芸術の灯火 ファイアー・ランプ 2
初冬にはいり気温はぐっと下がり、外に出ると吐息の形がはっきりとわかるほど冷え込んでいた。これにより木々が葉を散らしていて、自然に囲まれていた町並みはなんとも味気ないものになっていた。
特に平和の公園と呼ばれるこの場所では、その被害が凄まじかった。平和ということで、誰でも気軽に訪れるコンセプトで設計されており、数キロもある広大な土地のいたるところに植物が生命を宿していた。
その種類は豊富で、花壇などの花々は百種を超えているといわれている。そのため、緑が広がる空気の澄んだ公園なのだが、冬になると多くの植物が葉を落としてしまう。聳え立つ高木はどれも枝しか携えておらず、貧相に見えて仕方がなかった。
冬の強烈な冷寒のせいもあいまって、この時期はうんと入園者が減っている。日中の現在に至っては、公園で散歩をしている寒さ知らずの老人が数名いるぐらいだった。
しかし、そんな公園の中に、一人だけ若者が訪れていた。若いと言っても老人に比べたらで、実年齢は二十代後半ぐらいだろうか。
若者が今いる場所は、公園の端の方にある小さな広場だった。地面は煉瓦で作られており、クリーム色の円型をしている。数個ベンチが設置されており、その一つに若者は座っていた。周りには枯れ切った大樹と、鯉の住み着く小さな池ぐらいしかない、いっそう静かなエリアだった。
若者はクリーニング仕立てのような汚れ一つないロングコートを羽織っており、全身はそれに合わせた黒スーツを着ていた。鞄などは特に持っていなく、一人でポツンとベンチで休んでいた。
黒髪が肩まで伸びるほど長く、雪のような肌をしていた。唇はほんのり赤く、妙に乾いた眼をしていた。中世的な顔だちで女性に間違いそうだが、れっきとした男性である。立てば高身長で、ほどよく筋肉もついているようだった。
彼はコートから煙草を取り出し、一本口で咥える。ライターで細長い煙草の先を燃やし、吸い込んだ。彼が煙を吐くと、はっきりと型どられた白の靄が、空中へと舞っていった。
ベンチの近くに一つだけスタンド灰皿があるこの広場は、この公園の唯一の喫煙所だった。それもあって、彼はこの場所を好んでいた。
どこを見るでもなく一服していると、彼の後ろから微かに人の気配がした。それを感じ取った彼は、細眉を軽く釣り上げた。
「あの、もしかしてアリス・ローゼさんではないですか?」
冬の寒さのせいか緊張のせいか、後ろから聞こえてくるその声はとても震えていた。質問を投げかけたその人物は、恐る恐る中性的な若者の前にやってきた。体も震えていたその子は、紺色のスーツをきた男だった。年齢は二十歳になったばかりに見え、若さと大人っぽさが混合した青年だ。短髪で眉が太く、震えてはいるが明るそうな印象だ。
「ええ。君は?」
アリス・ローゼは見た目通りの女性的な綺麗な声質だった。姿を見せたその青年に、優しく言葉を投げかけた。
「僕はキンド王国 カリロス都市警察 違法魔薬取締係 第五班所属のゲット・コーネリアです」
長々と所属の説明をしたゲットは、律儀にその場で敬礼をしていた。しかし、まだ体は震えており、喋っているときにいつ噛むか心配になった。
「そう、君が今日入るっていっていた新人さんか。同じ班のアリス・ローゼです。よろしくね」
アリスは吸い途中だった煙草を捨て、緊張しているゲットにほほ笑んだ。まだ煙草は半分以上残っていたが、後輩とはいえ礼儀をわきまえたのだろう。
「そうです。右も左も分からない新人ですが、ご指導をよろしくお願いします。それと、ローゼさんと一緒の職場になれて光栄に思っています」
「そんなに肩の力入れなくて大丈夫だよ。アリスと呼んでもらって構わないし、私もゲットくんと呼ばせてもらうよ。これから仕事仲間になるわけだし、フレンドリーにいかないかい?」
「そうですか……。では、アリスさん。これからよろしくお願いします」
ゲットは深々と頭を下げた。まだ肩に力は流れているようだった。それでもいくぶんか、さっきよりは自然体になっていた。最初はアリスに恐怖心を抱いていたのか顔がひきつっていたが、優しく声をかけられてからは表情が柔らかくなっている。
「よろしくね。そういえば、私のことは前から知っていたのかい?」
「もちろんです。いくたの難事件を解決してきた、名捜査官アリス・ローゼといったからこの組織で知らない人はいないですよ」
黒目を広げながらゲットは熱く語った。熱量が凄く、この時だけ寒さを忘れているようだった。
「そんな大したものじゃないよ。面倒な事件ばっかり担当して、たまたまそれを解決できているだけだよ」
