芸術の灯火 ファイアー・ランプ 3

 アモーレサーカス団のショーが行われるのは、スターホールと呼ばれる専用に作られた拠点だった。最初はテントの中でやっていたが、口コミにより徐々に客が増え、今では専用施設を国から支給されるほどだった。


 客席はホールを囲むようになっており、四階まで用意されている。それだけ足を運ぶ国民が多いということだろう。計算すれば数万人入る規模である。


 中央にステージがありそこで団員たちが各々のエンターテイメントを繰り広げるのだ。ステージを客席が360度囲んでいるため、場所によって全くショーの内容が変わってくる、というのがこのショーの醍醐味の一つであった。


 会場は開演まであと一時間もあるというのに、ほとんどの席が埋まっている状態だ。家族連れや恋人同士、老若男女問わず幅広い客層だ。会場は客の会話によりにぎわっており、一秒でも早く見たいと大騒ぎだ。


 そんな熱気に包まれた会場の中で、アリスとゲットが着席しているのは三階エリアだ。警察のコネでチケットをとったためか、この会場の中ではいい席だった。四階まで上にいってしまうとパフォーマーたちとの距離が延びてしまい、二階より下だと全体が見にくいので、三階がベストだとファンの間では考察されていた。


「何かお食べになりますか? バター味のポップコーン、美味しいですよ」


 ホールの外では飲み物や食べ物のお店が数多く出店されている。会場に持ちこみ可なので、多くの人が買ってからやってくる。ゲットは買ってはいないが、隣の席に座っている少年が持っているポップコーンの香ばしい匂いが、鼻先まで届いていた。


「私は良いよ。ゲットくんはもしかして、ここに来るのは初めてじゃないのかい?」


「はい。実はチケットが取れたらよく行くんです。相手がいないんで一人ですけど」


 自虐的にいったゲットは、ぼさぼさの髪を軽く掻いた。彼は何度か来たことがあるので、ポップコーンや、フランクフルトなどのたいていの商品は食い尽くしたと語った。


「やっぱりね。今回の捜査に乗り気じゃないみたいだったからね。ファンの一人じゃないかと思っていたんだよ」


「ファンって程ではないですけど。でも、このショーを見ると力が湧いてくるんです。警察試験の前にもこのショーを見て、勇気を貰ったんです」


 ゲットは好きなことを話すときに、わかりやすくテンションがあがる。そして、嫌なことがあるとそれが下がる。わかりやすい子だな、とアリスは心の中で呟いた。


「じゃあ、今回はその恩人を調べることになるのか。初めての事件なのに、嫌なのにあたってしまったね」


「いえ、捜査は捜査です。僕個人の感情は忘れて、しっかりと彼女の魔法を見極めます」


「そう言ってくれると頼もしいよ」


 二人が適当に時間をつぶすと、開演時間に近づきホールの明かりが消えた。隣の子供は少し怯えているようだったが、他の観客は待ってましたと言わんばかりに、声を殺し時を待った。先ほどまであちこちから雑音が聞こえていたのが嘘のように感じるほど、会場は静寂に包まれた。


 ゲットは背筋を伸ばし目を見開いていた。準備万端といったところか。アリスは先ほどとあまり変わらず、足を組みながら冷静にステージを見つめていた。


 数分静かさが保たれていると、ようやく開始時刻に到達した。その瞬間に、ステージに一人分のスポットライトが照らされた。

 そして、スポットライトの当たる場所で、何の前ぶりもなく小爆発が巻き起こった。規模が小さく客席には絶対に届かないであろう爆発だが、観客たちは一瞬でそれに目を奪われた。ステージは柔らかい土でできているので、爆発とともに砂ぼこりが巻き起こっていた。その砂ぼこりは消えることはなく、それどころか人のようなシルエットになっていく。


