芸術の灯火 ファイアー・ランプ 5
「例のものです。お納めください」
怪しげな男は一つのトランクを渡すと、ニタリと薄笑いをした。
「ごくろう」
中身を確認した座長は、そのトランクと引き換えに札束を男に手渡し、施設へと帰っていった。
男は受け取ったお金をすぐさま懐に入れた。用が済んだようで、もう一つのトランクを持ってこの場から離れようとした。
男が一仕事終え、優雅に帰ろうと一歩足を踏み出すと、後ろから猛烈な勢いで足音が聞こえてきた。おそらく誰かが走っている音だろう。男は気になり振り返った。もう日が回り目の前は闇に包まれており、その音の正体を確認できなかった。しかし、確実に音は近づいてきてる。
そして裏口のランプがその音の元を照らした。突如闇夜から現れたのは、スーツを着た若い男だった。物凄い剣幕でこちらに走ってきた。
「待て! 警察だ」
その言葉を聞いた瞬間、男はトランクを抱えて逃げ出した。何故、警察がここにいるのか。そんなことを考えている余裕はなく、動物的本能で男は駆け出した。
「逃げるんじゃない!」
若い男 ゲットは、さらに加速して男の背後まで駆け寄る。そして、その勢いのまま男に飛び掛かった。二人はもみくちゃになり、その場で掴み合いになりながら転んでいった。
「離せ!」
男はトランクケースでゲットのわき腹に殴り掛かった。
掴めることばかり考えていたゲットは攻撃を避ける速度が一瞬遅れ、もろに食らってしまった。男から引きはがされ、その場で殴られた場所を抑えながら倒れ込んだ。
「……はぁ、もう少しなのに」
裏通りを走っていき逃げていく怪しい男をゲットは見つめることしかできなかった。勝手に飛びしてきたのに、何をやっているんだと、自分を責めた。
後悔で頭が埋め尽くされているゲットの目に、男が急に動きを止めている光景がうつった。何故、急に逃げていたはずの男が停止したのか。そのわけは、倒れ込むゲットの横を通り過ぎた捜査官 アリス・ローゼの魔法にあった。
「なんだ、このツタは」
よく見るとは自分で動くのをやめたのではなく、動きを止められていたのだ。男の体には茶色がかった樹木のツタがまとわりついていた。この裏道には植物はなく、男一人の身動きを止めるほど立派なツタなどあるはずはなかった。
そのツタの根っこを見てみると、男の足元の地面から飛び出していた。この植物は地面から急に飛び出し、男を拘束したということになる。そんなことが可能なのは、魔薬による魔法だけである。
「暴れない方がいい。動くほどそれは君を苦しめていく」
男はとにかく逃げようと、アリスの言葉を無視してツタを引きはがそうとした。しかし、ほどけるどころか縛る力が強くなっていった。このままでは体が絞殺されてしまう。男は観念して全身の力を抜いた。すると、少しだけ拘束する力が弱まった。
「賢明な判断だね」
アリスは男に近づき、トランクケースを拾った。開けようと思ったが鍵がついていたので、動きの取れない男の服を探った。ジャンバーの中に冷たい感触があったので取り出してみると、案の定トランクのものだと思われる鍵が見つかった。
トランクを開けると、その中には大量の魔薬のはいったケースが入っていた。この男は魔薬を売りさばくブローカーといったところだろう。
「探し物はないみたいだね」
何種類もの魔薬が中に詰め込まれていたが、それはどれもそこらの店で売っているような規定内の魔薬だった。強力なもので1500まで。違法魔薬は見当たらなかった。
しかし、アリスはそれだけでは諦めず、大量のケースの中へ手を突っ込んだ。すると、異様に肌触りのいい箱があった。それを掴みとりトランクから出すと、金色のデザインをした他よりも豪華に製造されていることが見て取れた。
「ゲットくん、意識はあるかい?」
腹に重い一撃を叩き込まれたゲットに、アリスはその金色のケースを見せた。
「なんとか」
わき腹を抱えながらも、ゲットはゆっくりと立ち上がった。アリスの手元をみたが、ぼやけて何が書かれているかが鮮明に見えなかった。
「ポインター2000。この魔薬の効果は?」
「……ポインターは、瞬時に別の場所へと移動することのできるテレポートの魔薬です。2000だと世界中どこへでも一秒足らずで瞬間移動することができ、違法魔薬の一つです」
「正解。これで、サーカスを調査することができるようになった。ゲットくん、この男を頼んでもいいかい?」
「はい、わかりました」
ゲットは完全に立ち上がり、見張りの役目をかった。
ブローカーの後始末を後輩に任せたアリスは、すぐさま裏口の扉を叩いた。突然の訪問にはなったが、アリスは冷静に捜査官の顔つきを保った。
「騒がしいぞ」
文句交じりに扉を開けたのは、先ほど双眼鏡に映っていた強面の男だった。訪問者がブローカーではなく、見たことのない人物で彼は戸惑っていた。
「誰だお前」
「初めまして。魔薬取締係のアリス・ローゼです。アモーレサーカスの座長さんですか?」
アリスはまたコートの内ポケット手をいれ、今度は警察手帳を取り出した。アリスの写真付きで、本物だということは間違いなかった。
「……なんのようだ」
「先ほどあなたと会話していた男が違法魔薬を所持していました。あなたその男から、大量に買われましたよね。それを見せて貰ってももよろしいですか?」
