芸術の灯火 ファイアー・ランプ 4

 冬の張り込み、しかも夜だ。気温は一桁まで下がっており、肌に触れる風は全て凍えていた。できることなら全身毛皮で覆われたい。アリスは無理な願いをしながら、双眼鏡を構えていた。


 今はサーカスのショーが終わって数時間が経過した頃だった。アリスとゲットはそのまま調査を続行していた。いわゆる張り込みと言われるもので、少しでも情報を仕入れようとしていた。


 張り込み対象は今日のショーが行われたスターホールに隣接されている、サーカス団の住居だ。基本的に団員はここで生活しているらしく、各々の練習場も完備されている。そのため、スターホールよりもさらに巨大な施設だった。


 二人がいるのは住居施設の裏口がある通りだった。ここを選んだのは、正門からだとファンが自分の好きな団員を待ち構えていることが多いので、裏口から入る団員が多いらしいからだ。特にヴィトゥのような人気スターなら、ここから出入りすることが多いだろう。

 とはいっても、ショーが終わりすぐに自室へ戻ったようだし、夜が更けてこれから出かけるとは考えにくいが。それでも、アリスはここで張り込むとゲットに伝えた。


 施設の裏通りには、サーカス専用のゴミ捨て場があった。大勢住んでいるためゴミが多いようで、一般的なものよりも立派なものだった。丁度その裏に隠れそうだったので、アリスたちはそこで今晩を過ごすことにした。匂いは臭く寒さを全くしのげないが、基本的にゴミ出しは朝なので団員がくる可能性は低い。少し遠いが双眼鏡で見張れる距離なので、張り込みの場所としては最適だった。


「何か温かい飲み物でも買ってきましょうか?」


 手をこすり合わせながら、ゲットは短く息を吐いた。ここまで遅く調査をすると思っていなかったのか、コートも着ていないので、凍え死にそうな勢いだった。


「入り込むのに一苦労だったらからね。あまり、出歩かないほうがいい」


 震えるゲットをよそに、アリスの言葉は氷のように冷たかった。


 ここには警備員の目をごまかしなんとか侵入したので、もう一度入るのは難しいことはゲットもわかっていた。しかし、ダメもとで何か温かさが欲しかった。


「さすがに限界そうだね」


 死にかけの小鹿のような弱弱しい顔をしていたので、アリスはさすがに同情したようだった。アリスは今着ているコートに手を伸ばした。ゲットはそれを見て、自分にかけてくれるのではないかと、乙女チックなことを予想していた。しかし、アリスはコートの内側に手を入れただけで、脱ぐ気配はなかった。


「……はぁ」


 一度希望がみえたせいで、ゲットの表情はさらに生気を失っていった。アリスにコートを貸してくださいと願いを出そうかと思ったが、それは早めの段階でやめることを決めていた。今日であったばかりのあこがれの先輩であるわけだし、そのコートを借りたら今度はアリスがこの寒さと戦わなくてはいけないからだ。自分が冬なのに何も羽織らなかったのが悪いと、ゲットは諦めていた。


 そのとき、ゲットの視界に真っ赤なケースが入り込んだ。これは魔薬の入ったケースだった。アリスが「これを飲み込みな」といって差し出してくれたのだ。


「ありがとうございます」


 ゲットは品がないとは思いつつそのケースを勢い良く掴み、魔薬を取り出して口に含んだ。すると、さっきまでの寒さが嘘かのようにゲットのつま先から頭まで、全身がほてってきた。薬を飲んでから数秒で、ショーを見ていたような若々しい顔つきに戻っていた。


「死なれては困るからね」


 アリスが渡した魔薬は「ヒリア」。熱を操ることができる魔薬だ。これは煙草のように服用者の体に影響を及ぼすタイプの薬だ。これを一粒飲めば、たちまち体温が上昇するのだ。


「でも、この効果の強さ。1500ですよね?」


「大事に使うんだよ」


 ゲットが言った1500とは、魔薬の効果の度合いを数値化したもの。500は子供でも安全に使用することができる簡易的なもの。1000は市販で売っているもので、1500だと業務用だ。1500は登山家などがよく買うといわれている。そのぶん、数値が高くなるほど値段は高くなり、体への負担も大きくなっていく。2000になると中毒性があり体に害があると言われており、違法魔薬に認定される。


