【短編版】違法魔薬取締班 アリス・ローゼ

高見南純平

芸術の灯火 ファイアー・ランプ 1

 道化師の生気を感じられない手の平で、ミニチュアサイズの獣たちが心地よさそうに眠っていた。

 キリンに象、それに肉食のライオンまで。多種多様な獣たちが、極めて小さな形になっており今もなお息をしている。


 道化師は黒ずくめのマントに白を基調とした仮面をかぶっており、いかにも、といった格好だった。

 しかし、その怪しさとは裏腹に、手に乗った獣たちを丁寧にある場所へと運んでいった。


 彼が小動物を連れて訪れた場所は、地下にある薄暗く不気味な部屋だった。

 広さはそれなりにあり、あちこちに大中小さまざまな大きさをした檻が置いてあった。だいぶ黒ずんでおり、一目で年季の入った代物だということが分かる。


 道化師はその中の、自分の二倍以上もある巨大な檻の前に立った。扉の鍵を片手で器用に開けると、一匹の獣を掴み、そしてそれを檻の中央に置いてきた。

 二つの指で摘まめるほど小さなその生物が入るには、あまりにもこの檻は巨大だ。それに柵と柵の間が広すぎて、閉じ込めるためのはずなのに、獣が簡単に逃げ出せるように思えた。


 獣を場違いな檻にいれた道化師は、マントの内側へとするりと手を伸ばし、片手で掴めるほどの小さなケースを取り出した。

 水色と白のデザインをしたそのケースには「ミニマム」という文字があしらわれていた。ケースの端には小さな蓋がついており、彼は親指でそれを軽く開けた。すると豆粒程度のものが通過できるであろう穴があらわれた。


 蓋の開いたケースを、自らの口元へと近づけると、その場で軽く縦に振った。すると、所せまい空洞から、雫のような淡い水色の粒が出てきた。

 それは吸い込まれるように、道化師の口に入り込み、そしてつばと一緒に道化師は飲み込んだ。


 すぐさまケースの蓋を締め、もとあったポケットへしまうと、ケースを持っていた手のひらを、獣の入った檻へと向ける。動作は多かったが、道化師は慣れていたのか全く手元を見ず、いとも簡単にここまでやってのけた。


 そして、男は手の先へと全神経を集中させ、心の中で強く念じた。すると、小柄だった獣の姿がみるみる成長していった。成長というよりは、そのままの姿で拡大されていくような光景といった方が正しいのかもしれない。


 極小だったはずのその獣は、人を襲うことも少なくはない、巨大な熊だったのだ。ここでようやく、意味を全くなしていなかった檻が本来の仕事を取り戻した。


 道化師は今しがた行ったように、手に乗せてあった動物たちを次々と檻へと戻し、もとの姿に戻していった。

 自分の意志とは関係なく体が変貌していくのにもかかわらず、どの動物たちも暴れることはなく、眠ったままのものが多かった。それだけ、道化師を信頼しているということの表れだろうか。


 いつの間にか、物がほとんどなく空しかった地下室が、色鮮やかな猛獣たちであふれかえっていた。


「今日もごくろうさま。ゆっくり休みな」


 道化師は全ての獣に向けてそういうと、唯一の家具である木造の椅子に腰を掛けた。道化師の方も相当疲弊しているように感じられた。


 道化師がつかの間の静寂を楽しんでいると、部屋のドアがゆっくりと開き始めた。扉の向こうの人物は、中の猛獣たちを気にしてか、音を立てまいと徐々に扉を開いていった。


「今、大丈夫?」


 扉から顔をひょっこりと出したのは、茶髪でショートカットの潤かな印象の女性だった。どこか不安げな表情をしており、まだ頭だけしか部屋に入っていなかった。


「ああ。どうした、ヴィトゥ」


 道化師の許可を得たヴィトゥは、申し訳なさそうに徐々に入室していった。全身が見えると、彼女も道化師のような派手な姿をしているのが分かった。


 うっとりとした顔つきから想像しにくいほどの派手な服を着ていた。露出が多めで、橙色を主軸とした煌びやかなダンスドレスだった。彼女の肌は透き通ったように白く、腕や足、そしてだいたんにもお臍などの女性的な体が、ドレスの間から見え隠れしていた。


「今日、ショーで少し失敗しちゃったじゃない? それでゲラップや動物たちに怪我をさせてなかったか心配で......」


 彼女はゲラップと呼んだ男と目を合わせず、ずっと下を向いたままか細い声で喋った。


「そんなことか。誰も負傷してないから気にするなよ。それに、サーカスなんて危険な仕事してるんだから、もしそうなったら自己責任だろ」


 冷たい見た目の道化師だが、心地いいぐらいに温かい声で、彼女を慰めた。その効果あってか、ゲラップの言葉を聞いたヴィトゥは、徐々に穏やかな表情になっていった。


「いつもありがとね」


 彼女は軽く会釈をした。二人は親しげに見えたが、彼女は礼儀を常に忘れていないようだった。


「こっちのほうがいつも助けられてるよ。大スターさん」


「その言い方はよして」


 ヴィトゥは、はにかみながら道化師のいた部屋を後にした。出ていくときも音をたてぬように、ゆっくりと扉を閉めていった。


 部屋を出たヴィトゥの前には廊下が真っすぐ続いており、ゲラップの部屋の扉近くに、もう一つ別の扉が取り付けられていた。こちらの扉は頑丈な鉄製で、開けやすくできている木造のゲラップの部屋とは明らかに雰囲気が違った。


 ヴィトゥは力強くドアを開けると、躊躇なく部屋に入っていった。おそらく、彼女の自室なのだろう。

 中もまた先ほどの部屋とは異なり、一面鈍色の鉄で覆われており、不気味というよりは息苦しい感じだった。入っただけで閉じ込められた気分になるだろう。


 ヴィトゥは何もないその部屋で、必要以上に深呼吸をした。ゲラップの部屋で見せた女性らしい表情とは違い、目つきが鋭くなり真剣な面持ちだった。

 彼女も慣れた手つきで、ドレスから小さなケースを取り出した。こちらは「ファラム」と書かれており、色は紫色だった。


 ゲラップと同じように、小さな粒をケースから出し口に含ませた。そして、飲み込むのではなく、歯で「ガリッ」と音がなるほど強く噛み砕いた。


「次は完璧に……」


 彼女は色白の両腕を前に掲げた。そうすると、目の前に小さな光の球があらわれた。すぐにその光は色を変えていき、赤、青、そして最後には紫色になっていった。それにあわせて、球は形も変えていった。

 みるみる膨らんでいき、球の形ではなくなった。その形状は常にとどまっておらず、空中で生き物のように蠢いていた。これはまさに炎だ。

 ヴィトゥの前に突如出現したのは、妖艶に輝く紫炎だったのだ。

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