その探偵、泥棒につき。~両親殺しの疑惑がある女探偵に育てられて泥棒になった少年の話~
沢田真
第壱話 その両親、故人につき。
「良いかい?
優男という表現がぴったりで、男にしては低身長なことを除けば特に捉えどころのない父、
「ほれ、お守りだ。大事なものなんだからちゃんと預かっててくれよ? 他の人に盗られたりするんじゃないぞ」
そう言うのは、所々に金が混じった茶髪にツーブロックと刈り上げを入れ、長めの前髪を左目にかけていて父とは逆に長身な母、
前髪をサラッと払いながら勝気な笑みを見せ、和州にあるものを預けた。
それは一見すると青く透き通っただけのガラス製か何かに見える、何の変哲もない球体の石だった。
「そんなことしないよ、母さん。じゃあ、いってらっしゃい!」
「「いってきます!」」
そして両親は和州を家に残し仕事へと向かって行き、それっきり帰って来ることはなかった。
普通とはかけ離れたことの1つ目、それは和州の両親である京谷と響香は2人揃って泥棒を生業としていたことだ。
だから今、京谷が言った「仕事で家を空ける」の意味は「目的のものを盗みに行ってくる」と言い換えが出来るのだ。
オブラートに包まれてはいるがとんでもない話だ。
子供とはいえ和州もそのことを知りながらも流すのだから、昔から両親が泥棒をしてきているのかが窺える。
そして2つ目。それは両親が和州に預けた石なのだが、実はこれ、
だが、子供の和州がこのことを知る由はない。そのためこれを知ることになるのはもっと後のことだ。
両親が家を空けてから2週間と少しが経過した頃のこと。
1時間もすれば夜のとばりが落ちるだろうという時間になり、不在の両親に代わり和州は夕食のカレーの準備をしていた。
「それにしても父さんと母さん、帰るの遅いな……」
6月も2日になり、雨の日が多くなった。そのためキッチンの窓から覗く空は厚い雲に覆われ、しとしとと地上へと雨を降り注いでいた。
和州は朝から変わらないでいるその光景を見やり、待ちわびている両親のことを考えていた。
これまでは長くても1週間しか家を空けたことがない。
両親は家を出る前に長くなりそうだとも言わなかったにも関わらず、何の連絡も無く2週間以上帰って来ていない。
京谷と響香のやっていることを考えれば不審さが溢れる状況だ。
「2週間も帰って来ないなんてな。思ったよりも苦戦してるか?まぁ、もう少しで帰ってくるだろ!」
それでも和州は自分の両親に限り失敗する訳なんてないだろうと信じて疑わずに待ち続けていた。
ましてや2人は既にこの世には居らず、これから先帰ってくることなどあるはずもないとは夢にも思わなかった。
「よし、出来た!」
カレーの盛り付けも終わり、いざ実食に移そうとする。
だが、スプーンを持ち、食べようとした所でピンポーンとチャイムが鳴り、和州に来客の存在を報せる。
「ん? 帰ってきたかな?」
いつもはチャイムなんて鳴らさないため不思議に思いつつも、遅い帰りの両親だと信じて疑わずドアを開ける。
だがそこに立っていたのは傘を差した見知らぬ女だった。
「あの……どちら様ですか?」
その女の腰まで伸ばした長く黒い髪は、艶やかに光り艶めかしさがある。背の丈は150センチまでもなく、子供の和州よりも高さがある程度だ。顔にはあどけなさが残り、一見すると背丈に見合ったものに見えなくもない。
雰囲気は大和なでしこと表現するのが適切であろうものを纏い、和州の目の前の女に対するイメージによく合うものだった。
だが、よく見るとその中にも大人になりかけの艶やかさを持ち合わせていて、全体が醸し出す雰囲気と併せて見ると、子供の和州には大人っぽく見えた。
そうして全体を捉えていくと女の背丈は小さい部類に入るのかもしれないという推測が成り立つ。
