第肆話 その過去、苦しみにつき。
朝から張り込みを続け、昼少し前になった頃。
男はラフで清潔感のある格好で家の外に出てきた。
「出てきましたね。」
「そうじゃの。そろそろ証拠を押さえたいのじゃが……」
歩矢は朝から晩までの張り込みの生活を続けて1週間になる。そろそろ疲れもピークに達しつつある頃だ。
歩矢の体力的にもそろそろ終わらせたい所なのだろう。
「今日で1週間じゃからの。もし今日明日で何もなければ浮気はしておらんのかもしれんの。浮気相手と長期間会わずにいるなど考えられん。でないと自然消滅なんてことになるじゃろうからの。」
「確かにそうですね。浮気ってだけで後ろめたさがあるはずなのにほとんど会いもしなかったら……それに、いつもの浮気の調査の依頼だとそろそろ何かあっても良い頃ですもんね。」
「そうじゃよ。おっと、歩いて行くようじゃぞ。見つからんようにな。」
男の跡をついていくと5分ほどで最寄りの価値が最大と謳うスーパーに辿り着く。
「スーパーですね。ただの買い物だったんですかね?」
「どうじゃろな。浮気相手に何か買っていくのかもしれんぞ?」
様子を見守っているとスイーツのコーナーに行き、苺とチョコのケーキを1つずつ購入していた。
「和州、一応写真を撮っておくのじゃ。証拠になるやもしれん。」
歩矢に言われ陰に隠れてシャッターを切る。
男はスーパーを出て家がある方とは別な方向へと向かって行く。
そこから歩くこと10分。2階建てのマンションの前に辿り着いた。
そこは駅が近く、近隣に店が多くあり建物の外見も内装も綺麗なため、それなりに家賃が高い場所だ。
「ケーキを買って家に帰らんとは、浮気してそうじゃのう。」
「あ、入っていきますよ。写真、撮りますね。」
男は階段を上っていき慣れた様子で歩矢たちが居る方に面した1室の扉を開け中に入っていった。
「これだと中の様子が見えませんね。」
そう、マンションが故に致命的な問題があった。中の様子が見えないのだ。
民家ならベランダからでも覗けるのだがマンションではそうはいかない。
「そうじゃの。じゃが、大丈夫じゃろう。何故か分かるかの?」
「えっと、2人で外に出てくるから?」
「どうして出てくるのじゃ?」
和州は直ぐに思い浮かばず思案する。
「疲れるから?」
「言葉足りない感じはするが半分は正解じゃ。いくら浮気相手とはいえ何時間も家にいたのでは退屈になってしまう。じゃから気が疲れて気分転換にでも外出する、ということじゃな。」
歩矢は和州の答えに頷きながら補足を入れる。
「もう半分は?」
「今は丁度、昼時じゃ。恐らくはここで昼食を食べるつもりじゃろう。じゃとすると夕方にはここを出て夕食は外食で済ませる可能性が高いのじゃよ。自宅でない場所で2食連続で手作りなど普通はせんからの。」
言われてみればそういう感じもするなと和州が感心していると、歩矢は手に持った先ほどのスーパーのレジ袋を掲げる。
「今のうちに儂らも昼食を摂っておくぞ。」
手に持ったレジ袋から買ったばかりの菓子パンを取り出しありついた。
そのまま張り込みが続けられ、辺りは仄暗くなってきていた。
そして状況は動き出す。
それはたった1日だけでも尋常でない疲労が蓄積し背伸びをしていたときのことだった。前触れなく扉が開き男が入っていった部屋から2人の人が出てきた。
勿論のこと、その内の1人は歩矢たちが追っていた男だ。もう1人の方は20代も後半に差し掛かったかと思われる女性だ。
これもすかさずフィルムに収める。
「証拠写真も撮れましたね。これで依頼は完了ですかね?」
「限りなく黒に近いじゃろうが、もっと決定的なものが欲しいの。並ぶだけでは仕事仲間だと言われれば終いじゃ。ここで腕を組みでもしておれば依頼完了じゃったが。」
「それじゃあ、跡をつけますか?」
「儂はそうする。お主は今あ奴らが出てきた部屋にでも入って証拠になりそうなものでも探しだし、儂にスマホで部屋の写真を送るのじゃ。あ奴らが浮気をしておる確信を持ちたい。鍵をかけた所を見ると誰もおらんはずじゃ。以前、ピッキングのやり方は教えたはずじゃな?」
歩矢は和州が泥棒の技術を持ち合わせてるとは知らず、ピッキングのような普通は出来ないであろう技術を教えたりもしていたのだ。