 そして、これもまた一瞬で砂がはらわれると、そこには七色に彩られたピエロが陽気に立っていた。


 そのピエロの登場とともに、観客たちは一斉に声をあげた。その観客の声援が、ショーが始まる合図だった。


 ピエロはどこからともなく、二つのクラブを取り出した。その二つを上に放り投げ、器用に両手で回していた。もちろん、これだけで終わりではない。ある程度回し終えると、そのクラブの数が変化していった。二本から四本、そして六本と、クラブが回されている間に増えていくのだ。ピエロは余裕の表情で、一度も落とすことなくジャグリングを続ける。


 数が増えるたびに観客は盛り上がったが、まだ物足りない様子だった。このサーカス団は、右に並ぶものがいないと言われるほどで、この程度のクオリティな訳がなかった。


 一度、六本全てのクラブを両手で抱えると、それをいっぺんに空中へと放り投げた。すると、目を疑うことが起きる。クラブの数が倍になったのだ。つまり、空中で十二本に増加したのだ。重力に抗えぬクラブたちは、勢いよくピエロのもとに降下してきた。


 さすがにキャッチすることができないだろうと観客が感じた矢先、ピエロが笑みをこぼしながら両手を広げる。すると、再び疑い深いことが起きた。なんと、ピエロの腕が増えたのだ。わき腹と腰の位置に左右二本ずつ生えてきたのだ。これでピエロの体は昆虫のようになり、腕が六本となった。


 その増えた腕で、急降下してくるクラブ全本を難なくつかみ取り、ジャグリンを続けた。これによりようやく、観客が我を忘れて盛り上がるほどになった。


「これは確かに、凄い芸当だ。人気なのが分かるよ」


 首を軽く振りながら、アリスは感心していた。こういったショーは初めてだったのか、最初は軽く思っていたようだ。しかし、オープニングアクトだけで、その見る目は明らかに変わっていた。


 ショーは次々と進んでいき、プログラムの丁度真ん中あたりに差し掛かっていた。そんななか、誰もいなくなったステージに、黒に包まれた不気味な道化師がゆっくりと歩いてやってきた。


「ショーも折り返し地点となりました。あとわずかの時間となりましたが、どうぞ最後までごゆっくり楽しんでいってください」


 道化師は全体に聞こえるようほどのしっかりとした発音でMCをおこなった。


「では、ショーの再開です」


 道化師が指を「パチン」と鳴らすと、ステージではない方から女性の叫び声が聞こえた。会場はざわつきはじめ、その叫び声の場所を目で追った。


 悲鳴は一人だけではなく、数人に増えていった。その悲鳴が起きた場所は、一階の客席だった。その客席の隣にある通路に、茶毛をした何かが四足で立っているのだ。強靭な牙をのぞかせ、立派な鬣を纏った一匹の獅子だった。この獅子を見た観客たちが悲鳴をあげたのだ。


 ライオンはその場で雄たけびを上げると、凄まじい跳躍力でステージに降り立った。道化師へと近づき、服従のあかしとして頭を下げていた。


 猛獣使いである道化師のパートナーであることが判明すると、解除のざわつきは取り除かれていった。しかし、それは束の間で、また別の場所で驚いた様子の声が聞こえたのだ。


 今度は二階の通路にシマウマが出現したのだ。そして、ライオンと同じくその場からジャンプし、道化師の元へと駆けつけた。


 それがこのあと何度も起こったのだ。一階から四階まで猛獣が現れる場所は様々だった。熊にゴリラ、しまいには象やキリンといった大型動物まで姿を現したのだ。けれど、どれも一回り、二回りと本来のサイズより小さくなっているように見受けられた。


 猛獣はアリスたちの近くにも現れていた。二人の目と鼻先にいたのは、黄色と黒のストライプを体に模様した、肉食獣の虎だった。


 周りの観客は見世物の一つとわかっていても、叫び声をあげすにはいられなかった。ゲットも口が開けっ放しになっており、虎に目を奪われていた。アリスだけが動揺することなく虎と見つめあっていた。この虎もまた、すぐさま道化師元へと移動していった。


