芸術の灯火 ファイアー・ランプ 7

 裏口では、ゲットが腕時計を覗き込みながら、アリスの帰りを待っていた。強引に侵入してからなんの音沙汰もなかった。とりあえず命令通り、違法魔薬を所持していたブローカーを確保していた。


 そのブローカーはというと、地べたでぐっすり眠っており、今頃夢の世界だろう。


 アリスの魔法で生成された蔦は、跡形もなくその場から消えていた。アリスが突入してから数分で魔法が解け、再び売人が逃げようとしたが、ゲットは睡眠魔法で即座に眠らせることに成功していた。これでもう二度と逃亡することができなくなったわけだ。


 しかし、犯罪者とはいえ、さすがに冬の夜空のもとに睡眠状態で奉仕とくわけにはいかなかった。せっかくの数少ない手がかりだというのに、凍死されてはもともこうもない。

 仕方がないので苦肉の策として、体温を上昇させるヒリア1500を無理やりブローカーに飲み込ませた。アリスからの貰い物なのであまり消費したくはなかったが、証言がとれなくなるよりはましだろうと、ゲットは考えたのだ。


 魔薬を強制的に飲まされた男は、寝ていながらにして急激に体温が上昇した。これで本部に連れて行くまでの間は、凍傷の心配はないだろう。このヒリアの薬は効果が長いようで、ゲットの体にはいまだに温もりが残っていた。


 無事に見張りを務めているゲットだったが、アリスの行動が全く分からないので、いつまでここにいればいいのか不安になっていた。いっそ、自分もサポートにいくべきか。しかし、そうすればアリスの意思に背くことになる危険性もある。


 二つの分岐のはざまでゲットが立ち往生していると、裏口の扉が突然開いた。そこからは、ご機嫌とはいえない様子のアリスがゲットへと歩いてきた。


「アリスさん、どうでしたか?」


 アリスはゲットの質問に答える気配はなかった。施設の中が暖房がきいていて過ごしやすかったのか、改めて外に出るとその寒さに耐えられないようで、唇を軽くかみながら体をさすった。


 アリスはそのまま近づいてくると、白く冷え切った素手で、ゲットの首元を優しく振れた。ゲットの首からはヒーターのような温かみが伝わってきており、薬が全く切れていないことが感覚的に察することができた。 


「君を熱くしたのは、間違いだったかな」


 その言葉は、コートを欲する必要がなくなったほど温まったゲットの体を、冷たくそして鋭くとがった刃のように刺した。


「怒っているんですか?」


 不機嫌そうなのは悪寒のせいだと勘違いしていたようだ。明らかにゲットに対して何か不満があるようだった。


「そういうわけではないよ。けれど、勝手に飛び出したのはよくなかったね」


 双眼鏡で魔薬が売買する現場をアリスがのぞいていると、何も言わずにゲットはごみ収集上を飛び出し、現場へ走り出したのだった。 


「すみませんでした。でも、こうして違法魔薬を持っていたブローカーは捕まえたわけですし」


「そうだね。だけど、肝心の紫炎の魔薬は発見できなかった。売人から受け取ったトランクの中には、違法なものはひとつもなかった」


「え、じゃあすでに隠されたということですか?」


「おそらく、それはないだろうね。座長の男は、終始余裕の態度をとっていた。完璧に隠していたとしても、捜査官に探られていれば焦りの一つは見せるだろう」


 ついさっき見てきたあの男の満足げな顔を思い出すと、再度癪に障ったようで、アリスの顔が歪んだ。


「じゃあ、今回の売買では魔薬の取引はなかったということですか」


「そうだろうね。売人が持っていた違法魔薬は、これから売りさばく予定だった物だろう。運よく見つかったから、サーカスに強制的に探りを入れることができたが、騒ぎに気付かれ証拠を隠滅されてしまった」


 ヴィトゥの部屋から不審な音と大量の煙、確証はないが彼女は何かを燃やしていた可能性があった。


「……そうだったんですか」


「本来なら、魔薬の取引現場を発見した時点で、一度引き上げるべきだった。そのあとに売人をマークして、今回の目的である紫の魔薬を売りさばいていることが分かったとき、その現場を取り押さえるべきだった。そうすれば、薬を押収することが可能になり、こちらの有利になっていただろうね」