「貴重なものありがとうございます」


 アリスが最初から渡さなかったのは貴重な代物だったからだった。それを察したゲットは、大事そうにヒリアのケースを握った。


「さて、動きはあったかな」


 ゲットの体調が回復したのを確認し終えると、双眼鏡を覗き込んだ。裏口には一つだけランプが取り付けられてるので、周りが暗くともはっきりと見張ることができた。


「あの、結局彼女の魔法に関しては何かわかったんですか?」


 ショーが終わるとすぐに張り込むと言われたので、肝心なことを聞き忘れていたことを思い出した。難事件を解決すると言われるアリスならば、すでに彼女が違法魔薬に手を出しているのか否か、ある程度めぼしはついているのではないかとゲットは感じているようだ。


「まだわからないよ」


「え」


「私が知らないだけでレアな魔薬のなかに、紫炎を生み出せるものがあるのかもしれない。それに、人と魔薬には相性がある。適合性が高かければ、普通の人の何倍もの力を市販のもので出すことができる事例もある」


「では、彼女は特異体質で、人よりも炎の魔法と相性が良かったということですか?」


「普通に考えるならそういうことになる。一般市民の中には彼女の魔法を怪しく思うものもいるようだ。しかし、おおっぴらにショーを行っているため、それが違法なのではないかという考えが薄れてしまうようだ。

 あれほどの人数を前にして堂々と魔薬を使用しているんだ、そうだとしたら並大抵の精神力ではない。だから、結論として「才能」という言葉で片付けられている場合が多いそうだ」


 世論を述べているときもアリスは双眼鏡から目を離さなかった。口ぶりは異様にたんたんとしており、アリス自身の気持ちは全く感じられない話し方だった。


「アリスさんはそうは思っていないんですか?」


 ゲットがそう質問すると、やっとアリスは裏口を見るのをやめ、ゲットの方へ顔を向けた。


「……君には言いずらいことだが、私は彼女が黒だろ考えている。さっき分からないと言ったのは、証拠がないからだ。私の想像の話でいいなら、聞かせられるが、どうする?」


「……アリスさんの考えを聞かせてください」


 再びショーを観覧したことにより、紫炎の使い手であるヴィトゥを疑いたくないという気持ちが、ゲットの中で大きくなっていた。けれど、勇気をくれたのがサーカスであるならば、目標をくれたのがアリスだった。捜査官として私情を挟むのはいったんやめたようだ。


「違法魔薬を所持している人間を捕まえるのは難しいことだ。煙草の上級版のような、体に定着して脳や身体に働きかけるものなら、検査機にでもかければ一発だ。しかし、魔法をしようするタイプのものは厄介だ。飲んだ直後は違法数値の魔力が体に残っているから、同じやり方で捕まえることができる。けれど……」


「魔法を作り出す、つまり魔力を使い外に放出されると、体には魔力がない状態になってしまう。魔法を使用するときに体への負担はかかり身体に影響を及ぼしますが、魔力が無くなった後では、それが魔薬による異常なのかが判断できない。ですよね?」


 ゲットが得意げにアリスの捕捉をした。一警察官だと認めて欲しかったのだろうか。

 話をとられたアリスだったが、動じずに自分の意見を述べ続けた。


「そう。簡単に言えば炎を作り出す魔薬の場合は、作り出し終えたころには使用者の体内には魔薬の痕跡は存在しない。だから、捕まえるには物を押収するしかない。

 けれど、証拠がないのに家宅捜査するわけにもいかないしね。大手サーカスだ、変に警戒されては今後の捜査が行き詰ってしまう。そこで私たちができることは、容疑者の魔法が規定値を超えるほど強力なものかを予想することしかない」


 女性らしい見た目をしているアリスだが、捜査論を語るときは貫禄が出ていた。ゲットのきいた難事件をいくつも解決してきたという話に嘘偽りがないことを、再認識した。


「その予想によると、ヴィトゥ・フォーティアは、2000クラスの魔薬を所持しているというんですか?」


「予想だとね。そもそも魔薬は、超常的成分を持った植物を配合して作られている。複雑なものになればその調合数は増え、違法レベルになる」


 アリスは喋りながらコートの内ポケットに手を突っ込んだ。今度は先ほど出したケースとは別のケースを取り出した。彼のコートにはどれだけのものが入っているのだろうか。ライターに魔薬に煙草。双眼鏡も内ポケットから取り出したものだった。もしかしたらそもそも、ポケットが複数ついているのかもしれない。