その時の和州は探偵にこんな技術は必要なのかと疑問に思ったのだが余計なことは言わないでおいた。
「出来るとは思いますけど、不法侵入にはならないんですか?」
「儂は警察にコネを持っておる。何かあっても助けてやる。安心せい。」
歩矢はさらっととんでもないことを言い、和州からカメラを受け取る。そのまま和州に背を向け、またもや2人の跡をつけていった。
「歩矢さんって結構大物だよな……」
歩矢を見送った和州は今しがた2人が出てきたばかりの部屋へ向かって行く。
部屋の前に辿り着いた和州はピッキングをこなし、難なく侵入に成功する。この程度のことは和州にとって朝飯前だ。
玄関を通っていくと直ぐにそこそこの広さを誇るリビングが見えてくる。
その内装はファンシーさの中にも大人らしさが垣間見えるもので、大人の女性らしさが満載だった。男が生活するなら絶対にやらない部屋で、相手の女が独身であることを思わせる。
「これは……浮気で確定かな。」
スマホで部屋の写真を撮りながらオーソドックスに洗面台に行くと、歯ブラシが2本置いてあった。それもカメラに収めていく。
「うわ……これは結構持ってるな。」
リビングの隣に設置された部屋へと足を向けると思わず声が漏れてしまった。
キングサイズのベッドとクローゼット,それと小物類が収納された棚がある部屋で、リビングと同様に中々の広さがあった。
「ん?こんなものまで……」
何かないかと探し回っていると、引き出しの中に超高級なブランド物の時計がいくつか並んでるのが見つかった。
ブランド名の後に漢字2文字を付け加えると某タレントの芸名になる、超が付くほどの高級ブランドだ。新品で時計を買おうと思えば最低でも10万は軽く超えるブランドのものだ。
20代の独身女性がこの広さの部屋に住み、この時計を複数持てるとは到底思えない。恐らくは、男に貢がせているのだろう。件の男の財力を見る限りは複数の相手の可能性すらある。
「あの男以外は依頼とは関係のないものだからな。僕たちには関係ない。」
最後に、と撮った写真を歩矢に送信しようとしたが手が止まる。
このブランドものの時計を換金すればお金になるのではないか、とふと魔が差してしまった。
それは和州が普段からしている万引きにスリルを感じず、飽きがきていたことを考えれば必然だったのかもしれない。
「今なら盗んでしまってもバレないんじゃないか?」
普段使いするなら直ぐに取れる場所に置くのが一般的で、引き出しの中に入れることはまずない。つまりこの時計は使われていないということだ。
だとすればなくなったとしても直ぐには気づかれないし、失くなったことすら分からない可能性だって多分にある。
「それに、せっかく父さんと母さんに教えて貰った盗みを腐らせておくなんてもったいないよな。」
自己正当化し、似たようなものが並ぶ中から1つだけ頂戴することにした。
鍵をかけ直しマンションを出ると、記憶を頼りに近くにある質屋へと向かい早速換金した。
ものを持っていてバレてしまったらシャレにならない。だから直ぐに換金して手放すのが吉だと判断したのだ。
お金を財布にしまい、質屋を出た和州は久々の高揚感を感じていた。
それは初めて万引きをした時ほどの、いや、あるいはそれ以上のものが体を沸き上がらせ胸の高鳴りが止まらなかった。何せ盗んだものの額が違う。
深呼吸をして心を落ち着かせ、歩矢に調査が完了した宗の報せを撮った部屋の写真付きで送ると返信は直ぐにきた。
―良うやった。これで仲の良い仕事仲間、という線は完全に消えたのう。浮気をしていることはこれで確実じゃ。未だに証拠が撮れず不安に思っておった所じゃったから助かるわい。あとは儂の方で証拠を撮るだけじゃ。流石にこの写真は証拠としては使えんからの。鍵はちゃんと閉めて出てくるのじゃぞ?―
そこには歩矢が現在いるであろう場所の地図も一緒に添付されていた。地図によれば、歩矢の現在地は大人っぽさのあるレストランのようだった。
―そんな不始末なんてしませんよ。―
こうして、和州が到着した時にはキスシーンの写真を撮っていた歩矢と合流し、依頼は無事解決と相成ったのだった。
その日の夜、和州は寝る前にベットで寝転んでいた。
