第弐話 その少女、クラスメイトにつき。

 そして朝が来る。


 窓からは光が差し、ちゅんちゅんと雀の鳴く声が聞こえている。動物たちはとっくに活動を始めている時間だ。


 和州のベッドはもぞもぞと動き始めていた。


 暫く続いたかと思うとピタリと動きが止まり、途端に布団が跳ねあがる。


 「うぅ……危うく2度寝をするところだった」


 和州は朝に弱い訳ではない。だが、流石に遅くまで起きていると朝は辛いのだ。


 これからダメダメな歩矢の分まで朝食を作らないといけないため、寝過ごす訳にはいかない。こういう時ほど歩矢にはしっかりして欲しいと心の底から思う。


 「もう6時か……早く準備しないと学校に遅れる」


 和州は歩矢のサポートをし、裏では泥棒をしているとはいえ、まだ16歳の高校2年生だ。だから当然のことながら月曜日の今日は和州にとって学校に行かなければならない日となる。


 1つ大きく伸びをし、時刻を確認した和州は慌てて準備を始める。


 まずは制服に袖を通していく。


 和州の高校は黒の学ランなのだが、初夏の今は半袖のワイシャツで1日を過ごす。


 ズボンにベルトを締め、着替えが済むと胸ポケットに校章を付ける。


 それが終われば今度は朝食の準備だ。


 朝食はサンドイッチにした。野菜とハムを切ればあとはパンに挟むだけ。


 簡単に作れる上に手軽に済ませられるため重宝している。朝は何かと忙しく時間が無い和州には大助かりだ。


 そうして軽く朝食を済ませると、持っていかなければいけないものはないか確認する。教科書の大部分は学校の引き出しに入っているため、時間はほとんどかからない。


 「よし、っと。あとは……」


 歩矢に声を掛けるだけだとため息を吐く。


 「歩矢さーーん。起きて下さい」

 「うぅん」


 歩矢の自室の前に移動し、声を掛けたが寝返りを打つような音と共に気の抜けた返事があるだけだった。ついでにとばかりにドンドンとドアを叩くが、これといった成果は得られない。


 手元の時計で時間を確認すれば7時を少し過ぎた所。


 和州の学校は8時15分には教室に入らなければならないため、もう家を出なければならない時間だ。


 「僕はもう行きますからね。朝食はテーブルに置いてるんでー」


 これで起きる時は何とか起きるのだが、今日はダメだったようだ。まぁ、これで起きる日の方が少ないのだが。


 「歩矢さん、昨日はワインを飲んでたからな」


 ならばもう仕方ないと諦めてリビングへと戻り、テーブルにラップをかけたサンドイッチを置き、そのまま家を出る。


 学校に着くと昇降口で内履きに履き替え、3階にある2年の教室へと入る。和州は2組のため、階段を上り切った所に見える廊下の突き当りの左右に分かれている所を左に曲がって2番目の教室だ。


 まだ来ていない生徒もいるが、教室に入れたのは8時少し前のため来ている生徒が多く、中は大分賑わっている。


 窓際の後ろから2番目の自分の席に着き、疲れでぼんやりとしている頭を腕を枕にして机に項垂れる。


 目を覚まして眠気は吹き飛ばしたはずなのだが、目の前が暗闇に落ちるとやはり疲れはあるのか微睡んでいく。


 少しすると歩矢が目の前に現れる。どうも怒っているのか不機嫌そうに見える。


 暫くの間そんな様子を眺めていると、歩矢は木の傍の地面を掘り返し、和州が昨日盗んだ指輪を見つけて手にする。


 和州はその光景を見ているだけで何も出来ない。これはマズイという焦りはあるのだがそれに反して体はピクリとも動いてくれずただ茫然と立ったままになってしまう。


 それに気づいた歩矢が力強く地面を踏みしめながらこちらに向かってきて……


 「はっ」


 その光景にドキッとし、体が跳ねあがる。


 「夢か……うん、バレる訳がないよな」


 いつもならあり得ない現象に和州は嫌な予感がして背筋が凍った。


 和州が家を出たのは歩矢が寝静まったと確認してからだ。それに隠す時も気を使ったため、まさかバレる訳がないと思い直す。


 今の時刻を確認すれば8時10分を回った所。


 後5分だけ、と嫌な光景を忘れるためにもうひと眠りでもと頭を腕の中に戻そうとする。


 「おっはよ~、和州。朝から元気ないぞ」


 ビクッとして眠りを阻害した快活さが溢れる声がする方を見ると、予想通り隣の席の彩羽侑いろはね ゆうが立っていた。


 和州と侑は中学1年の頃からの付き合いになる。


 2人は中学1年の時に同じクラスで、出席番号が1個違いのため席が隣同士だった。それをきっかけにして侑が和州に話しかけ2人は仲良くなった。


 2年生のクラス替えではバラバラになったが高校でまた同じクラスになったのだ。


 そんなありきたりの関係性だが、侑の積極的な性格とも相まって関係はずっと続いていて学校なんかではよく話していた。


 侑は友達が多いのだが、その友達等は気を使ってのことなのか和州と話してる時は決まって話しかけに来ることは無い。


 「彩羽か。おはよう。来てたんだな」

 「うん。丁度今ね」


 和州は疲れを隠す素振りもなく力なく挨拶を返す。これが学校での和州の基本スタイルだ。


 「うわっ、凄い隈。夜更かし?」

 「ああ。ちょっとやることがあってな」

 「ふぅ~ん、そうなんだ。それで、バレる訳がないって?」

 「ん?」


 和州は何を言われているのか分からず首を傾げる。


 「今『バレる訳がないよな』って言ってたじゃん」

 「ああ、聞いてたのか。ちょっと、家の人に隠してることがあってな」


 和州は歩矢のことを『家族』ではなく『家の人』と言う。


 歩矢だったらここで和州のことを家族だの弟子だの言うのだろうが和州はそうであることを認めていない。


 家族と呼ぶと温かみのあるものに感じて、弟子になったつもりもなくただ手伝いをしながら探りを入れているだけ。強いて言うならばスパイといったところだ。


 だから和州は絶対に歩矢のことを家族や師匠とは呼ばない。その代わりになるものとして、ただ同じ家に住み込んでいる人ということで『家の人』と称するのだ。


 呼び方に拘りがある歩矢が聞いたら怒りそうなものだが、和州にとっては聞かれなければ問題がある訳でもなく歩矢に対して気を使ってやるつもりなど毛頭無かった。


 「隠し事ですと! それが夜更かしの原因だったりして。ムフフ~、香りがしますな~。このこの~青春を楽しんじゃって~」


 侑は特徴的とも言える茶髪のポニーテールを揺らし、和州のリアクションでも楽しむためか『いけない』を強調して言う。その侑の表情は良い話を聞いたとでも言うようににやつき、少々鼻息が荒くなっていた。正にゴシップ好きを体現したかのような顔と態度だ。


 一方で和州はというと侑の意図とは違うだろうが『いけないこと』というワードに一瞬ドキッとしていた。確かに和州は昨夜、盗みという『いけないこと』をしていたのだから。


 だが、侑がここで言いたい『いけないこと』は恋愛的な意味合いのもののはずだ。何せ昨晩の和州のことは誰も知る由もないのだから。歩矢も侑も、皆。


 「そんな訳ないだろ」


 何を言われているのか理解しきっている和州は、まさか盗みをした事実を告白する訳もなく、冷静さを保ったままだ。


 「まぁ、和州だもんね~。そんな訳ないか」

 「その言い方は酷いんじゃないか?」

 「だって事実じゃん。ボケっとしてるし、だらしなさそうだもんね。和州にそんな甲斐性があるとかあり得ないわ~」


 侑は何が楽しいのかケラケラと笑っている。一体全体今の話の何が面白いのか理解出来かねない。


 和州にとってはその説明だと歩矢のことを言ってるようにしか感じず、苦笑いをするしかない。脳裏にも今朝の歩矢が写っている。


 勿論のこと、和州がだらしなそうに見えるのはただ気を抜いているだけだ。これが本性という訳ではない。


 もしここで見事な洞察力を発揮し推理を成し遂げたとしたら和州が探偵であることが皆にバレてしまうかもしれない。


 和州はそんな事態をなんてしても未然に防ぎたかった。


 だから何かしらのトラブルがあっても手だしはせずに俯瞰するだけ。常日頃からぼんやりとして鍛えられた洞察力を表に出さないようにする。


 万が一にでもそんなことを知られたら、珍しさに家に押しかけられ見物されることだろう。好奇心旺盛な侑は確実に、それ以外のクラスメイトにだって好奇の目に晒され、もしかすると家に来られるかもしれない。


 そうなれば歩矢は喜び和州は弟子だとか言い、昔話をするに決まってる。


 そんなことになれば、和州は羞恥で死にたくなってしまう。誰が同級生に自分のあれこれを知られたいと思うのか。誰が嫌いな人に自分のことを共有しようとするものなのか。


 とにかく和州はそんな事態は何が何でも避けるためにも少しでもきっかけになってしまいそうなものは隠すようにしているのだ。


 侑はそんな会話をしながら、白とカラフルな羽が五角形の中でクロスしたものがワンポイントとして付けられたバッグを机に置き、着席する。


 「でもさでもさ、和州はもっとシャキッとした方が良いと思うぞ! な、華鳴?」


 そう言って和州の後ろの席に当る教室の左角の席に体を向け、いつの間にか登校していた侑の幼馴染である白宮華鳴しろみや はなりと顔を突き合わせる。


 「んー? あたしはお前が元気すぎるだけだと思うけどなー」


 全体的にこじんまりとし、薄いピンク味がかった色に染められた髪は肩の上までしかないショートカットのダウナー女子は気だるげに返す。


 声が発されると同時に華鳴の好物である棒が付いた球体の飴が口の中で転がされ、もごもごと口から突き出している棒が動き回っている。


 元気なさ気で言えば人一倍な少女がそう返答するのは当然だろう、が……


 「えぇ? 絶対元気な方が良いって。華鳴もスマホばっか弄ってないで元気だして話そうよ!」


 侑は持ち前の元気さを発揮して一歩も引かずに話かける。全くもって諦める様子が無い。


 「あたしは遠慮しとく。そんな疲れるだけだろ」

 「そんな酷いよ~」


 スマホを弄るだけでぶっきらぼうな華鳴に対し、侑は大げさに悲しむ仕草を見せ抱き着こうとする。


 「うるさい。あたしは忙しいんだ。」


 華鳴は侑の頭を掴み寄せ付けない。華鳴の侑の扱いも慣れたものだ。これがいつもの2人なのだからそうなるのも当然なのだろうが。


 「むぅ、華鳴のケチ。で、今は何してんの? またプログラミング?」


 華鳴は機械マニアでその道にかなり詳しく、学生にしてプログラムを組むことが出来るのだ。将来を見越して企業と付き合いがあるとかないとか。噂は絶えない。


 黒が基調とされている中にメタリックな赤がアクセントとして入れられ、丸と三角が組み合わされたロゴがシルバーで描かれたヘッドフォンを片耳にだけかけている所を見ると、今スマホを弄っているのはただゲームをしているだけだろう。


 華鳴は特に否定するだけでもなく画面に視線を戻し、侑のことは無視をしてそのままゲームを続ける。


 だが、片耳だけ外している辺り彼女の人の好さが滲み出ている。


 「私は侑ちゃんの言う通りだと思うのですよ?」


 今までは静観していた、侑の右隣の席に座る影井恋奈かげい れなが口を挟む。


 「私の見方は恋奈だけだよ~」

 「うふふ。私はいつでも侑ちゃんの見方をするのですよ」


 恋奈は綺麗な黒髪を持つ少女で大人しく、儚げのある少女だ。


 甘えるように抱き着く侑をよしよしと子供をあやすように撫でていて、恋奈の大人っぽさが滲み出ているように見える。


 だが実のところ、中身はちょっとあれな人だ。


 恋奈は極度の女好きなのだ。つまるところは百合なのだが本人は隠してるつもりらしく、その口からは何も語られたことがない。


 それに関わる話を振ると、突然に何かしらの用事が出来てどこかに行ってしまうこともしばしば。


 そんな今の恋奈の顔には恍惚とした表情を浮かべられ、口からは涎が垂れている。侑に抱き着かれてご満悦といった様子だ。


 これは明らかに学校でやって良い顔ではない。教室中の男子が興奮し始めてるではないか。もし視線が物理的に刺さるものであったのなら2人は今頃惨殺されている。


 何故か侑だけは気づいてないようだが、そんな訳で恋奈が百合であることは周知の事実となっているのだ。


 そんないつも通りの日常を横目に華鳴は鬱陶しそうな表情ではあるが、口元を綻ばせている。


 1人さえ除けば、何ともまあ微笑ましい光景だ。


 そうこうしている内に教室に担任の教師が入ってきてホームルームが始まり、それまでの喧騒が嘘だったかのように静かになるのだった。







 こんな調子で1日が過ぎていき終業の時間となる。


 「じゃあ、また明日ね!」

 「んー。またなー」

 「さよならなのですよ」

 

 和州の「僕はもう帰るよ」という言葉に反応し別れの挨拶を告げる侑,華鳴,恋奈の3人。


 和州はバックを肩にかけると3人に見送られ教室を出る。


 部活をしている訳でもないため真っ直ぐ校門を目指し、そのまま家路に就いた。


 こうして歩いていると帰ったら歩矢が片付けていないであろう部屋を掃除しなければならないことを思い出し、少し憂鬱な気分になる。


 「少しでもまともにやってくれたらもっと楽になるんだけどな……」


 ため息を吐きながらも歩みを進めていくと我が家が見えてくる。


 「ただいま」


 和州は玄関のドアを潜り抜けリビングに入っていく。


 「おかえり、和州」


 リビングのソファにゆったりと座る歩矢は和州を迎え入れる。


 「ん……?」


 これはいつもの光景なのだが、和州はどこか違和感を感じる。


 何だろうかと辺りを見回し確認する。


 別に新しく物が増えていたり配置が変わってたりしている訳ではない。そこにはごみ1つ落ちていないただ綺麗な部屋があるのみだ。


 和州はそこでハッとする。


 「部屋が綺麗………?」


 既に何度目かになると思うが、歩矢は家事全般を和州任せにしている。


 そのため掃除などするはずがない。和州は「少しはやって欲しい」と言っても「面倒くさいのう」「その内の」と適当にあしらわれ、やる気配は全くと言って良い程にない。0と言っても過言ではない。


 なのに、だ。和州が朝に家を出る前と同じように部屋が綺麗なままなのだ。


 「業者にでも頼んだ? でも、なんで今更………」


 歩矢がやるはずもないしと思案する和州。


 「儂がやったんじゃよ。少しはその線で考えんのかの?」

 「何の冗談ですか?」


 まさかまさかと笑いながらあっさりと切り捨てる和州。


 「いや、冗談ではなくな……これは儂が悪いんかのう?」


 歩矢が掃除をしたというのは本気で言っていることに気付き、和州は真顔になる。


 「本気で言ってるんですか?」

 「本気じゃ」

 「あぁ、遂に歩矢さんが掃除を………! 奇跡だ!」

 「そこまで言わんでも良かろうに。でじゃ、和州よ。儂が掃除をしたのには理由があってじゃな」

 「そんなことだろうと思いましたよ。そうじゃない限り歩矢さんが掃除なんてするなんてありえないですもんね。僕になんの用なんです?」


 歩矢がこうまでしてもしたい話とは怖くもあるがこのまま無視を決め込むことも出来ない。ここで逃げてしまってはやましいことがあると自ら白状するようなものだしどうせすぐに捕まる。


 結果として冷静ないつもの和州に戻り歩矢に話を促す。


 「和州と時間を取って話がしたかったんじゃよ。時間がかかりそうじゃったのでな、掃除,洗濯まで終わらせといたのじゃ」

 「歩矢さんが掃除まで!? これこそ」

 「これ、茶化すでない。儂は真剣なのじゃ」


 和州は「これこそ奇跡だ!」と最後まで言う前に、それまでよりも一段と真剣みを帯びた口調で言葉を絶たれる。歩矢の語気に怒りが混じって聞こえたのは和州の気のせいではないだろう。


 和州はずっと忘れていた朝の学校での嫌な予感が頭を巡り、誤魔化そうとしたが歩矢相手では通じない。まぁ、そこは探偵相手だ。和州も期待してはいなかったのだが、現状で出来る精一杯の抵抗が虚しく終わってしまう。


 帰ってくる前に掃除を済まして話しかけられた時点で逃げ道などなかったのだ。


 「それで、僕に話って何なんです?」


 それまでの笑みを消し、歩矢を見る。和州の覚悟はもう決まっている。一体どんな話が待ってるのかと緊張した面持ちで顔を真っ直ぐに正面を捉える。


 「そんなに急くでない。まずは座らんか」


 歩矢にソファを勧められ座る和州。


 重々しい空気で2人の話が始まるのだった。

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