「これは、市販で売っている炎を操ることのできる魔薬。これには何種類の魔法が組み込まれていると思う?」


 そのケースには、炎を模したデザインがほどこされていた。アリスは手に持ったそれを横に振り、中の粒の音を鳴らした。ゲットの方を軽くにやつきながら見ていた。


「何種類って、炎を操つる魔法、それだけじゃないんですか?」


 問題の答えを聞くと、さらにアリスは口角をあげた。自分の思い通りに事が運んだことが喜ばしいようだ。


「正解は三種類だ」


「そんなにですか?」


「炎を生み出す魔法、それとそれを維持する魔法。ライターでいうとスイッチの部分だね。押し続けなければ消えてしまうだろ?」


 ポケットの中からライターを取り出し、スイッチを押して火をつけた。明かりが外に漏れぬよう、片手で光を閉ざした。そして、すぐにスイッチから手を離す。するとアリスの言葉通り、ライターから生み出された小さな炎は、儚げに消滅していった。


「そして、最後に操る魔法。少なくともヴィトゥ・フォーティアの魔法には、この三種類が使われている。これをあのステージの隅から隅まで届くほどの威力にするならば、軽く1500は超えるだろう。どんなに適合したとしても。そこに色を紫に変化させる魔法を加えれば……」


 先ほどとは違い、答えの先をゲットの口から言わせようとしていた。こう長々と説明するのも、指導の一環として考えているのかもしれない。


「2000を超える、つまり違法魔薬に数値になってしまう。でも、色を変えるだけでそこまで強力な魔法が必要なんですか?」


「炎で考えるからピンとこないのかもね。人間で考えるといい。ゲットくんの肌を紫色に無理やり変えようとすると、細胞レベルで色素を変えないといけない。それが全身となれば、どれほどのパワーが必要なのか分かるんじゃないかな?」


 ゲットは言われて自分の手のひらをじっと見つめた。どんどん緑色に変化することを想像すると、爬虫類になったようで気持ち悪かったが、それと一緒に色素を変えるということの難しさが何となくだと感じることができた。


「私の計算だと、どう考えても合法の数値にはならないんだ。最初に言った通りあくまで予想だから、まだ証拠はないけれど」


「さすがです。勉強になります」


 ゲットは自分でも無意識なうちに、手帳にアリスの言葉の一部始終をメモしていた。


「今の予想が真実なのか、はたまた別の魔薬なのか。どちらにしても、彼女が所持しているところを捕まえないと話にならないんだけどね」


 結局何も捜査が進展しないことを考えたアリスは、深いため息をついた。形だけ張り込みをしているものの、今日何か発見できるとは思っていない様子だった。彼にとっては、今日実際に見れただけで満足といったところか。


「そうですね。アリスさん、迷惑でなければその双眼鏡お借りしてもいいですか?」


 熟練捜査官のアリスの説を聞いて、いっそう張り込みに前のめりに参加しようと、木々引き締まったようだ。双眼鏡を借りて、ゴミ収集所からひょっこり顔をだして裏口を観察した。


 周囲はさらに冷え込んできており、もうすぐ日が回ろうとしていた。魔薬の効果により体温が高いゲットは気分がよさそうだが、今度はアリスの方が寒さに耐えきれなくなっていた。目がぱっちりとあいたゲットに比べて、少しづつうとうとしだしている。


 そろそろ張り込みを終了しようと、アリスが決めようとした時だった。

 顔に双眼鏡を押し当てながら見澄ましていたゲットが、勢いよくアリスに顔を近づけた。


「どうかした?」


「これ、見てください」


 急に小声でいいながら、双眼鏡をアリスの手元へ返した。言われた通りアリスは双眼鏡を覗き込んだ。

 そこにはさっきから何度と見た裏口が映っていた。しかし、今までなら誰もそこには映っていなかったが、今は裏口の前に人影があるのだ。しかも二人だ。一人は丸坊主の屈強な男だ。スーツを着ており、裏口の扉に近いのでサーカス団員であろう。けれど、アリスたちはあの男はショーで見てはいない。おそらく、サーカスの座長だろう。


 もう一人は、フード付きのジャンバーを深めに被った小柄な男だった。シルバーのトランクケースを二つ持っており、座長と何か会話をしていた。

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