彼らが所属している第五班は、よく言えば最後の砦、悪く言えば迷宮事件担当班と陰で呼ばれている。他の班が捜査に行き詰まり、面倒になったものを押し付けられるのが、第五班の日常。そんな難事件を、アリス・ローゼと呼ばれるこの男は、何度も解決していった。それもあり、最近では積極的に迷宮入りしそうな事件を担当されるようになっていた。
「それが凄いんですよ。僕はアリスさんと一緒に捜査がしたくて、この班を希望したんです」
喋るごとに口角があがり、ゲットの瞳はダイヤモンドのように輝きっぱなしだった。相当アリスのことは尊敬しているのだろう。
「なるほどね。この班に新人が来るなんて珍しいと思ったんだ。でも、ちょうど人手が足りないと感じていたんだ。捜査のサポート、頼むよ」
「僕の力でよければ、ぜひ。そうだ、さっそく捜査の命令が上から届いたんです。この人たち、ご存知ですか?」
ゲットはポケットから小さなチラシを取り出し、アリスに渡した。そのチラシには「アモーレサーカス団」とでかでかと書かれており、ショーの写真がいくつか細切れに貼られていた。猛獣使いにジャグラー、真ん中の写真には綺麗な踊り子が映っていた。
「これこそ、知らない人はいないほど有名じゃないか。経済が沈んでいた時に突如現れ、街に活気を取り戻した、この都市一番のサーカス団。違ったかな?」
「そうです。じゃあ、この女性も知っていますか?」
ゲットが指を指したのは、中央に載っている踊り子の女性だった。チラシの半分を占めているので、サーカスのトップスターといった存在だろうか。
「パープル・ダンサー。紫に燃える炎と一緒に踊るサーカスの目玉。見たことはなかったけれど、名前ぐらいは知っているよ」
写真にもちらっと紫色の炎が映っていた。明確に撮られていないのは、足を運んでその目で確かめろ、といった商売方法だろう。アリスも写真を見て、より彼女に対して興味を抱いた。
「彼女が今回の容疑者です。ヴィトゥ・フォーティア、25歳。アモーレサーカス団のNo.1。そして、違法麻薬を摂取している疑いがあります」
熱弁していたころとは違い、ゲットの表情は曇っていた。
「ついにか。私も前々から彼女には不信感を抱いていたんだ」
「アリスさんもですか……」
「君はそうは思わないのかい?」
「はい。彼女は色鮮やかな炎を使い、多くの国民を楽しませてきたんです。しかし、上が言うにはその炎こそが違法魔薬を使い生み出された魔法、だというんです。
確かに彼女の炎は美しいですが、生み出せる量としては規定内です。とても体に害をなすほどの魔薬を使用しているとは思えないんです」
この世には魔薬と呼ばれる道具が存在する。それを体内に入れたものは、種類に応じて物の形を変えたり、炎だって生み出すことができる。いわゆる、魔法と呼ばれる頂上的現象だ。
魔薬の製造が安定した近代では、魔薬は生活の一部だ。魔薬によっては、どこへだって一瞬で移動することだって可能だし、自分よりも大きなものを触れずに持ち上げることだって可能だ。
その中で、あまりにも強大な魔法を操ることのできる魔薬は、違法とされており厳しく管理されている。理由は様々だが、一番は身体への負担だ。中毒性もあり、身を亡ぼす危険性があるのだ。
「確かに、炎を作り出し操るだけなら、市販のもので充分だろうね。そもそも、文明の力で炎を作りだせる時代で、炎の魔薬を使うものは少ないけれど」
アリスは丁寧に説明しながら、ライターの火を一瞬だけつけた。小さなオレンジ色の炎が、刹那の時間で生まれて消えた。
「ただ、一般的な炎のイメージの赤やオレンジ色ではなく、紫の色をした炎を作り出せる魔薬の話は……私の耳には届いていないね」
「紫の炎を生み出すには、身体に影響を及ぼすほどの強力な魔薬が必要ということですか?」
「それは、調べてみないとね」
「わかりました。なら、この目で確かめます」
まだゲットは納得していないようだった。けれど、真実を知るために捜査をする、という捜査官の顔つきにはなっていた。
「しかし、調べるにしても、実際にその魔法を見てみないとね」
アリスは軽くため息をついた。相手は今を時めくトップスターだ。長期戦になることを今の段階では予想していた。彼女が魔薬を所持していようと、していまいと。
「それなら、夜のショーのチケットを班長が二枚、手配してくれました」
「班長が? しかも夜って、今日のかい?」
「そうです。お忙しいですか?」
「いや、大丈夫だよ。捜査は早い方がいいからね」
こんなにも早くターゲットと会えるとは思ってもみなかったようだが、すぐさまアリスは真実を探るものの面構えになった。
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