「小さい……?」
「これ、小さいなど言うでない。これでも儂は18じゃ。大人の部類に入っておる」
大人っぽさがあるには小さいという和州の感想を子供っぽいと勘違いした女。和州が予想した通り女の年齢では小さい方のようだった。
「儂の名前は
「探偵……?」
「うむ。探偵じゃ。それで、お主が和州なのかの?」
歩矢と名乗る女探偵は再度、古風もどきな口調で和州に問う。
それに和州が頷くと歩矢は「ほれ」とだけ言い、見覚えのあるロケットペンダントを差し出す。
丸型のもので、上下左右に葉をモチーフとした鋳造が施されている。中央にはダイヤと真珠がはめ込まれ、その周囲はエナメルブルーで囲まれているものだった。
「これは、父さんと母さんの……」
和州は歩矢の突然の訪問に驚きを覚えつつも、自分の両親、特に響香が大切にしていた物であることは直ぐに気付けた。
開いて中を見るとそこには案の定家族写真が入っている。
和州は何故歩矢がこれを持っているのか分からずその理由を問う。両親がこの場に居ず和州とは初対面の歩矢がこれを持っているのはどうもおかしい。
「お主の親御さんが亡くなってしまっての。故に縁のあった儂が形見を持ってきたんじゃよ。感謝せい」
「亡くなった、って……?」
和州は歩矢の言っている意味が分からず追求する。
両親は仕事の最中に頭上から鉄骨が落ちてくるという不慮の事故に遭ってしまった。現場の検証のための依頼を請けた歩矢は駆け付けた。だが着いた時は両親の息は既に引き取ってしまった後のことだった。
だがちょっとした縁があり、両親のことを知っていた歩矢はせめて形見だけでも渡そうと和州に会いに来たのだと言う。
歩矢が話す詳しい話はそんなものだった。和州は涙が出ることもなくただ茫然と立ち尽くすしかできない。
そして歩矢は和州にある提案を持ち掛ける。
「あ奴らの子供を放置しておくのも忍びない。和州よ、儂と一緒に暮らさんか?」
両親は泥棒で、目の前の歩矢は探偵だと言う。彼女等にどんな繋がりがあったのかと訝しむ。
だが、突然告げられた両親の死に対する動揺と必死に悲しみを誤魔化すような慈しみを含んだ表情に当てられ、思わず頷いてしまう。
和州は両親の職業柄、頼れる相手が身近に居ない。その上知らない大人の持ち掛けを拒否する勇気も持ち合わせていないような、当時はまだまだ子供だった和州には拒否することが出来なかった側面もあるにはあったのだが。
その中でも動揺と歩矢の雰囲気の影響が大きかったのは間違いない。
そうと決まるや否や子供に引っ越させる訳にはいかないと歩矢が和州が住む家で暮らし始めた。 こうして歩矢は和州の面倒を見ながら自宅で探偵の依頼を受ける和州と2人きりの新生活を始めるのだった。
2人が一緒に住むことになったのはこんな形であまり良さそうなものに見えないが、突然両親を失ってしまった和州にとっては歩矢の存在が救いになったのは言うまでもないだろう。
なんだかんだ言いながら2人の生活は徐々に馴染んでいった。
そんな生活が始まり1か月が経過したある夜のこと。
ふと和州は無性に寂しさを感じ、両親が家を出る前に渡された石と形見のロケットペンダントを胸に抱きベッドに潜っていた。
そうしながら和州の頭を巡るのは両親と3人で過ごした楽しい日々。それは両親に遊んでもらったことだけではなく教わったことの数々、例えば掃除,洗濯,炊事のような家事から始まり、泥棒の技術なんてものもあったりする。
近頃では懐かしさを感じ始めた思い出に浸っていると最後の会話を思い出してしまう。「留守番、よろしくな。」確かにこう言われていたはずだ。
「留守番を頼んでおいて何で帰って来ないんだよ。そんなの裏切りじゃないか」
留守番とは家を出てる人の帰る場所を守るためにある。なら、それを頼んだ場合は必ず帰ってくることが道理だ。
「だったら早く帰って来てよぉ……」
そう言っても無駄なのは和州も理解している。だが、一層強くなってしまった寂しさは抑えきれず、それは目に浮かんだ雫として現れる。
その瞬間、布団の中から青白い光が漏れだしてきた。
何事かと慌てて飛び起き布団を捲り、確認する。なんとそこでは石とロケットペンダントが発光し、ぼんやりと光に包まれているのだった。
それには声も出ず、ただ茫然とするしかない。
異変はそれだけでは治まらない。それらは両親の姿を宙に浮かび上がらせ、その像が和州に声を掛けてきた。
―久しぶり、和州。元気そうで安心したよ―
突然の現象と生前と全く同じ京谷の声に和州は腰が抜けてしまう。が、同時に浮かんでいた涙の影は跡形もなくなっていた。
―それにしても随分とびっくりしてるね。まぁ、それも当然か。
先にこれを説明しちゃおっか。
和州に預けた石なんだけどさ…あれ、
だけど、そうするにはその人のことを強く想う必要があるらしいんだ。
もし万が一のことがあったら、何か遺品に魂を下ろせれば少し話が出来るかと思って預けたんだけど、こうしていることを見ると、父さんと母さんのことを大切に想ってくれたんだな。嬉しいよ。
良いか、和州。今から大事なことを話すから良く聞くんだぞ―
そこで自分の体の様子を確かめている京谷の声が途切れる。
続く言葉を和州は黙って待つと、続きは響香が話し始めた。
―父さんと母さん何だけどねぇ、多分だけど誰かに殺されたんだと思うんだ。姿は見えなかったからどんな人かまでは分からないんだけどさ。
だからさ、和州。もし知らない人が来たりしたら気を付けるんだぞ。
なーに辛気臭い顔をしてるんだい? いつも元気に笑っていろと言ってるじゃないか。
少しはその泣き虫を直すんだぞ?―
響香はクールで勝気な普段とは違った優しい目つきになり、愛する我が子に向かって慈しみの笑みを浮かべる。
―ごめんな。大好きだよ、和州。バイバイ―
―ごめんな。大好きだぞ、和州。バイバイ―
「待って! 父さん、母さん。行かないで!」
最後に両親の声が重なって発せられ、消えようとするところを和州は止めようと手を伸ばす。
がその像には実体はなく、伸ばした手は空を切るだけ。
寂しがる和州に両親は触れられずともそっと手を伸ばし微笑みかける。
―もう留まれないみたいだ。もっと一緒にいられれば良かったんだけどな―
―2回目、ってのも出来なさそうだしな。強く生きるんだぞ―
最後にいつもの2人のように優しさが滲みだす笑みを浮かべた京谷と快活な笑みを浮かべた響香は点滅を繰り返し消えていった。
もう出てくることは無いと思った涙がまたもや溢れ出し、赤子のように泣きじゃくる。ワンワンと数時間ほど泣き続けると疲れ果て涙が止まる。
それと同時に急激に頭が冴えてくる。
和州は歩矢が来た日からずっと疑問に思っていたのだ。
歩矢は両親を知っていたとはいえ何故その子供であるだけの自分を育て面倒をみようとしているのか。泥棒だった両親に恩があるとも思えない。一体その目的は何なのか。そして3人の間にはどんな関係があったのか。
だがたった今、両親の話を聞いて全て繋がった。
その目的が和州に預けられた道返玉なのであろうことを和州は悟った。死者の魂を呼び戻せるなど相当に貴重な物だということは幼い頭でも分かることだ。
「知らない人が和州の下に来るかもしれない、多分だが両親を殺した犯人がいる」先程の両親を浮かべた像はそう言った。
つまりはそういうことなのだろう。
歩矢は道返玉が目的で両親を手にかけた。だが目的のものは持っておらず子供の和州のことを知り、奪い取るために近づくことにした。
だとすればこうしてる今も、どこかで奪えないか様子を窺っているはずだ。
事前にこれを察知し、何かしらの危険が身に降りかかるかもしれないことに両親は感づいた。だから仕事で家を出る前にその貴重な物を和州に託したのだろう。
これで辻褄が合う。
そこまでを幼くも聡い頭で考えに至る。
ならば両親を殺した容疑のある歩矢には復讐をしてやりたいと思うのが一般的な人間の心情だろう。
和州も例外なくその通りの子供で、証拠を掴み警察に突き出してやることを考えた。誰だって警察に捕まるのは嫌だ。だから歩矢をそうしてやろう、と。
その為にはどうすれば良いのか、今後について考える。
まずは道返玉だ。これが歩矢の目的で両親は殺された。だったらこのことを知る必要があるはずだ。
死者の魂を下すとは言ったが一体何なのか、具体的にはどんな代物なのか。
だから和州はその日から両親に託された石、道返玉のことを調べることにした。
次は歩矢について。
何なら直ぐにでも問い詰めて証拠を引きずり出したいが、それは叶わないだろう。そんなことをすれば仕返しに何をされるかが分かったものじゃない。
だったら歩矢に近づく外、手はない。
「歩矢さんは探偵をしてるからな。丁度良い」
家に来た時の歩矢の言葉とこの1ヶ月の姿を思い浮かべとある決意する。
それなら歩矢がしている探偵のサポートに就くことにしよう。こうすれば歩矢に近づけ、歩矢を知ることが出来る。
和州は何とも合理的な判断を下した。
歩矢について知ることが出来れば、何かトラブルがあった時、自分の安全を守れる確率が上がるだろうし一石二鳥だ。
そんな訳で和州がサポートをしたいとの宗を伝えると、歩矢は大喜びで歓迎した。
こうして和州はあっさりと目的の遂行に行動を移すことが出来たのだった。
それから10年の月日が過ぎ、和州は16歳になった。身長も伸び180センチに迫るかといったところまで大きくなった。今では歩矢の頭は、和州の肩よりも下の位置にあるため見下ろす形になっている。
和州の髪は、歩矢の「お主もちとお洒落でもしてみるのじゃ。顔は良いんじゃからの」という発言が発端となり、白く染まっている。
他にも服装など歩矢プロデュースのおかげで僅かにあどけなさの残る端正な顔つきにも磨きがかかり、道行くお姉さんにうっとりと見つめられることもままある。
その間、道返玉については分かったことがある。
それは、これが
十種神宝とは名前の通り、
残り9個の中でも、和州が特に気になるものが1つ。
それは
この能力には和州も両親のことを思い浮かべてしまい無視は出来なかった。
和州は可能なら残り9個全てを集めたい、と泥棒の子供としては思っているが、探そうにも手がかりかなくままならない状態だ。最低でも死返玉だけでもと願うもののそれすら手がかりを見つけられていない。何せ伝承レベルの話しか存在せず、情報が少なすぎるのだ。
そして歩矢の仕事である探偵のサポートの方も順調だった。
和州は手伝い程度のつもりだったのだが、喜ぶ歩矢に無理矢理探偵の技能を教えられ、歩矢には弟子だと言われている。因みに和州は歩矢を師匠だとは思ったことは一度も無い。
歩矢によって教えられるそれらは、歩矢の優秀さもさることながら和州の生まれつきの地頭の良さが相まって次々と習得していた。
歩矢の性格も分かりすぎる位に分かるようになった。
これは日曜日である今朝のこと。
「歩矢さん、起きて下さい。朝ご飯ですよー」
和州は歩矢の分まで朝食を作っていた。
当番制で和州の当番が回ってきた訳ではない。和州は朝昼晩の食事の用意はおろか、掃除や洗濯などの家事全般を毎日1人でこなしているのだ。
