芸術の灯火 ファイアー・ランプ 6
許可を貰うと、ターゲットを探しにアリスは走り出した。裏方も含めると数十人ここで生活していることになる。それだけ部屋の数があるというだし、練習場も含めればとても一人では無理だ。ゲットは見張りをしているので協力を頼むことはできない。
座長に聞けば一発だが、そうやすやすと教えてくれるとは思えない。彼女が違法魔薬を使用しているのなら、座長は全力で擁護するだろう。他の団員に聞くてもあるが、彼女の事情を知っているのならば、期待はできないだろう。
ヴィトゥ・フォーティアはどこだと大声で探せば、本人に気付かれてしまう恐れがある。この場所にアリスの味方はいない。策がつきたか、とアリスは足を止めた。
「あんた誰だ?」
立ち止まったアリスに一人の男が不審そうに声をかけた。コートを着た見知らぬ男が住居内を走っていたため、知らないうちに目立っていたようだ。
「私は警察のものです」
「警察? なんで警察がここにいるんだ」
もっともな質問を彼はアリスに投げかけた。二十代後半に見えるその男はおそらく団員だろうが、スウェットに着替えているので、ステージにいた誰なのかは分からなかった。ほんどの団員が派手なメイクや仮面をかぶっているので、彼の素顔を見ても誰とは断言できない。
「ちょっとした捜査で。お騒がせして申し訳ありません」
「あっそ。熱狂的なファンが押し寄せたのかと思って焦ったよ。じゃ、俺は動物たちに餌やりに行くから。捜査頑張って」
そう言って男は飼育部屋へと戻って行こうとした。
「今、動物って言いました?」
アリスはその言葉に一筋の光を感じ取り、彼が帰ろうとするのを止めた。
「ああ俺、猛獣使いだから」
「ゲラップ、さんですか?」
「そうだよ。知ってたんだ」
砂漠のオアシスのように、突然救いの手が天から差し伸べられた。
ゲットの話によれば、このゲラップという男は初期メンバーにして苦労人。このサーカスが売れていない時代から支え続けていた古株の一人。努力の末に変幻自在曲芸を会得した彼ならば、違法魔薬という努力を踏みにじるものを許しはしないのではないか。
「あの、ヴィトゥ・フォーティアさんの部屋ってご存知ですか?」
「ああ二階だよ。でも本人は練習場にいるんじゃないかな」
彼に声をかけて正解だと、アリスは安堵した。これで手掛かりが見つかった。
「その練習場ってどこですか?」
「そこだよ」
ゲラップは奥にある廊下を指さした。突き当りに一つ扉があり、その近くにもう一つ部屋があるようだった。思いのほか場所は近く、すぐにでも行ける距離だった。
「助かります」
「突き当り左にある、鉄扉の部屋だから」
ゲラップに深くお辞儀をすると、アリスは急いでその部屋へと向かおうとした。しかし、タイミングがいいのか悪いのか、今行こうとしていた部屋の扉が開いてしまったのだ。そして、ターゲットであるヴィトゥ・フォーティアが扉の奥から姿を取り出した。
彼女は扉の鍵を閉め、こちらに向かって歩いてきた。まだアリスの存在には気づいていないようだった。
それをみたアリスは勢いよく踏み込み、彼女に向かって走り出した。証拠を掴むのは今しかない。
彼女はイノシシのように突進してくる黒コートの男に気付き、戸惑っていた。廊下は狭く逃げることも出来ないので、どう対処するか迷っているようだ。
その隙にアリスは、彼女との距離を縮めていった。あと数歩で届く距離に差し掛かった時、後ろからゲラップの声が聞こえてきた。それはヴィトゥに向けた言葉だった。
「その人警察の方だってさ。お前に用があるみたいだぜ」
それを聞いた瞬間、ヴィトゥは目の色を変えて体の向きを変えた。そしてさっきまでいた部屋に戻ろうと、彼女もまた凄まじい速度で走り出した。
やはりゲラップは違法魔薬の存在を知っていたのか。いや、それならば最初から居場所を言う必要がない。おそらくただの偶然。話がスムーズにいくようにと、ゲラップしたただの気遣い。しかし、それによりアリスの背中をおしていた風向きが激変したのだ。
アリスは全力で走ったが、一歩間に合わなかった。彼女の方が先に部屋にたどり着き、部屋に入ってしまった。そして、鍵を閉めたようで、外から無理やり開けようとしてもびくともしなかった。
そのあとに部屋から、微かに異質な音が聞こえてきた。小さな破裂音や何かが焼ける音だ。この部屋で何が起きているのか、大方予想はついたが的中はしてほしくなかった。
数分後、重く閉ざされた鉄製の扉が、ゆっくりと開いた。開いたと同時に、強烈な焦げ臭さがアリスの鼻を襲った。次に視界を奪うほどの煙が部屋から蔓延してきた。
「私に用ですか?」
部屋から出てきた彼女は、異臭にも煙にも動じず自然体だった。それが逆に不気味でしょうがなかった。肌や服がかすかに焦げているというのに、普段のままでいられるのは明らかにおかしいことだ。
「ええ、まあ。それより凄い煙ですね。何か燃やされていたんですか?」
「なにも。練習していただけです」
「そうですか」
彼女ほどの使い手が、炎で自らの体を焦がすことは考えにくい。その言葉は嘘だということが明らかだったが、それを否定する材料がアリスにはなかった。
「で、用って何ですか?」
「いえ、違法魔薬がここに持ち込まれたと聞いて調べていただけです。トップスターのあなたならここのことを誰よりもご存知かと思い、何か知っていないかと質問しようとしただけです」
「そうですか。残念ながら心当たりがないです。力になれなくすみません」
ヴィトゥはステージ上との印象とほとんど変わらない可憐な女性だった。美しくそして謙虚だ。けれど、今はその態度が不気味に感じて、アリスは恐ろしいとさえ思った。
「では、私はこれで失礼します」
やれることはやったと心に言い聞かせた。捜査の命令がきてから、よく考えればまだ24時間も立っていないのだ。上出来だ、と心を励ました。冷静さを保つには自分を責め続けないことが大切だと、アリスは考えていた。
「あの、あなた魔薬を取り締まる人なんですよね?」
彼女から質問が来るとは意外だった。今は、邪魔者であるアリスを、すぐにでもこの場所から追い払おうとしてもおかしくない状況だ。
「はい、私は魔薬取締係の者です」
「何故、あなたは魔薬を取り締まるんですが?」
「どういうことですか?」
質問の意味が分からなかった。子供でも理解しているようなことを改めて質問され、即座に答えを用意することはできなかった。
「違法魔薬を使っても誰にも迷惑をかけなければ、その人の自己責任だと思いませんか。もしその力で、多くの人を喜ばしているとするなら、その人は善人とは言えないのでしょうか? 自分にしか迷惑をかけず、多くの人の心を照らす人間は悪ですか?」
一点の曇りもない眼差しで彼女はアリスをみつめた。確信に迫るものだが、決して尻尾は掴ませない食えない質問だった。
「悪、ですか。これだけは覚えておいてください。人は息をするように、何かを傷つけて生きている、ということを」
アリスはその場を後にし、ゲットの待つ裏口へと戻っていった。
予想以上に手ごわい相手だと、彼女に対する注意度を改めた。彼女も紫炎のように美しく、決して掴むことのできない存在なのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます