

叫ぶためなんだ。

 「……しずく、実は結構大胆?」

 「だよなぁ?普通そうはならねぇよな。私らも最初はちょっと戸惑ったし」

 「……えぇ?」

小首を傾げて、もしくは横に振って、[おかしい]とでも言いたげな顔をされる。

……でも、間違いなく笑ってる。嬉しそうに。

 「って事で、しずくは明日から猛特訓かな」

 「う、うん!分かった!」

その瞬間に、轟さんの声色が変わる。

 「この前聞いてもらった曲、後二週間で弾けるようになってもらうから。それに歌もね。今回は演奏だけだったけど、帰りに歌詞渡すから明日までには覚えて来て」

 「が、頑張る!!」

さっきまでのお湯に溶けてた声じゃない、いつもより少し真面目な声。

 「本番、三週間後だから」

 「は、え……??」

……だからこそ、冗談には聞こえなかった。

 「心配すんな。私らは一週間くらいで弾けるようになった」

 「……歌詞は三時間で覚えられたし、二週間もあれば目隠しでも弾けるようになるから安心して」

しかも、本当に冗談じゃないらしい。

……って、そう言えば、確かに去年はこのくらいの時期にやってたっけ、文化祭。

 ーーえ……?って事は本当に…………??

 「えええええええ!?!?」

 「お~、やる気満々だねぇ」

 「頼もしいな」

 「楽しみ」

湯気と一緒に空へ登って行く私の驚愕。

それを、どう聞き違えたのか三人は、気合を入れた、と取ったらしい。

 ーーじょ、冗談でしょ?私まだ指の動きが覚束ないんだけど……

思い出したからか急に痛む指先に意識が飛ぶ。

 ーー……でも。

温泉に来てから大体一時間。

 「うん!!」

たった一時間のはずなのに、[指先が痛い]なんて言ってられない状況になった。







to be next story.


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