歩矢のだらしなさは極まっていて、家事を一切やろうとしないないのだ。出来ないのではなく、やろうとしないのだ。
歩矢も来たばかりの頃は、かいがいしく色々やっていた。だがある程度の期間が過ぎ、和州1人で家事全てに手が回るようになるや否や全部任せっきりになってしまった。ただ単に面倒という理由だけでだ。
「名前ではなく師匠と呼べといつも言っておろう。お主は何度言ったら分かるのじゃ」
「直すつもりがないですからね。誰が歩矢さんみたいな人を師匠呼ばわりするんですか」
歩矢は和州が居なければ生活が破綻するのではないかという程なのに師匠面し、薄着のパジャマを着て眠そうに目を擦りながら起きてくる。
これだけで十分に呆れ果てるほどのものだが、問題は他にもある。
それは寝起きの歩矢の恰好だ。
頭には寝癖を付けた状態なのはまだ良い。和州もこれ位なら許す。問題なのはその服装にある。
パジャマの上着の上2つと下1つのボタンは外れており、下着がなくノーガードの以外にも豊かな胸元は大胆に開かれ、艶めかしい鎖骨が惜しげもなく晒されているだけでなく可愛らしいおへそがちらちらと見え隠れしてしまっている。
更にダメ押しとばかりにズボンの方も左側だけ腰下まで下がっていて上衣の裾の陰で、薄ピンクの下着が見えてしまっている。
これほどまでに扇情的な姿は、思春期真っただ中の和州には刺激が強すぎる。いくら10年間共に生活を過ごし、疑いを持ってる相手とはいえ、見目麗しい女性の無防備な姿を見て何も感じない訳がない。和州だって男なのだ。
「ちゃんと着替えてから出てきて下さいっていつも言ってるじゃないですか……あぁ、寝癖までつけて。何回言ったら分かるんですか?」
「直すつもりがないからの。儂はここに住んでおるのじゃ。問題はなかろう」
歩矢は、和州は何を言っているのか、とキョトンと首を傾げ、頭にはクエスチョンマークを浮かべている。
あまりにも図太い神経には和州もため息しか出ない。が、これが日常だ。
こんなんだから和州には歩矢を師匠とは思えず、師匠と呼んでやる腹積もりなど毛頭ない。この姿を見て誰がそんな呼び方をしたいと思えるのか。
その上歩矢が犯人説はまだ消えてないのだ。そんな相手を師匠などと口が裂けても呼べる訳がない。
この状態で歩矢を師匠と呼べる者がいるのならば、その人間性に最上の尊敬を抱くことだろう。
最後にさっきからちらちらと出ている歩矢が犯人かどうかだが、この10年で何も進展はなかった。
あれ以来、和州と歩矢は10年の間一緒に暮らしている。
だが、歩矢は一向にボロを出す気配がなく、部屋を探っても何も出てこない。だが犯人でないなら何なのだということもあり、未だに疑いが消えないでいるのだ。
何度も突撃しようしたが、その勇気を持てず、思い留まったままだ。
「10年もこんなして、一体何が目的なのやら」
和州は歩矢の目的は道返玉だとは今でも思っている。だが、これまで何の素振りも見せず、これほどまでに時間を費やす理由が和州には分からないでいた。
これほどの期間を続けるには相当な執念深さが必要だ。不本意なことにお宝を奪うためだけにこの熱量は敬意さえ覚えてしまう。
「何か言うたか? もう一度言うてくれ。聞こえんかった」
「なんでもないですよ」
もう一度ため息を軽く吐き出す。
「なんじゃよ。またため息を吐きおって。辛気臭いのは止めろといつも言っておろう」
和州はこの10年でため息を吐くことがすっかり癖になってしまっていた。
そんないつも通りの日に電話で依頼が舞い込んできた。
探偵のサポートの一環で和州が電話を取り、話を聞く。
今回の内容は父親が不審死したというもの。ずっと元気だったのに急に死んでいたと言う。その近くには遺書があり、40歳以上歳下の妻に全財産を与えると書いてあったそうだ。