 数十匹の獣たちが道化師のもとに集まり、小さな動物園状態になっていた。恐怖を感じさせられた観客たちだったが、いったん落ち着くと、猛獣たちに熱い声援を送った。


 この道化師 ゲラップと猛獣たちは、紫炎の踊り子の次に人気のある実力パフォーマだった。


「アリスさん、驚きましたね。あんな風に猛獣たちが登場するなんて。猛獣使いのショーは、毎回内容が違うから、何度見ても興奮してしまいます」


 ゲットは子供のように燥いでおり、捜査のことを忘れている節があった。そう感じたアリスだったが、あれほどの現象を目の当たりにして冷静でいられるほどがおかしいかと、彼を責めるのをやめた。


「魔法の扱いが見事だね。会場の端から端まで魔力を届かせる技術、相当の手練れだ」


「猛獣使い ゲラップ。彼のファンも多いんですよ。猛獣たちのサイズを変幻自在に変えてしまうミニマムの魔薬の使い手です。芸も豊富で、団員一の努力家らしいですよ」


 種明かしをするならば、テレポートしたかのように感じられた猛獣たちは、体を小さくされていて、すでに定位置にいたのだろう。道化師が魔法を解除すると元の姿に戻り、観客の目の前に登場した。と、アリスは考えていた。


 ステージに再び注目すると、道化師は一匹の猛獣に手をかざした。その先にいるのは、いともたやすく人を殺めることのできる牙を伸ばした象だ。見せ物用に武装しており、草食動物というよりは肉食的なワイルドさがあった。象というよりはマンモスの見た目に近いのかもしれない。


 猛獣使いが象に向かって指を鳴らすと、象の体に異変が起きた。みるみる体が巨大になっていった。観客席に入るように小さくなっていた体が、3m近い元の巨体に戻った。象の肥大化はこれだけにはとどまらず、2階席、3階席まで届くほどになっていった。


 まさにマンモスのような力強い姿になった象の背中に、次々と他の獣たちが乗りかかった。道化師ゲラップも一緒に背中に上り、あっというまに象に全ての動物が乗っていた。


 象はけたたましく鳴くと、ステージをゆっくりと歩き回った。下から見れば巨獣の貫禄が楽しめ、上の階からは絵にかいたような獣たちのパレードを見ることができた。背中に乗ってる猛獣たちはみな楽しそうにしており、観客たちはつられて笑顔を見せた。


 三階からは丁度、背中の獣たちがすべて見え、ゲットは先ほどよりも興奮していた。象がステージを回り、アリスたちのいるエリアに近づくと必然的に猛獣使いたちも近づいてくる。手が届きそうなほど近いその非日常的光景に、アリスは拍手を送った。


「これでNo.2とは信じがたいね」


 クライマックスかのような盛り上がりを見せるホールをみて、アリスは感心してばかりだった。捜査とはいえ、このショーを無料で見ているのが申し訳なくなっていた。


「ゲラップさんは初期からいるメンバーですからね。苦労人みたいで、努力の末に今の技術を身につけたらしいです。ベテランといった感じですね」


 このあとも猛獣たちのショーは続き、息もつかぬほどの目まぐるしい速度で伸縮し、会場を熱狂の渦で包んでいった。


 ゲラップたちのプログラムが終わり、そのあとに数人パーフォーマンスが続いた。そして、いよいよ最後のパーフォーマンスに差し掛かっていた。


 再び明かりが消えた会場は、開演前よりも静かにじっとその時を待っていた。彼女の前では、他のショーはただの前座に過ぎない、と評価する者もいる。誰もがそう感じているとは考えにくいが、観客の大半が彼女目的で見に来ていることに間違いはなかった。


 ステージには灰色がかった四つの壺が置かれていた。壺を点として線を引くと、四角形ができる配置だった。一人の大男がすっぽり収まるほどの大きさだった。何度も通っている人間からしたら、お馴染みの道具だ。