脳裏に浮かんでくるのは夕方に臨時の収入があった時のことだ。
「久々にスリルを感じたな。」
和州は高揚感が未だに忘れられずにいた。
和州は、一度経験してしまうと後には戻れない、そんな蠱惑的な魅力に憑りつかれてしまっていた。
そうしてご存じの通り、依頼主の家にあるものに目を付ければ予め経路を確認し、隙を見て価値あるものを頂く、そんな生活を続けることになった。
そして、時は現在に戻る。
「だからやったんだよ、歩矢さん。何もその指輪だけが特別だったんじゃない。これが僕の日常の一部だったんだ。」
話を聞く歩矢は唖然とし、苦虫を噛み潰したような顔になるが、和州は構わず続ける。
「僕にとっては毎日を楽しむための娯楽で、父さんと母さんを殺したあんたに反抗するためだったんだよ。あんたには否定する権利なんてないだろ。」
全てを吐き出し、言うつもりもなかったことまでぶちまけてしまう。
パチィンと甲高い音が響き、和州の頬を衝撃が襲う。
「え、な……」
和州は何が起こったのか理解できず混乱する。歩矢の顔を見ると鬼のような形相で和州を見ていた。
遅れてヒリヒリと痛みが走り、和州はビンタをされたのだと理解する。
「なんて、なんてことを言うんじゃ、和州。儂はそんな……。何を勝手なことを言っておる。冗談でも儂が人を手にかけたなど言うでない。ましてやお主の両親をなどと……。それでお主と10年もいれる程無神経でないわっ。そ、それに……」
歩矢の震える声が怒鳴り声へと変化する。
和州も歩矢の怒りに触発され話しながら沸々と湧いてきた怒りが爆発する。
「何ふざけたことぬかしてんだ。あんたが父さんと母さんを殺したんじゃなかったら誰が殺ったって言うんだよ。確か初めてこの家に来た時、あんたはこう言ったよな?『両親は不慮の事故に遭ってしまった。』ってな。だけどそれは嘘だって分かってんだ。父さんと母さんは事故で死んだんじゃない。殺されたんだよ。それなのに嘘を吐く理由なんてあんたが殺したからに決まってんだろっ。」
ずっと抑え込んでいた腹の奥底に眠ってた黒い靄が噴き出し、それはもう誰にも止められない。10年間抱えてきた闇は大きいのだ。
「な、何故お主があ奴らが殺されたことを知って……。」
歩矢はまさか和州が知っているとは思っていなかった。
それを聞いた和州は、あくまで両親が言う通りならばという可能性だったことが事実だと裏付けされ、両親に関する初めての情報に頬が上がる。
和州が両親に伝えられたのは殺されたということだけだ。故に、和州もまた歩矢が犯人であることの確信が持てず、歩矢と真っ向勝負が出来ずにいた部分もある。
だが、今の歩矢の言葉で事故だと言っていたのが偽っていたことが判明し、
確信に至った。
「これだよ。」
和州は道返玉を両親の形見のロケットペンダントから取り出し歩矢に見せる。
「それは、まさか……。」
「そうだ。この死者の魂を呼び戻す道返玉で父さんと母さんから聞いたんだ。どうせ、これが狙いで近づいてきたんだろ?」
「わ、儂はそんなつもりは……」
「嘘ついてんじゃねえよ。だったら何で父さんと母さんを殺してまでここに来たんだっ。」
声が割れるのも気にせず和州は叫ぶ。
「儂は殺してなど……。それにそんな目的で来たのではない。ただお主のことを」
「そんな御託は良いんだよ。人を殺しておいて言い訳じみたことを言ってんじゃねぇっ」
荒ぶる語気を落ち着け、ゆっくりと最後に言い放つ。
「ずっとあんたのことが嫌いだったんだよ、歩矢さん。」
そのまま駆け出し、飛び出していく。
「ま、待つのじゃ、和州。儂と話をっ。」
歩矢は出て行く和州を捕まえようとするがもう遅い。歩矢が玄関を出た時には濡れるのも構わず夜の住宅街を疾走していく和州の姿があった。
「これは、儂が悪かったのう……」
歩矢が初めて和州と会ったあの日と同じように雨が降る外を眺め、意味もなくぽつりと呟く。
そして一筋の涙が頬を伝い、自分の行いに後悔する。
「傘も差さんで出て行きおって、この馬鹿弟子が。」
歩矢は傘を持って、既に姿が見えなくなってしまった和州を追いかけていった。
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