被害者の娘である依頼主の家の立場故に体面的な問題があるため警察には届け出ず、探偵に依頼をしたいとのことだった。
歩矢は探偵としては優秀で、こういった警察には届け出たくはない殺人の依頼なんかも入ってきたりする。勿論、浮気調査のような探偵ならではのことまでやったりもする。
この話だけで歩矢と和州は察してしまう。恐らくは妻が犯人だろう、と。こういった手合いはほとんどが相続先の相手が犯人なのだ。
もはやその馬鹿さ加減には呆れるしかないが、依頼を無下に扱う訳にはいかない。
「では、行くぞ」
「はい。歩矢さん」
着替えを済ませた歩矢と和州は、犯人は分かっているような状態ではあったが依頼主の家へと向かって行った。
「初めまして。清美と申します。あなたが探偵の……と、そちらの方は?」
依頼主の家に着くと被害者の前妻との間の子で依頼主でもある清美と遺産の相続先である若妻、そして使用人に出迎えられた。
「こ奴は儂の弟子の」
「歩矢さんのサポートをしてます、和州と言います」
「和州さんですか。では、本日は宜しくお願い致します」
清美は両手を手前で重ね深々と頭を下げる。頭を上げた彼女の和州を見る目が男を見るそれになっているがそこは見なかったことにする。
「うむ」
「はい」
紹介の途中で言葉を区切らされた歩矢は不満がな顔をしてるが、挨拶を交わした後は早速調査に入った。
目的地に着けばまずは現場確認。
被害者の死体は書斎にあり、机の上に置かれていたであろうペンや紙だったりが散乱していた。恐らくは被害者がもがき苦しんだ痕跡であろう。
「和州よ、殺した方法は分かるかの?」
「様子を見た限り毒殺かと。それに遺産の問題だと毒殺で他殺であることを誤魔化そうとすることが多いですしね」
「正解じゃ。現場の様子とパターン化した法則で見解が一致しておる。それで間違いないじゃろ」
調査のパターン化は歩矢独自のやり方で、多くの人間は簡単に出来るものを選ぶため、似たような動機なら方法は大体一致するというものだ。
歩矢はこの方法で色んな依頼を解決してきたため、信頼と実績がある。
これは余談なのだが、和州が初めてパターン化の話を聞いた時に何故か妙に懐かしさを覚えた。それは何なのかは未だに分からずじまいだ。
依頼主に部屋に変わったことがないかと聞いてみると、床に敷いてあったはずの絨毯がなくなっているという。
「大方、毒を盛ったグラスか何かの中身が零れでもしたのじゃろう。証拠隠滅に処分でもしたんじゃな」
「でも、粗大ごみの処分は時間と手間がかかりますよ。もしかするとまだ残ってるかもしれません」
「流石和州じゃ。伊達に家事をしておらんの。なら探してみるとするかの。大きいものじゃとするとごみ置き場に持っていかれた可能性もあるの」
そんな歩矢の読み通り、絨毯はあっさりと見つかった。処分にでも困ったかのようにごみ置き場にあったのだ。あと1日でも遅かったらごみとして回収されていただろう。
だが、グラスだけが出てこない。
グラスのような小物は隠しやすい。その為、家の中を探し回るしかない。
洗ったのかとも考えたが該当しそうな時間は使用人が洗面台にいたためそうすることも出来ず、食堂,キッチン,リビング,果ては資料が山積みの部屋までも探した。だが、どこからもグラスが出てくることはなかった。
最後の部屋には床に備え付けの金庫があったりもした。
「ちょっとした価値のあるものが入っていると父は言ってました」
依頼主はそう言うが、とうの昔に鍵が壊れてしまったとのこと。
それ以来鍵を作って無かったためここに隠すのも不可能とのことだった。鍵の破損はそこに住む全員の話が一致したため間違いはない。