 スポットライトが中央に当たり、ゆっくりと一人の女性が歩いてきた。金色のブレスレットや首をつけ、華やかな踊り子の衣装を着た女だ。


「あっという間にショーも最後のパーフォーマンスとなりました。私、ヴィトゥ・フォーティアが全力で皆様をおもてなしたいと思います」


 観客たちは彼女が出てきただけで高揚しており、盛大な拍手で彼女の芸を向かい入れた。


 ヴィトゥがその場でお辞儀をすると、パッとライトが消えた。薄暗くなり、ヴィトゥの姿はかすかに確認できた。


 拍手が鳴りやみ、数秒場が静まり返った。


 観客全員が、息を殺しステージをじっと眺めていた。すると突然、壺一つから轟音が鳴った。会場の全体に響き渡り、これが彼女のショーが始まる合図となった。


 音のなった壺に注目している、中から何かが物凄い勢いで外に飛び出した。それは、怪しいほどに美しい紫炎の渦だった。その炎の渦は生き物のように蠢き、ヴィトゥへと近づいていった。


 一目で魅了されるその紫炎の登場に、他のエンタメとは比べものにならないほど、会場は沸いた。今日で一番の熱気だった。


 紫の渦は他の壺から同じように飛び出し、四本の紫焔が彼女に寄り添っていた。命がないことはここにいる全員が知っているが、その炎は生きているとしか言いようがないほど、躍動感があった。


 彼女が右腕を横に広げると二つの炎が、右ステージぎりぎりまで広がった。そして彼女が手をしなやかにくねると、意識がつながっているかのように同じ動きをした。今度は左腕を上空に掲げた。すると、別の紫炎が彼女の手の動きに合わせて上昇した。まるで天高く舞い上がる龍のように、紫炎たちは舞い上がった。


 炎を移動し終えると、会場中にタンゴのような軽快なダンスミュージックが流れ始めた。この音楽に合わせ、ヴィトゥは自由に踊り始めた。全身を使ったダンスも見事ながら、一番の注目はやはり炎の動きだろう。彼女の動きに合わせ、ステージを駆け巡った。


 その芸術ともいえるパフォーマンスに、歓声を上げるのを忘れる人も少なくはなかった。


「なるほど」


 アリスは目を細めて、じっくり観察していた。彼女の細かな動き、そして炎との連動。ステージに広がる光景全てを目に焼き付けた。


「やっぱり素晴らしいです。見事としか言いようがありません」


 ゲットは紫の焔に魅了されっぱなしだった。目がとろけており、釘付けになっていた。


「紫の炎だけでこれほど客を集められるのかと、疑問だったが、これなら納得だね」


 アリスは彼女のダンスが、このショーの中で一番普通なパフォーマンスだと見る前は感じていた。ファイアーダンスは昔からあるジャンルであり、今更物珍しいものではないと思っていた。

 けれど、実際にその目で見てその考えを改めた。彼女は360度見渡せるステージをうまく使い、そして炎を自分の手足のように使うことで、ステージ全体で踊ることが可能になっている。その姿は、たった一人の女性とは思えぬほどダイナミックに観客には映っているだろう。


 そして、やはり一番の魅力は紫ということだろう。ライターで簡単に火をみることができるぶん、人々の中に火の色は赤や橙色と定着している。そんな炎の常識にとらわれない、優雅で巨大な紫炎をみることで非日常感を存分に味わえ、魅了される人が続出しているのだろう。 


 長々と自分の考えを述べたアリスだったが、肝心のゲットはほとんど聞いている様子がなかった。


「これは、魔薬の中毒になっているのは観客ということかな」 


 半ば呆れながら呟き、パープル・ダンサーの踊りに再び見入った。そこでヴィトゥの表情に注目した。遠目ではっきりとは見えないが、ぼんやりとは確認することができた。


 彼女はプロとして自分のダンスに集中していた。しかし、常に天使のような微笑みを崩さなかった。表情も芸の一つということか。それとも、彼女自身も空中を飛び回る面妖な渦に魅了されている一人、ということなのだろうか。

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