 説教じみたアリスの案を聞き、ゲットは分かりやすく沈んでいた。自分の青さを痛感していた。初めて違法魔薬所持者を確保して舞い上がっていた自分が滑稽に思えた。


「しかし、この方法が絶対に正しいとは言えない。つまりはターゲットを泳がすということだからね」


 警察の捜査では当たり前に行われている捜査方針だが、被害者からしたら一刻も早く捕まえてほしい場合もあるだろう。そういった道徳的観点からいえば、容疑者を野放しにするという行為は、必ずしも正しいとは限らなかった。


「でも、今回のターゲットは別の人物です。捜査官としては失格ですね、僕は」


「そう落ち込むことはないよ。この売人を捕まえなければ、違法魔薬が世に出回っていた可能性があったわけだ。しかし、今回ゲット君が捕まえたことにより、彼が留置場にいる間の取引はなくなったわけだ。君は正しいことをしたんだよ」


 励まそうとアリスは軽く肩を叩いた。捜査として効率は良くはないが、ゲットのような純真な警察官にはこの方法があっていたのだろう。彼はまだ汚れは知らない原石だ。それを無理やり加工して普遍的なものに仕上げるよりも、その輝きを磨き上げ唯一無二の個性を作り上げたほうがいいと、アリスはゲットの教育方針を固めていった。


「君が割り切った正義を覚えるのはまだ速い。今回は失敗してしまったがうまくいっていれば今日にでも彼女を逮捕できた可能性もあった。ゆっくりこの世界のことを学ぶといい」


「ありがとうございます」


 二人の年齢の差は意外と少ない。同じ二十代であり、広く見れば同世代だ。けれど、ゲットの目には、はるか上の存在にうつっていた。捜査官としての確かな能力と、揺るぎない信念がアリスには備わっていた。


 後輩の育成には成功しつつあったアリスだが、肝心の捜査はお世辞にもうまくいっているとは言えない。

 売人を捕まえることには成功したが、サーカスが買ったという証拠はどこにもない。


 さらに、今回強制的に家宅捜査してしまったため、二度目の捜査を取り付けるのが難しくなってしまった。今回一時的にサーカス団は身の潔白を晴らしたことになる。再び任意の捜査を行うとすれば、前回の無実を棚に上げられ拒否していくことだろう。二度目の捜査を拒否したとしても、世間はサーカス団に悪い印象を抱きはしないだろう。逆に、難癖をつけて調べ上げる警察組織に世論の矛先はむくかもしれない。


 今回の独断捜査で上層部から叱られることは間違いないだろうし、彼女をこのまま調べ続けること自体が難しくなるかもしれない。


 残された手がかりは、すやすやと呑気に眠っているブローカーのみ。この男がサーカスに違法魔薬を売っていたと証言すればいいが、その望みは薄いだろう。


 アリスの経験上、こういった闇の住人は、そちらの世界のプライドがありルールは守る。それに、今回魔薬を所持していたとはいえたったの一つだ。課せられる刑としては、数年の刑務所生活だろうか。あるいは腕のいい弁護士を付けて執行猶予つきまで軽くしてもらうことケースもおおいに考えられる。


 とするならば、すぐにでも売人生活に戻る可能性が高い。その時に不可欠なのが、裏社会での信用。自分の雇い主を警察に売ったとなれば、信用はがた落ち。一気に買い手はいなくなるだろう。


 そういった点から、彼がこちらの有利になるような証言をする可能性は極めて低かった。


「……とりあえず、この男を連行しましょう」


 眠ったままの男を二人で担ぎ、裏通りを後にした。

 一人の犯罪者を検挙したというのに、捜査は振り出しに戻った。それどころか身動きがとりにくくなってしまった。


 彼らの夜はまだ明けることはない。

 二人の歩く先には、果てしなく続く暗闇しか広がっていなかった。

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