丁寧にそして力強くアリスは座長に尋問した。顔は笑ってはいるが目の奥に光はなかった。
「なんのことだ」
額にしわを寄せ明らかにご機嫌斜めな座長は、扉を思いっきり閉めようとした。しかし、すでにアリスが一歩足をだしており、扉はそれに引っ掛かり完全に閉じることはなかった。
「少し強引ですが」
力いっぱいドアを引っ張り、座長の断りもなくアリスは侵入した。予期せぬ出来事だったが突然舞い降りたチャンスだ。この機を逃すわけにはいかなかった。
「おい、あんた」
座長に取り押さえられそうになったが、アリスはものともせず内部へと足を踏み入れた。中性的な見た目からは想像できない力をしたアリスに、座長は終始あっけに取られていた。
裏口を抜けると廊下がずらっと続いており、少し歩くと大広間があった。団員と思わしき人たちが休憩しており、不審者のアリスに驚いていた。
大広間にはソファーが置いてあり、そこの脇に先ほどブローカーから受け取ったものと同じ形のトランクが置いてあった。すぐさまトランクを開けようとしたが、これにも鍵がかかっていた。
「開けてもらえませんかね」
後ろからついてきた座長に頼んだが、その言葉に気持ちは一切こもっていなかった。人にものを頼む態度ではなかった。
「何故、開けなければいけないんだ」
「そうですか」
予想通りの答えだったようで、すぐにトランクへと目線を戻した。そして、アリスは手に持った鍵をトランクに刺し込もうとした。この鍵はブローカーから押収したものだった。
期待はしていなかったが、鍵を押し込み勢いよく回した。すると「カチッ」と鍵が開いた音が鳴った。どうやらブローカーの持っていた鍵はマスターキーだったようだ。
トランクの中身は先ほどのものと大して変わらなかった。大量の魔薬ケースが入っており、違法魔薬らしきものはなかった。さっきの中身と違うとこがあるとしたら、物の数を増やす魔薬や、生物のサイズを変える魔薬など、ショーで団員たちが使われたと思われる魔薬がラインナップされていた。
その中に紫の炎を作り出す魔薬は見当たらなかった。
アリスは同じようにトランクの中へ手を突っ込んだが、特に違和感のある代物はなかった。いたって健全な薬ばかりだ。
「違法魔薬なんて私たちは買っていない」
先ほどと打って変わり、座長は誇らしげにアリスに喋りかけた。賭け事に買った時の勝者の顔をしていた。
「みたいですね」
このトランクの中に魔薬が入ってるとは最初から思ってはいなかった。違法魔薬が発見される瀬戸際だというのに、座長がそれほど慌てた様子がなかったからだ。追い出そうと思えばアリスのことなど簡単に追い出すことができるはずだ。ここには魔法の使い手がわんさかいるのだ。団員たちの手を借りれていれば、さすがのアリスでも対処はできなかっただろう。
「お帰りいただけますかね?」
「それは無理ですね」
勝ち誇った表情をしていた坊主の男にむかついたのか、アリスは食い気味に否定をした。まだ帰るわけにはいかないようだ。
「捕まえたブローカーが言っていたんですよ。あなた以外に、個人的に魔薬を売った人がいる。その人物が違法魔薬を所持している疑いがあります。急遽ですが、ここを捜査しても構いませんか?」
嘘っぱちだった。ブローカーとはほとんど会話をしていないし、悪の世界のプロである人間が商売相手の詳細を述べることは、まずありえないだろう。
「あの男が? そんなはずはない。私以外買っている者はいない。それに捜査するっていったって何の令状もないんだろ?」
「確かにこれは任意です。ですが捜査を拒否をするということは、何かやましいことがあるということですか?」
アリスはその冷たい瞳で座長をにらみつけた。身長はアリスの方が若干勝っているので、見下されているように座長は感じることだろう。
「そういうことじゃない。急に来られても困るっていってるんだ」
いつ怒鳴りだしてもおかしくないほど、座長は怒りをあらわにしていた。
「そうですか。……世間の人々はどう思いますかね。このサーカス団が違法ブローカーから魔薬を買っていたと知ったら」
「なんだと?」
「違法魔薬をあなたが買ってなかったとしても、さっきの男が違法ブローカーということに変わりはない。
何故、国からこんな立派な施設を建設して貰えるこのサーカスが、わざわざ裏社会から魔薬を買わなければいけないのか。
これが新聞にでも書かれて出まわったら、あることないこと言われるんじゃないですかね。ただでさえ、規定を超えた魔薬を使っていると言われている、団員がいるというのに」
「……それが警察のやりかたか?」
座長は強く言い返すことができなかった。数分間のやり取りで、勝者から負け犬の顔に変わっていた。
「さぁ、なんのことでしょうか。ここで私の捜査を受け入れ、何も見つからなければ、堂々と国民に主張できる。これでもまだ、私の要望を受け入れてはくれませんか?」
瞬時に脳で言葉を組み立て、即座に声に乗せて相手に放つ。これが、不可解な事件ばかり担当をしているアリス・ローゼのやり方だった。
「……好きにしろ」
とうとう座長は折れ、脱力したようにソファーに腰かけた。
「ご協力感謝します」
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