最終話 ハラルドとナタリーは新しい冒険に出発する



 街を出るのは難しいことではなかった。

 リザの言った通り、街の入り口では厳重な警備が敷かれていたが、立ち往生している大勢の商人が罵声をあげていたのだ。


「もうしばらくお待ちくださいっ! 現在、街中で発生した事件の調査中でして……」

「いつまで待たせる気だ! 氷魔法が切れちまうじゃないか!!」

「いいから荷物だけでも入れてくれっ!」

「今日の朝までに契約を済ませなくちゃならないんだよお!」


 街の外には商人たちの馬車行列ができていた。

 彼らを止めるのに精一杯で、魔法で姿を消した俺たちが彼らをすり抜けて脱出するのは、それほど難しいことではなかった。


(大丈夫でしょうか……?)

(いくぞ、ナタリー)


 小声でささやきあいながら、彼らを横目に街道を外れて進む。

 しばらく離れた草原地帯まで戻ってきたあとは、勢いよく地面に寝転がった。


「はぁ……」


 街道とは離れた、雑多な獣道の草地をベッドに空を見上げる。

 真上で太陽が照っている。

 遠目に街が見えるくらいには、距離も離れた。

 ここまでは聖教会の人間も追ってくることはないだろう。


「んっ!」


 ナタリーも一緒に横に転がった。

 二人で陽光を浴びながら、ぼんやりと時間を過ごした。


「大変だったな」

「はい、そう思います……」


 思い返せば、俺たちはとんでもない体験ばかりをしてきた。

 聖教会に過去が暴かれているなんて思っても見なかったし、絶縁したはずの兄や、上級悪魔と真っ向からぶつかるなんて誰が考えるだろう。

 せっかくのAランクの魔石を失った。

 ナタリーだって失いかけた。


「あれだけ頑張って、手に入れたものはこれだけか」

「んっ」


 傍で寝転んでいるナタリーの帽子のつばをつまむと、目をつむった。

 魔石を売って金を手に入れ、少し贅沢に過ごしながら観光して、元気を取り戻してから次の街を目指す。

 そんな予定のはずだったのに何がどうしてこうなったのだろう。

 街で売られていた魅力的な魔道具に興味はあったのに、結局ろくに見ることもできなかったな。


「もう追われることはないですし、いいじゃないですか」

「それはまあ、そうなんだがな」


 得たものもあった。

 特に、聖教会に追われる原因となったリザの『スキル』の対象外になったというのは大きいだろう。

 解除することができたのは、運がよかったとしか言えない。

 

 得たものはもう一つある。

 俺は無防備に横になったナタリーに手を伸ばす。

 そして、多少強引に抱き寄せた。


「はっ、ハラルドさん?」


 胸の中におさまったエルフの少女は顔を赤くして、戸惑いを訴えかけてくる。


「ど、どうかしましたか?」

「こうしていてもいいだろう」

「ですが人間さんは、こういうことをしないんですよね……?」

「別にしたっていいだろう。法で縛られているわけでもないんだ」

「た、確かにその通りです……!」


 あれほど駄目だと言い聞かせていたのに、俺の遠慮する気は失せていた。

 そもそも、朝まで二人で全裸で街を駆け回っていたのだ。

 もう一生あんな経験をすることはないだろうが、あれに比べれば、ナタリーを抱き寄せるくらい可愛いものだろう。

 

