芸術の灯火 ファイアー・ランプ 8

 一連の事件が起きた次の日の晩、アリスはとある場所に訪れていた。彼は心に霧がかかると、この場所によくきていた。そこは、ゲットと出会った所でもある平和の公園だ。


 時刻は夜の十一時を過ぎており、人の気配が全くなかった。見渡す限り暗黒で、ところどころで光っている電灯だけが、目的地へと向かう道標だった。


 アリスが公園を散策すると、履いている革靴の音だけが、冷え切った空気の中で響いていた。


 彼はお気に入りの場所であり、唯一の喫煙所である広場を目指して歩いている最中だった。公園の入り口から一番遠い場所なので、こんな雪の降りそうなほどの気温だと、そこまでたどり着くのに一苦労だった。


 寒さ対策としてコート以外にマフラーと厚手の手袋を茶用としていた。手っ取り早い解決方法は体温を調節する魔薬を体内に含むことだが、アリスは魔薬を取り出す素振りすらしなかった。


 魔薬を扱う仕事の品位を保つためか、彼は必要不可欠な時にしか使用しないと心に誓っていた。もちろん、湯水のごとく生まれるわけではないので、貴重な仕事道具を無駄遣いしないという意味も込められている。


 あと数十メートルでつくほど目的に近づくと、前方から眩い光がこちらを照らしてきた。その光は一瞬だけ姿を現し、すぐに消えてしまった。と思ったら再び出現してアリスの目を翻弄した。


 電灯のような辺りを照らす用の優しい光ではなかった。クリーム色をしている電灯に対して、現れては消えるその光は赤みがかっており、攻撃的なイメージがアリスの脳に残った。


 その正体をある程度予測しながら、アリスは恐る恐る広場に近づいて行った。距離が縮まるほど閃光は眩さを強めていき、アリスの視界を襲った。


 それがいったい何なのか、はっきりと判断できる距離になると、そこに一人の生命反応があることが分かった。


 光の正体は近頃さんざん見てきた炎だ。真紅に燃える正統派の火炎だった。そして、その炎の主はまだ幼さの残る青年だった。


「こんなところで何を?」


 炎に集中しきっていた青年に、できるだけ衝撃を与えないように柔らかくしゃべりかけた。だが、彼からしたら暗闇から急に謎の言葉が聞こえてきたので、口を盛大に広げながら驚いた。


「だ、誰ですか」


「私は……」


 アリスが自分の詳細を伝えようとした矢先に、あたりの光が消えて会話は途切れた。この辺りは電灯が少なく、ここを照らしていたのは青年が作り出した炎だった。しかし、驚きのあまり炎が消えてしまい、二人の視界が根こそぎ奪われてしまったのだ。


「うわ、あの、あれ」


 声だけでもわかるほど青年は動揺していた。見知らぬ人に声をかけられたこともあり、軽いパニックにおちいっているようで、周辺を落ち着きなく歩き回っていく。


「大丈夫かい? 君」


 心もとないがないよりはましだと、ライターの火をアリスはつけていた。その小炎はアリスの顔をおぼろげに照らすだけで、青年の姿を確認はできなかった。


「はい、あのランプがあるので」


 暗闇から鉄が地面に落ちたような雑音が、何度か不規則に鳴っていた。おそらく、手探りでランプを探しているのだろう。


「あった」


 希望のあふれる美声と共に、赤く燃える炎が携帯用ランプに灯った。ようやく青年の姿が視認できるようになり、二人は顔を見合わせた。


「騒がしくしてすみません」


 息を荒くしながら彼は、恥ずかしそうにアリスに笑みをこぼした。


 彼は生地の厚い白のパーカーを着ており、地面には大きめのボストンバックが置いてあった。チャックが前回になっているので、ランプはここから取り出したのだろう。


「こんな夜更けに何をしているんだい?」


 青年はかなり若いようにみえた。茶髪で片耳に銀色のピアスをしており、明らかにゲットよりも幼い。十五歳、もっと年齢が低い可能性もある。少年と言っても差支えがないだろう