「最後に確認していないのは外かの」
「外、ですか?」
「そうじゃ。証拠を手元に残さないのは珍しいがの。どこかに埋めてある可能性もあるのじゃ。覚えておくと良いぞ」
そうして、歩矢と和州は近くにあった裏口から外に出た。
庭を見て回っていると1ヶ所だけ色が違う場所があった。
そこは若妻の花壇で、花菖蒲が植えられている場所だった。花菖蒲は丁度6月に入る今の季節に花が咲き始めるため、今にも蕾が割れそうだ。
「ここじゃろうな。カモフラージュのつもりかもしれんが、花が咲く頃に植え替えられてるのはおかしいからの」
掘り返してみると案の定、グラスが埋められてあった。
「これで若妻が犯人で決まりじゃの」
「他の人が埋めたとは思わないんですか?」
和州は当然の可能性に疑問を浮かべる。
「花菖蒲はの今の時期に咲く花なのじゃ。これでカモフラージュしようなんぞ詳しい者でないと分かるまい」
「そうなんですか……」
和州は歩矢にそんな知識があったのかと感心する。
「まぁ、見せる前に言い逃れ出来んようにするがの。では、報告に行くぞ」
そう言いグラスは隠したままリビングに住人を集める。
「いやはや、庭にあった花菖蒲は見事じゃったの。確か、お主が1人で花壇の面倒を見てたんじゃったか。あれもお主が?」
良く仕立てられた服を着いていて、貴婦人と称するのが正しいであろう若妻に向かって話を振る。
「ええ、確かに私が。この家には他にやる人はいませんから。あなたもお好きで?」
若妻は唐突に自分の花を褒められ、訝しみながらも頬を緩め答える。
「何、ちょっとした嗜みじゃよ」
そう言いグラスを取り出し見せつける。若妻の顔はみるみるうちに蒼白になっていき、終いにはわなわなと震えだす。
「それで、お主が面倒を見たんじゃったな?」
「い、いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
若妻は悲痛な叫び声を上げ、いかにも高級そうな絨毯に崩れ落ち、この世の絶望を見たような表情になる。
それもそのはずだ。
莫大な財産が全て自分のものになると思ってたら、今しがた自分の殺人が言い逃れの出来ない程にバレてしまったのだから。急転直下とは正にこのことだ。
そして2人の探偵は微笑を浮かべて崩れ落ちた女性を見下ろしている。何ともいい気味だといった様子だ。
「では、儂らは失礼する。そ奴の処分は自由にするが良い」
「はい、ありがとうございました」
「そういう依頼じゃったからの。礼には及ばん。行くぞ、和州」
歩矢は和州を連れて建物を出ていく。敷地を出た所で和州は口を開いた。
「それにしても歩矢さん、なんで花の名前だけじゃなくて開花時期まで知ってたんですか? 花なんて育ててるの見たことないですよ」
「探偵をするのに必要なこともあるからの。無駄に思えても知っておくと意外と役に立つときがあるぞ。それと、師匠と呼ぶのじゃ」
「ハイハイ」
本当、探偵という生き物は何を知っているのか分かったものではない。こういう点では和州もまだまだといったところか。
2人はその後もくだらないことを言い合いながら帰路についた。
2人は帰宅し、当然のように和州が用意した夕食を食べ終え、入浴も済ませ、何をするでもなく寛いでいた。
歩矢はワインを優雅に呷り、良い感じに酔いが回り始めた頃のこと。
「儂はもう眠い。先に寝るぞ」
「おやすみなさい」
「おやすみの。和州も余計なことはせずに早く寝るのじゃぞ」
「余計なことってなんなんですか……」
歩矢は意味深なことを言い、ベッドに向かって行った。
物音がなくなり完全に寝静まったことを確認した和州は立ち上がる。
「さてと、やるとするか」
和州は独り言を漏らし真っ黒の服装に身を包み家を出る。目的地は今日依頼を受け調査をした家だ。