「…………」

「…………うぅ」


 小さく、かわいらしい声を出した。

 ナタリーが誰かのものになるくらいならと思うと、遠慮なんて言葉は吹き飛んで、我慢する気も完全に失せていた。


 真昼の草原に風が吹く。

 誰も来ない場所で、ぎゅうとエルフの細い身体を抱きしめる。

 小さくてか細い身体の奥に魔力の海を感じたが、それはどうだっていい。


「し、失礼します」


 ナタリーも、こうされるのが心地がいいみたいだ。

 おずおずと背中に腕を伸ばしてきた。

 俺はもちろん受け入れる。


「ハラルドさんが教えてくれたこと、ようやく少しだけ分かりました」


 ナタリーが消え入りそうな声でつぶやく。


「何のことだ?」

「服を着ないで外に出るのは恥ずかしかったです」

「そりゃあ、そうだろう」

「エルフの里ではたまに見かけましたが、わたしはもうできません」


 ナタリーが恥ずかしそうに伝えてくる。

 ……やっぱり凄いなエルフ。

 もう分かっていたが、やはりエルフ族は普通の倫理観を持っていないようだ。


「裸だと気持ちが落ち着かなくなって、体がぶわって熱くなりました」

「エルフも人間並みの感覚が身についたんだな」

「心地よかったですが、人前では嫌です! 見られたくありません!」


 口をとんがらせて、強い口調で訴えてきた。

 人間と過ごすうちに相応の感覚が身についたということだろうか。

 そんな様子も可愛らしいが、無防備な姿が見られなくなるのは、少しだけ残念だった。


「じつは今も、気持ちが落ち着かないんです」


 俺の胸の中に顔を埋めたナタリーが、もう一度、消え入りそうな声で言う。


「俺の傍にいるのは嫌か?」

「ドキドキしますが嫌じゃないです。こうしていたいです」


 胸の中で顔を上げた。

 翡翠の瞳をとろんと潤ませる少女と視線が合う。

 心の底から湧き上がったのは、彼女を独占したいという欲求だ。


「……なあ、ナタリー。俺たちは仲間だよな」


 俺はさらに深く、彼女の中に踏み込んでいく。


「はい、仲間です」


 ナタリーは当たり前のようにかえしてくる。

 自分のような穢れた存在では欲しいものが何一つ手に入らないと思っていた。

 しかし兄を倒して、その呪いが解けた今になって、強い欲が出た。


「仲間じゃなくて、恋人になってくれないか」


 可愛らしい少女を独り占めしたい。

 他の誰かに奪われる前に、自分のものにしてしまいたいと思った。


「それは、わたしとハラルドさんが、契りを結ぶということでしょうか」

「エルフの言葉は分からないけど、多分そうだ」


 胸に抱いている彼女そのものが欲しい。

 踏み込んだ関係になりたい。

 

「つがいになってほしいということですか」

「そうだ」


 ほんのり赤かったナタリーの顔が、真っ赤になった。

 ローブの内側に差し込まれた細い指先が、きゅっと服を握りしめる。

 

「ですが、エルフは……」


 しかし俺の想いに反して、ナタリーは暗い表情を浮かべる。

 だめだったのだろうか。

 俺はひどく悪い予感がしたが、彼女の言葉の続きを待った。

 

