芸術の灯火 ファイアー・ランプ 11
こじんまりとしたオフィスに、二人の男が出勤していた。一人は相も変わらずロングコートをきたアリス。部屋は暖房がきいていて、上着の必要性がないくらいには温かい。しかし、コートを脱ぐことはなかった。
もう一人は、無精ひげをはやした四十代ぐらいの男性だった。薄めのスーツを着ており、オフィスの一番端にある席に座っている。机が他のより一回り大きく、資料が数多く散らばっていた。どうやら、アリスが所属する第五班の班長のようだった。
アリスは自分の席ではなく、真っ黒なソファーに座ってコーヒーを飲んでいた。このコーヒーは自分で入れたもので、同じものが班長の机にも置いてあった。
一息つくと、ソファーの前にあるテーブルに置いてあった新聞を持ち、表紙を見つめた。眉間にしわを寄せながら、あまり穏やかな表情とは言えなかった。
新聞の表紙は一面、街中を騒がしているある事件についてだった。この記事を読もうと購入する人が急増し、あちこちの販売店で売り切れが続出していた。そのため、この新聞一部を手に入れるのに、多少手間がかかった。
その日は、どの新聞会社も同じ記事をトップページに持ってきていた。それほどの大事件が、都市内で起こったのだ。
記事のタイトルはだいたい「魅惑の踊り子、違法魔薬所持」や「紫の炎は偽りだった」といった具合だった。
記事によると、アモーレサーカス団の団員であったヴィトゥ・フォーティアが、突然警察に出頭したということだった。その手には違法魔薬と思しきケースを掴んでおり、詳しく取り締まりを受けている、といった内容だった。
自首する前日のステージに彼女は出演しており、いつもと変わらぬ演技をしていたという。そのため、彼女がそのような行動をとるとは誰も予想をしていなかった。
このニュースはたちまち世間に広まり、物議を呼んでいた。
サーカスは国民から非難の嵐を受けているようで、対応に追われているようだ。今日、行われるはずの公演は中止になったようだ。
「さすがに驚いたよ。まさか、あちらさんから罪を償いに来るんなんてな。予想外、予想外」
「……そうですね」
深く椅子に座りながら、班長は小刻みに頷いた。軽快な班長に比べ、表情が浮かないアリスだった。
「なーに言ってんだ。どうせお前が何かしたんだろ?」
「なんのことだか。今回、私は何もしてませんよ。彼女は自首したんですから」
「まぁ、お前がそういうならいいんだが」
ヴィトゥ・フォーティアは自首をした。紫の炎を作り出し操る違法魔薬「ファラム」を所持していた罪で、今取り調べを受けていた。
専門家によると、アリスの予想通り、紫の炎を作り出すのには膨大な魔力が必要だったようで、非情に濃度の高い魔薬だそうだ。
彼女が言うには、彼女の体に合わせて作ったオーダーメイドの魔薬だそう。故にこの魔薬を使用した犯罪者がいなく、捜査が難航したのだろう。
ファラムの魔薬は体に害をなすほど強力な魔力があるが、それ以上に扱いが難しいことが判明した。彼女のように、サーカスの会場を端から端まで移動させるには、相当な練習と才能が必要だそうだ。
確かに彼女は犯罪に手を染めたが、全て魔薬のおかげであの地位までたどり着いたようではなかったようだ。
「彼女、全て自分の独断で行ったことだと言ってるらしいじゃないか。サーカスは関係ない、悪いのは欲望に負けた自分一人だと」
ヴィトゥはアリスら第五班が捕まえたわけではないので、取り調べは別の班が行っていた。もともと担当だった班が受け持ったようで、第五班の仕事は自首の時点で終了していた。なので、班長が話しているのは全部、他の班から聞いた話だった。
「そうみたいですね」
「だけどおかしいよなぁ。オーダーメイドの魔薬を、ただのサーカス団員だった彼女が購入できるもんか? コネも必要だし、膨大な金だって必要だ。なら、間違いなくあのサーカス団もかかわって……」
班長がすべてを言い切る前に、アリスがそれを遮った。
「あのサーカスで違法麻薬を使用しているのは彼女一人でしょう。おそらく、サーカスを家宅捜索しても、他には何も出てきませんよ」
鋭くとがった声色で、班長を睨んだ。これは決して怒っているわけではなかった。軽口な班長に足して、アリスはいつも少し冷めた反応をしていた。
「そんな怖い顔するなって。冗談、冗談」
班長はにこやかに笑いながら、コーヒーを口に含んだ。
「その冗談の付き合わされる身にもなってくださいよ。そういえば、ゲットくんは今日はいないんですか?」
捜査が無事終了したというのに、部屋にはゲットの姿がなかった。気合いだけは充分の彼が遅刻するとは考えにくい、そう思ったアリスは不思議に感じていたようだ。
「ああ、あの新人か。あいつならサーカス団のところへ行ったぞ」
「サーカス団? 捜査は他の班が担当するのでは?」
「サーカス全てを調べるとなると、かなりの人数が必要だろう? 新聞記者や野次馬対策も必要だし、人手が足りないそうなんだ。だから、内からはあいつを送ったんだよ」
「そうでしたか。あの子、落ち込んでませんでしたか?」
多くの国民が今回の事件を悲しんでいる。ファンで会った彼もその一人だろう。そもそも、乗り気ではなかった彼には、彼女の話は衝撃だっただろう。
「そうだな。まあでも、あいつも彼女が黒ってのは感じてたみたいでな。自首を選んでくれてよかった、てさ」
悪に手を染めたことには変わりないが、彼女は自らの罪を償った。それがファンであるゲットにとっての、唯一の救いだったようだ。
「なら、よかったです」
少しだけアリスの表情が和らいだ。そして、ソファから立ち上がった。どうやら、どこかに行くようだった。
「どこへ行くんだ?」
「私もサーカスに行きますよ。人手は多い方がいいでしょう?」
「ああ、そうだが。珍しいなお前が自分から動くなんて」
他の班から流れてくる事件を担当することの多いこの第五班では、暇な時間が他の班よりも多い。他の班が行き詰ったときに初めて仕事が発生するので、基本的に待ちが多いのだ。
そんな待ちの態勢が体にしみ込んだアリスが、積極的に動くのは珍しかった。
「ちょっと、夜に用事がありまして。それまで暇なんですよ」
「おいおい、捜査は暇つぶしじゃないぞ」
「わかってますよ。冗談、冗談」
班長の真似をしたアリスは、第五班の部屋を後にした。
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