 先ほどは暗闇の中で見たので、青年と勘違いしていた。


「あー、いや、ちょっと暇つぶしを」


「炎を使ってかい?」


 少年は明らかに何かをごまかそうとしている喋りぶりだった。嘘が下手なのか、あるいは隠す気が最初からないのだろうか。


「ごまかしても無駄か。ごめんなさい、ほんとは炎魔法の練習をしてたんです」


 苦笑いしながら、彼はことのあらましを話してくれた。立ち話もなんだからと、二人は広場のベンチに座った。


 少年の名前はジーン・ぺトグリフ。このあたりの住宅街に住む十五歳の若者だ。ここへは夜になると頻繁に来るようだった。なぜ、最初はごまかそうとしたというと、炎を使っていたからだった。喫煙所とはいえ、少し先には木々が聳え立ち場所で、火器を扱うのは非常識だと思ったからだと、彼は述べた。非常識と分かっても行為にいたったというのは、いささか矛盾した話だった。


「どうしてこんな場所でわざわざ練習をしていたのかな?」


「火を扱う以上、周りに人がいると危ないと思ったので。でもなかなか人目がない場所がなくて。ここも昼は若干人が散歩しているから、だから夜によく寄るんです。まさか人が来るとは思いもしてなかったですけど」


 ペトグリフは靨がみえるぐらいにはにかんだ。ここへは親の目を盗んできているそうだ。わざわざ家を出るのに、瞬間移動の簡易的な魔薬「ポインター500」を使用しているらしい。外へ出る時の音で、親が目を覚ましてしまうのを警戒してのことだそうだ。


「なるほどね。質問ばかりしてしまって申し訳ないが、そもそも何故炎の練習をしていたんだい? 生活で使用することはそれほどないだろう?」


 夜更かしをしてでも練習する理由を、アリスは純粋に気になっていた。少年の魂に火をつけた原動力とはいったいなんなのか。


「趣味みたいなものです。ただ単に炎の魔法が好きで。役に立たないとはわかっているんですけど、やめられなくて」


「よかったらゆっくり見してくれないかい? 個人的に興味があるんだ」


「え、とても見せれるものじゃないです。練習途中ですし」


 よっぽど恥ずかしいようで、ものすごい勢いで首を横に振った。見知らぬアリスがお披露目の相手というのも、断った理由に含まれているのかもしれない。


「そう。じゃあ、ここで練習していること、公園の管理局にでも連絡しようかな。そしたら、親御さんにばれてしまうかもね」


 アリスはペトグリフをもてあそぶように、不敵に笑った。十歳以上年の離れた子供と会話をするのは久しぶりで、この子と話すのが楽しくなっているようだ。弟がいたらどんな生活のかと、無意味な想像をしていた。


「それは困ります! 俺の親すごく厳しいから」


 真っ暗闇でパニックしていた時のように、顔を梅干しのように酸っぱくしながら慌てふためいていた。


「じゃあ、見せてくれるかい?」


 アリスは彼のことを誰かに報告するつもりはさらさらないが、自分でも知らぬうちに、会話をするのが心地よくなっていたようだ。


「笑わないでくださいよ」


 嫌々立ち上がり、魔法を使う準備を整えた。アリスから少し距離を話すと、ズボンのポケットから炎の魔薬ケースを取り出した。しっかりと年齢の規定を守っているようで、魔力のレベルが500のものだった。