「村で決めた人としか契ってはいけない決まりがあるんです。だから、だめなんです……」


 その言葉を聞いて、一転して落ち込んだ気持ちになった。


「村を追い出されたのに、決まりを守るのか?」


 俺は震える声で、最後の抵抗のようにかえした。

 人間とは違う種族の価値観で生きているのだ。

 無理強いはできない。

 しかし予想に反して、しょぼんと垂れていたナタリーの耳がぴくりと跳ねた。


「…………」


 ナタリーは目を丸くしている。


「そうでした!」


 少し待っていると、体を震わせて跳び起きた。


「村の決まりなんて、守らなくていいじゃないですか!」

「ええ……」


 まさしく今気付いたと言わんばかりの態度で、俺はあきれ返った。

 気付いてなかったのか……。


「好きに生きていいんですよね!?」

「村の決まりなら、村から追い出されたんだし関係ないと思うぞ」

「で、でしたらもう少し詳しく話をしましょう!」

「あ……ああ、分かった。もちろんだ」


 俺も起き上がって草むらに座り、ナタリーと向き合った。


 爽やかな風が吹く。

 さらりと綺麗な金髪がほどけて揺れ動く。


 改めて見るてもナタリーは美しい。

 きめ細かい白い肌に、ぴんと立った耳が信じられないほど似合っていて、どこかの空想の世界から現れたみたいに綺麗だった。

 彼女の人となりは知っているし、彼女も俺がどういう人間かを知っている。


「ハラルドさんはどうして、わたしとつがいになりたいのですか」

「生涯で一人その選ぶんだったら、お前しかいないと思ったからだよ」

「そ、そうですか……あの、少し待ってください」


 真正面からかえした。

 ナタリーは真っ赤な顔で、深呼吸を繰り返す。

 心の準備ができていなかったようだ。

 少し待っていると息も落ち着いたのか、改めて俺に向かい合ってくれる。


「ハラルドさん」

「何だ?」

「わたしも、つがいになりたいです」


 心が一気に空に舞い上がった。


「ですが、その前に一つすることがあります」

「え……?」


 だが俺が喜びを顔に出す前に、ナタリーは釘を刺すように言葉を続ける。


「エルフ族はつがいになる前に、絶対にしなければいけないことがあるんです」

「しなければいけないこと……」


 まさかとは思うが、エルフ族独特の試験でもあるのだろうか。

 他の亜人も単なる力比べをしたり、美しさを競い合ったりと、独特の儀式のようなものをすると聞いたことがある。

 それに失敗すると、お互いに好き合っていても恋人になれないケースもある。

 一体何を言われるのだろう。

 唾を飲んで、ナタリーの言葉の続きを待った。


「口づけもせずに『つがい』になるなんて、神様に怒られてしまいますよ」

「それはそうだな」


 エルフは最高の種族だった。

 どんな試練を持ちかけてくるのだろうと緊張していた。

 待っていたのは、ご褒美だった。

 

(前にもやろうとしてタイミングを逃したっけ……)


 トロールを討伐した日の夜のことだ。

 せっかくいい雰囲気になって顔を寄せ合っていたのに、ギルドの人間に邪魔されたのだ。あの時の恨みは忘れていない。


「というわけで、口づけをしましょう」


 恨みを一瞬で忘れるくらい胸が高鳴った。

 相手もそれを望んでいる。

 無人の草原には決して邪魔者は入らない。

 遠慮する気が一切なくなった俺は、この機会を絶対に逃したくなかった。


「ああ」


 普段は無邪気な緑色の瞳が、やわらかく蕩けて隙だらけになっている。

 顔を寄せ合うと零距離になったて、肌の柔らかさを直接感じた。

 とうとう唇を重ねたのだ。


「ん……」


 差し出された唇は柔らかかった。

 湿った感触が表面で混ざりあう。

 全身がしびれて、言い表せない幸福で満たされていく。


「ぷ、はぁ……」

「…………」


 そのまま数秒。

 顔を離すと、金髪のエルフ少女は、ぽーっとした表情で呆けていた。

 

「はっ……!」


 ナタリーも遅れて、目を丸くして正気に戻った。


「これは凄いです……!」

「ああ、凄いな」


 凄かった。

 まだ唇に暖かさが残っているみたいで、思わず手で触れて確認してしまった。


「これで、つがいになれたのでしょうか」

「なったからもう一回しよう」

「しましょう! んっ……」


 今度はナタリーのほうが強く顔を寄せてきた。

 深く仲を深めるための行為に、俺たちはますます夢中になった。

 彼女を二度と手放すものかと抱き寄せて、ますます満たされた。




 邪教の家から逃げ出してから、ずっと一人で生きてきた。

 秘密を抱え続けて、まともな人生は送れないと諦めていた。

 だから、ずっと求めていた幸福に心の底から溺れた。

 




「ハラルドさん。そろそろ行かないと、夜になってしまいますよ」

「ああ、そうだったな。次の街に行こうか」


 俺が、立ち上がりリュックを背負う。

 ナタリーも意気込んで立ち上がる。

 ここから人の通った道は見えないが、この草原の先には次の街が待っている。

 

「新しい冒険に出発だ!」

「おー、です!」


 二人揃って、太陽に向かって両手をあげた。




 ずっと冒険者になりたかった。

 その理由は、家の恐怖から逃れて、幸せになりたかったからだ。

 最悪の悪魔を倒す力も、幸福も手に入れた。


 追放された俺たちの、本当に自由な旅が始まった。

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