何を隠そう、和州は泥棒をしているのだ。
両親が泥棒だったということもあり、生前はあらゆる技術を教え込まれていた。そこは何かと器用で天才な所がある和州のこと。大体の技術はマスターとまではいかないが、それなりのレベルで習得している。
そんな今は亡き両親から教えられた技術を無駄にするなど和州には考えられない。
それに両親を殺した犯人の疑いがある歩矢への抵抗もあっての行為だった。証拠がないため、面と向かって糾弾出来ない分のささやかな反抗だ。
そんな訳で、今日の目的もその家にあるというお宝を頂戴することだ。
外に出るとそこは真っ暗闇で、街灯に照らされ一部だけが明るい。
だが和州としては目立つことは宜しくない。暗く視界が悪い方が都合が良い。だから少し脇道に逸れ、明かりのない真っ暗な道を進んでいった。
そうして無事、数時間前にも見た家の前に辿り着く。
和州は探偵としてきた時にも感じたのだが、中々に立派な家だ。巨大な訳ではないがそれなりに立派な問が設置され、今は閉められている。
音を立てないように難なく乗り越え下り立つと隅々まで手入れの行き届いた庭がある。
庭を半周ほど回ると裏口に辿り着く。そのまま鍵の掛かっていないドアノブを捻り中に入っていく。鍵が開いていたのはここの住人が不用心な訳ではなく、日中に裏口を使った時に鍵をかけないでおいたのだ。
足音を立てないように慎重で迷いのない確かな足取りで廊下を進んでいく。
そして目的の部屋の前に辿り着く。キィと音を立て開くと、そこには棚が並び書類が乱雑に置かれている。この部屋に何があるかまでは分からないが、貴重な物があることは言質を取っている。
探偵のサポート中に貴重なものがあると聞き、ずっと気になっていたのだ。一体中に何があるのか、どれだけ価値があるものが入っているのか。
その時はずっと歩矢が近くに居るため、その場で行動を起こすことが出来ず夜に寝静まった後に頂きに来たという訳だ。
和州は早速盗みに取り掛かることにした。
まずは中央の床に積み上げられた書類をどかしていく。その下には古ぼけた絨毯が敷かれているのが見えてくる。
更にそれを捲ると床に鍵がかかった扉が備えられている。
鍵を壊してしまい開けられないとは言うが、和州が解錠するのに鍵は必要ない。
両親直伝の鍵開けを使い難なく解錠し、逸る気持ちを抑え扉を開く。
「これは中々……」
そこに入っていた目的のものは書類まみれのこの部屋には似つかわしくない輝きを放っていた。
それは素人目でも価値があることが一目で分かる指輪だ。銀色に輝く細いリングに大きなダイヤが1つあしらわれ、周囲を彩るようにルビーやサファイア、エメラルドが装飾された一品だ。
手早く回収したら現場を元に戻し、誰にも見られていないことを確認し外に出る。
ここまで来れば後は帰って行くだけだ。ここに来た時と同じ道順を辿っていき自宅に戻る。
あとは換金するまで隠しておくだけ。
和州はいつも通り自分の部屋にでも隠そうかとも思ったのだが、ふと解決したばかりの依頼を思い出す。
「外を探しに出るまで時間がかかってたよな……」
歩矢は、大多数が手元に置きたがるもので、外に隠すのは珍しいとも言っていた。
だが、あの時は見つかってしまった。その理由は、
「掘り起こした跡があったからだったな……僕はあんな奴とは違う」
袋に包んだ指輪を家の傍にあった一本の木を目印にして埋め、痕跡が残らないように踏み固めた。
歩矢は眠さには弱いため起きてくることは無いだろうが、念には念を入れて慎重に自室へと戻り眠りに就くのだった。
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