 炎の魔薬を口に含むと、幼さのあった顔つきが一気に大人びていった。オンとオフの境界を自分の中で明確に線引きできているようだ。


 短く深呼吸をすると、右腕をうねるようにして横に広げていった。全身もそれに合わせ躍動させていった。


 すると、彼の手のひらから小さな火の玉が発現した。そして少年の動きに合わせ、宙を舞った。


 ペトグリフは炎を操りながら体を動かし続け、ともに踊り始めた。


 数分火の玉を操作していると、なんの合図もなく炎は消滅してしまった。自分の意志ではないところをみると、魔力が尽きたのだろう。


 「はぁ、まだ少ししか持続しないんです。もっと練習しないと」


 額に汗を浮かべたペトグリフは、悔しそうにしながらベンチに座った。


 ベンチに座り隣にいるアリスと顔を見合わせると、ペトグリフは首を傾げた。なぜなら、アリスが感想を言うのではなく、ただ彼女の顔を黙って見つめていたからだ。


「やっぱり、まだまだですよね」


「……素晴らしかったよ。若いのに巧みに魔法を使いこなしている」


 指の先などの細部まで意識して全身を動かしており、踊りに関しては完璧に等しいことは誰が見てもわかるほど美しかった。肝心の炎は小さいものだったが、微弱ながら玉の形状を保ち、自由自在に操っていた。持続時間を彼は気にしていたが、今より効力の強い魔薬を使用すれば、簡単に解決する問題のようにアリスは感じた。


「そう言って貰えると、少しは努力が報われた気がします」


「……もしかして、今の動きのお手本は、ヴィトゥ・フォーティアかい?」


 落ち着きのある声で、アリスは質問をした。この名前を今ここでいうことになるとは、全く予想していなかったようだ。


「はい。ヴィトゥさんのショー、見たことあるんですか?」


 今日会話した中で一番の、飛び切りの笑顔をペトグリフは浮かべていた。彼もパープル・ダンサーに魅了された一人だったのだ。


「先日ね。とても美しかった。人気なのがわかったよ」


「羨ましい。俺、お金がないんで、あんまりいけないんです。実際に生で見たのは数回しかないんですよね」


 サーカスのチケットはこの年齢で買うには、財布に厳しい値段だった。両親は厳しいと言っていたので、代わりに買ってくれることはないようだ。


「その割には再現度は高かったよ。才能、あるんじゃない」


「俺なんかまだまだっすよ。才能があるっていうのは、彼女のような人のことを言うんです。体の負担がない程度に強力な魔薬を使ったことがあるんですが、炎の色を変化させることなんて不可能だった。渦の形を保つことはなんとかできたんですけど、それに手一杯で紫にするなんてとてもじゃないけど無理でした」


 ペトグリフ少年は、ヴィトゥ・フォーティアを尊敬していた。そして、少しでも近づこうと炎の魔法の練習をしている。しかし、その中で紫色への糸口すらつかめていないようだった。


「もっとレベルの高い魔薬を使えば、俺にもできるかな……」


 ボソッとつぶやいた。本音がつい漏れてしまったようだ。


 その言葉にアリスは敏感に反応した。そして、不安げな表情で彼を見つめた。


「彼女がどうやって例の炎を作り出しているのかはわからない。でも、そこへたどり着く道は一つではない私は思う。君にしか出せない答えがあるんじゃないかな」


 もがき苦しんでいるペトグリフを諭すように、アリスは穏やかな声色で語りかけた。


「俺だけの答え、か。見つかるといいな」


「大丈夫さ、きっと」


 最後にアリスはにっこりと微笑みかけると、ベンチから立ち上がった。


「帰るんですか?」


「ああ、もう遅いしね。君もはやく帰るんだよ。これからさらに冷え込む」


「わかりました」


 パーシアスは軽く頷いていたが、まだ練習をやめようとする態度ではなかった。逆に彼のやる気のスイッチが入ったようだ。


 「じゃあね。未来のスーパースターさん」


 アリスはもと来た道へ帰っていった。闇は一層深くなり、電灯の光を探すのが一苦労だった。


 アリスの言った通り、進むたびに気温が下がっているように感じるほど、空気全体が冷たかった。連日こんな寒さの夜を過ごせば風邪をひいても仕方ないな、自分自身にあきれていた。


 さっきまでのアリスならば、寒さに負けて顔が歪んでいたかもしれない。しかし、今は違った。

 公園をあとにしたアリスの表情は、戦いを覚悟した男の顔になっていた。

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